どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
伊坂は本当にすべらんなぁ、という作品の紹介。
内容紹介
「安全地区」に指定された仙台を取り締まる「平和警察」。その管理下、住人の監視と密告によって「危険人物」と認められた者は、衆人環視の中で刑に処されてしまう。不条理渦巻く世界で窮地に陥った人々を救うのは、全身黒ずくめの「正義の味方」、ただ一人。ディストピアに迸るユーモアとアイロニー。伊坂ワールドの醍醐味が余すところなく詰め込まれたジャンルの枠を超越する傑作!
今回の作品では、伊坂お得意の“伏線祭り”はそれほどでもないので、そこはあまり期待しないように。
しかし、さすが伊坂である。これだけ不快感マックスな物語なのに、グイグイ読ませる。いや、不快感マックスだから読むのを止められないのか。
悪役祭り開催中
今回紹介する『火星に住むつもりかい?』は、過去の他の伊坂作品と比べると、ある特徴がある。
それは「伊坂史上最高レベルの悪役」である。
ネタバレになってしまうので詳しくは書かないが、これまでの伊坂作品でも最悪な悪役は結構出てきたと思うが、記録を完全に更新した。ちなみにこれまでの最高記録保持者は『マリアビートル』の王子だった。
これはたまにフィクション世界で出てくる「魅力的な悪役」という意味ではない。完全に悪役中の悪役。我々読者の敵である。不快感を煮詰めて具現化したようなクソ野郎だ。
しかもそんな奴がたくさん出てくる。これはなかなか読むのがキツい。
どこかで脳みそのスイッチをオフにしないと、普通の感性の人には読み進められないのではないだろうか。
こんなに面白い『火星に住むつもりかい?』だが、Amazonでの評価がイマイチなのは、この「悪役の最悪っぷり」に耐えきれない人が多かったからだろう。確かに人を選ぶ作品ではある。
敵が強いからこそ
『火星に住むつもりかい?』は読むのに不快さが伴う作品である。悪役がひどすぎるからだ。
しかしこの要素はエンタメにとって必需品である。
というのも、世に広まる物語には基本的なルールがあって、それは「物語内で対立が発生していること」である。
このぶつかり合いの中で、登場人物の感情が動き、物語を織りなす。そして対立が解消する(例えばどちらかがどちらかを倒す、とか)ことで、読者はカタルシスを得る。一件落着、と安心するわけだ。
つまり、この対立構造をいかに魅力的にするかが物語の鍵だと言える。逆に言えば、どうでもいい対立構造に読者は興味を持たないわけだ。物語の好みはつまるところ、対立構造の好みなのである。正義と悪だったり、親子関係だったり、会社と従業員とかである。
ということで、物語内に出てくる悪役というのは、多くの場合主人公の対立相手として立ちはだかる。そしてその存在は読者の価値観とも相反するように描かれていることだろう。まさに『火星に住むつもりかい?』と同じである。
これによって、読者は悪役を憎むようになる。憎しみはエネルギーを生み出す。また執着心も生み出す。なので、物語内で悪役が嫌な奴であればあるほど、読者は物語の夢中になるわけだ。憎き悪役が退治されるのが、待ち遠しくて仕方なくなる。
『火星に住むつもりかい?』の不快だけど、どうしても読み進めてしまうという、なんとも不思議なリーダビリティはこの辺りから生まれているように思う。
最強の悪役とは?
ではどうやって読者に嫌われる悪役を生み出したらいいだろうか?
どれだけ最悪な悪役だったとしても、弱かったらそこまで読者も気にならないだろう。身体能力でもいいし、姑息さや卑怯さと言った頭脳的な強さでもいい。何か「こいつは厄介だな」「どうやったら勝てるんだろう」とストレスを与える存在であるべきだ。
小説だけでなく、世のエンタメ作品を見ていると、「これは最強だな」と思わせる悪役にはある共通点があることに気が付く。
それは、「ルールを作る側であること」だ。
バットマンに出てくるジョーカーがいい例だと思う。いいのかどうか知らんが。
ジョーカーは常にバットマンの裏をかき、自分に有利になるようにことを運ぶ。ジョーカーに睨まれた最後、誰もが彼の前に屈服するように仕向ける。本当に最悪なやつだ。
『火星に住むつもりかい?』に出てくる悪役(たち)もルールを作る側の人間である。だからこそ最悪さがより効果的になるのだ。「こんな奴ら、絶対に勝てないだろ…」と絶望感を煽ってくる。
そういう意味では『ゴールデンスランバー』のときの敵も半端なかったと思うが、『火星に住むつもりかい?』の場合、凶悪さも凄まじいので、「伊坂作品では最強の悪役」と言えるだろう。
伊坂幸太郎伸び悩み中
ここから先は蛇足である。読まなくて大丈夫だ。
伊坂ファンの私だからこそ言えると思うが、伊坂幸太郎の作品はどれもこれも脳汁ダラダラ垂らしながら楽しめる最高のものばかりだ。
しかし彼の作品郡にはひとつ欠点がある。
どれもこれも似たような作品ばかりなのだ。
扱うテーマはそれぞれ違う。登場人物の属性だって年齢だって違う。
だけど、伊坂幸太郎作品から得られる“快感の種類”がほとんど同じなのだ。
それでも面白ければ別に構わないとは思う。実際伊坂作品はどれもこれも面白い。たまーに、ごくごくたまーに「ん?」という作品はあるが、ここまで打率の高い作家は他にいないと私は思っている。
だがそれでも、どれだけ美味しい作品だったとしても、やはり同じ美味しさの繰り返しでは、読者の方も慣れてきてしまうというか、「またあのパターンでしょ」と先が読めてしまったりする。
きっとその辺りの葛藤があって、伊坂幸太郎は『ゴールデンスランバー』ぐらいの時期から作品に「今までにない要素」を取り入れるようになった。なんとか一皮向けようと試行錯誤しているような印象を受ける。
『火星に住むつもりかい?』でも同様のチャレンジをしている。詳しくは書かないが、「あぁ、今までとは違う方法で描いてみたんだ」と思うような要素がある。
しかし読み終えてみれば、やはりどストレートに書いてもらった方が面白くなったんじゃないかと思う。まあきっと好き好きだとは思うのだが。
『アヒルと鴨のコインロッカー』を読んだぐらいに私は、「伊坂幸太郎は自分自身の作風から逃れられないんじゃないか」という危惧を抱いたのだが、当たっていたのかもしれない。
まあただ、そうは言っても彼の作品は間違いなく面白いし、読者が慣れてきてしまうのであれば、しばらく伊坂以外の作品を読めばいいだけである。私も一時期、5年ぐらい伊坂断ちをしていたクチである。
伊坂幸太郎はまったく悪くない。これまで通り最高の作品を描き続けてほしいと素直に願っている。
以上。
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