こういう埋もれた名作を紹介するのが、私の使命だと思っている。
日本一の読書ブロガーの悩み
読書中毒ブロガーを名乗り活動している私は、言わずもがな一般平均よりは本に接する機会が多く、人よりも面白い本をたくさん知っていると言っていい。だからこそこうして他人にオススメする本を日夜紹介し続けている。
しかしながらこれが意外と難しい。たまにスランプに陥るときがある。何を紹介したらいいのか分からなくなるときがある。
というのも、本当に多くの人に楽しんでもらえるような大衆性の高い作品というのは、私のような小物がわざわざ紹介せんでも、映像化されたり、テレビとか、ダ・ヴィンチで大々的に宣伝されているからだ。
なのであまりにも“みんなが楽しめそうな無難な作品”を集めると、「なんだよ、どこかで見たようなラインナップだな」と思われてしまう。認知されきってもダメだし、かと言ってマイナーすぎても手を出されない。ちょうど良い作品を見つけなければならないのだ。
と、いきなり愚痴から始めてしまったが、本題である。
ちょうど良い本見つけました。
日本を代表するクレイジージャーニーの怪作!
それがこちらである。
他人の行かないところへ行き、他人のしないことをする、が信条の辺境作家。なんと腰痛に!地獄からの生還を期して地図なき旅が始まった。カリスマ治療師からも見放され、難病の可能性まで急浮上。画期的な運動療法で自力更生ルートを選んだり、はたまた獣医や心療内科の扉も叩き…。腰痛という未知の世界に迷い込み、腰痛治療という密林で悪戦苦闘。とことん腰痛と向き合った、前代未聞の体験記。
いやー、これは自分で言うのもなんだけど、完璧だね。
全然有名じゃないけど、超面白い。かと言って著者は『クレイジージャーニー』に出演して一躍有名になった高野秀行だし、外界との接点があるのもいい。取っ掛かりがある。
しかもテーマが“腰痛”だ。2018年現在、日本での罹患者が2800万人を超えているぐらいメジャーな病気である。
日本を代表するクレイジージャーニーがこんな身近なテーマに挑んでいる、というギャップもまたいいじゃないか。
他人の不幸はこんなにも面白い
この本の魅力は以下の1点に絞られる。
他人の不幸を仔細に観察するという愉悦。
もうこれだけの魅力で、本当に一気読みしてしまった。ノンフィクションもので睡眠時間を削ってまで一気読みしたのは、たぶん初めてじゃないだろうか。
多くの方と同じように私は自分のことを「そこまでの善人ではないかもしれないけど、そこまでの悪人でもない」と思っている。そんな私なので、他人の不幸にはそれなりに心を痛めるし、みんな幸せになってもらいたいと素直に思う。
だけど…
言いたくはないが…
やっぱり他人の不幸っておもしれーわ。
もちろん『腰痛探検家』の場合、書いているのがプロの物書きだからこそ、みんなが楽しめるようにパッケージングされているわけで、純度100%高野秀行の不幸を楽しんでいるわけではない。著者の腕前に助けられている部分は大きいだろう。
でも、それでもやはり彼の身の上に降り掛かった不幸には思わず笑ってしまう。
腰痛になったことそれよりも、重度の腰痛を抱えたことによって変わっていく高野秀行の思考が面白い。
たとえばこんな一節がある。記憶頼りなので正確な引用ではない。
「今の私は何を見ても腰痛を基準にしか考えられない。電車で立っている人を見ただけで、“なんて凄い人なんだ”と思ってしまう」
これが四六時中なのだ。腰痛という病に掛かったというよりも、腰痛のことしか考えられない人になってしまっているのだ。そしてその状況をなんとかしようと奮闘している姿がどうにも無様で、たまらなく愛おしいのだ。なにせ飼い犬を見ても「その動きは腰痛持ちにはできない」みたいなことを考えるのだ。
ばかばかしいのに本人はいたって必死だから、そのギャップが余計に面白くなってしまう。
ハマれる、という強さ
高野秀行の著作はもうすでにかなりの数を読んでいるが、『腰痛探検家』に限らず彼はとにかく“ものごとにハマる力”が凄まじい。
本当の意味で命がけであらゆる場所に身を投じている。
その力がどこから出てくるのかといえば、非常に単純である。ただただ「見たい」「知りたい」「体感したい」という人間の原初的な欲求に従っているだけなのだ。まるで赤ちゃんである。
高野秀行はその溢れる“赤ちゃん力”を存分に使って、己の信条としている「他人の行かないところへ行き、他人のしないことをし、それを面白おかしく書く」を実践しているのだ。
当たり前の話だが、多くの人はここまでハマることができない。興味を持ったとしても、さわりだけとか、他の人がやっていることで満足してしまうものだ。なかなか欲求に任せて突き抜けることができない。健全だとは思うが。
というか、そもそもそんなに強烈な欲求自体がない。悟り世代なんて言われるが、これだけ豊かな社会に暮らしておきながら、いつまでも貪っていられる方が難しいだろう。高野秀行が変態なだけだ。
タイトルで損する作家
今のところ高野秀行作品で「これはハズレだったな」というものには出会っていない。恐ろしく分厚い『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』も読み始めたときはうんざりしたものだが、いざ興に乗ってくるとその熱量に当てられてクラクラしながら読んでしまった。
よく覚えているのだが、私はそのときおたふく風邪にかかって、超満員の病院の待合室でぐったりしていた。それでも読む手を止めることができず、おたふく風邪で脳が弱っていたこともあり、脳内を半分ソマリアにトリップさせながら読み進めていた。ふと顔を上げたときにそこが病室だったのが、やけに不思議に感じた。
なので高野秀行のことは本当に優秀な作家だと評価している。大好きだ。
しかしながらひとつ不満点というか、足りないところが目につくので一言書いておきたい。
タイトルがダサすぎねーか。
せっかく内容が最高に面白いのに、タイトルが伴っていない。というか内容に正確なタイトルを付けようとするあまり、なかなか食指が動かないものに仕上がっている。岡嶋二人と似た匂いがする。
まあただ、本好きとしては内容さえ面白ければもうそれだけで大満足なので、これは蛇足でしかない。どこからで改善されたらいいな、ぐらいの話である。
では。