どうも。
一言では語りきれない作品を紹介しよう。
内容紹介
怒り(上) (中公文庫) | ||||
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若い夫婦が自宅で惨殺され、現場には「怒」という血文字が残されていた。犯人は山神一也、二十七歳と判明するが、その行方は杳として知れず捜査は難航していた。そして事件から一年後の夏―。房総の港町で働く槇洋平・愛子親子、大手企業に勤めるゲイの藤田優馬、沖縄の離島で母と暮らす小宮山泉の前に、身元不詳の三人の男が現れた。
映画化もされた本書。本屋大賞では2015年の6位にランクインしていると来ている。これは面白くないはずがないだろう。
鬱小説?
タイトルは『怒り』。非常に強烈だ。赤字ででかでかと書かれた文字はすぐに目に入ってくる。この装丁を目にしたとき、「こりゃまた、鬱小説かなぁ」と思った。最近、そういうのが流行っているから。
もちろん、ダウナー系の小説も大好きな私。かかってこいやと言わんばかりに本書を手に取った。それなりの覚悟がなければ読めない作品だと思っていた。
しかしその予想は裏切られる。
吉田修一の巧みなストーリーテリングと、人物描写ですいすい読めること読めること。
重いテーマを抱えつつも、ここまで読者が食べやすい作品に仕上げたことは素直に賞賛したい。
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映画化するというのは単純化すること
この記事を書くにあたって映画の予告編を見た。
なんかみんなが感情を剥き出しにして、人前や街中で泣きわめいたりしている。
まあこういう手法が大事なのは分かっているが、本書を読んだあとの私からすると、「そこまで単純な作品じゃないんだけどなぁ…」と思ったりしてしまう。別に批判ではない。単なる観察である。
実際、原作の『怒り』は上下巻でトータル600ページを超える大作である。これを2時間ちょいの作品にまとめようと思ったら、かなり簡略化しなければならない。ある意味、別の作品を作り上げることと同じだと思う。
でもだからこそ、映画ならではの良さがあると思うし、そこから原作に興味を持ってもらい、出版業界にお金を落としてもらう役割もあるだろう。
ただそれでも、小説に比べて情報量が落ちるのは間違いない。
読者を翻弄する作品
『怒り』では主に3つの視点から物語が進んでいく。
一応、「誰が犯人なのか?」が物語の筋としてあって、読者はそれを頼りにページを捲っていく。
しかし、出て来る登場人物それぞれがそれぞれにかなり重い事情や問題を抱えており、一筋縄ではいかない。答えが出せずに苦しむ様子に、私たちも一緒に絡め取られる。
彼らのドラマはそれだけでも成り立つくらい、読者の関心を惹く。複雑な家庭環境もあるが、吉田修一の人物描写の巧みな筆による所が大きいと思う。
そんな魅力的なドラマがあって、しかもそれが3つも同時進行するのに、それに加えて殺人事件の犯人探しである。
これに翻弄されない読者はいないだろう。かならず感情の消化不良を起こすはずだ。「なんじゃ、こりゃぁ…」と。
それこそ本書の醍醐味だと私は思っている。存分に放り投げられてほしい。
怒りがテーマではない
あまりにも強烈な『怒り』というタイトルなので、激烈な内容を想像したり期待してしまうかもしれない。しかし、まったく「怒っていない」のがこの作品である。
たぶん、著者の吉田修一自身もタイトルはどうしようか悩んだんじゃないだろうか。
そして編集部との話し合いの上で、書店で並んでいるときの効果や分かりやすさ、インパクトなどを考慮して、「怒り」を選んだのだと思う。
残酷な描写は確かにある。心底、不快な奴も出てくる。だが読んでもらえば分かるが、本書のテーマはもっと別のところにあるし、最初にも書いた通り、簡単に一言で語れるような作品ではないのだ。
読み応えのある作品を楽しみたいのであれば
はっきり言って、ライトに楽しめるような作品ではない。まあそんなことは「怒り」なんていうタイトルからして誰も期待してはいないだろう。
確かな重さはあるにしても、吉田修一は非常にリーダビリティの高い作家なので、物語自体は圧倒的なスピードで進んでいくはずだ。
しかし、何度も書くように一筋縄でいく作品ではない。
登場人物たちの葛藤や苦しみ、疑惑、救済、愛情などなど、読者が受け止めなければならないものは非常に多く、そして大きい。きっとそれに圧倒されることだろう。
小説には色々な楽しみ方があるだろうが、本作は確実に「受け止めること」を楽しむ作品である。それだけの器がある人しか楽しめない作品なのだ。
登場人物たちの苦しみも悲しみも、そしてささいな昇華も、その心に寄り添い、間近で見つめることができれば最高の読書体験になると思う。
じっくりと時間をかけて楽しんでもらいたい作品である。
以上。
怒り(上) (中公文庫) | ||||
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