どうも。
面白い本に出会ったのでご紹介。
孤独の価値 (幻冬舎新書) | ||||
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相変わらずの森博嗣節で大満足させてもらった。
孤独はいけないものと決めつけている
本書の内容を要約すると、「孤独はいけないものではない。人にとって必要なもの。いけないと決めつけているだけ」になるだろうか。
森博嗣の著作ではたびたび語られているが、私たちは本当に安易に色々なことを決めつけてしまう。メディアが作り出したイメージで脳内が凝り固まっている。しかも自分にはその認識がない。たちが悪い。
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寂しいからいけない?
トップの画像もそうだが、孤独というのはやはり寂しい印象を受ける。寂しいという言葉にいいイメージはないだろう。だけど寂しいことはなぜいけないのか?と考えてみるとどうだろうか。
「いや、だって寂しいときに気持ちはツライじゃないか」
とあなたは思うかもしれない。だが考えてみてほしい。
「じゃあツライことは必要ないのか?」
嫌なことは価値がないなんて考えている人は少ないだろう。勉強、トレーニング、運動、食習慣などなど、世の中には「嫌だけど自分のためになるもの」がたくさんある。
モノの価値を判断するときに、感情で測ることは多いと思う。だけど感情で判断するときというのは大抵間違っている。感情には長期的な視点は含まれていないからだ。
極端な話だが、人を殺してしまうような強烈な感情は、完全に間違っていると言えるだろう。そこに論理はないのだ。
つながってる人が正義
今の世の中には「つながり」が溢れかえっている。いつでも誰かとつながっていられる。ネット上で何万人もの人と触れ合うことだってできる。
「たくさんの人に囲まれている」という言葉にはやはりいいイメージがある。
暖色に溢れたイメージになるだろう。これも作られたイメージである。
こういったイメージに私たちは取り憑かれていて、自然と善悪の二元論に落とし込んでしまっている。はっきり言ってアホである。自分のことだけど。
何か事件があったときに「容疑者は周囲から孤立しており…」という言い方をされる。孤立していたらいけない、と暗に言っているのと同じだ。
もう一度考えてみよう。孤独だと何がいけないのか?
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孤独が生み出すもの
自分の話をする。
私は職場で100人を超える部下に囲まれている。人間だらけである。仕事中は常に誰かと喋っている。口と頭が疲れるのが私の仕事である。
そんな私のストレス発散方法は読書だった。
常に人に囲まれる生活を繰り返していた私にとって、ひとりで完結できるという経験が堪らなく贅沢だったのだと思う。
本の世界に没頭し、自分の頭の中だけに集中する。周りの人の考えや感情を気にする必要がない、自由な時間だった。
人と接することは多かれ少なかれストレスを伴う。
それに対して、ひとりの時間というのは、自分を知り、自分を調整し、自分を慰める時間だと思う。別に下ネタではない。下ネタでもいいけど。
大体にして寝るときはひとりだ。みんなで寝るのが楽しい、という人は稀だろう。調べたことがないから知らんけど。
癒やしの時間は基本的にひとりの方が効率がいいものだ。
孤独こそが贅沢
これだけ人とつながる手段に溢れ、機会に溢れた現代だからこそ、孤独には価値があるし、孤独こそが贅沢なのだ。
人と一緒にいることでしか味わえないことは確かにある。仕事は基本的にチームワークだ。みんなが大好きな甲子園なんて最たるものだろう。
だがあまりにもチームや協力することを美化しすぎなのだ。
怖いのは、「孤独はダメなんだ」と思ってしまった人の逃げ場がなくなってしまうことだ。
別に孤独でもいい。人と一緒にいるのが苦手だっていい。本人が好きなように(他人にできるだけ迷惑をかけないようにさえすれば)生きればいいのだ。そこに「善悪」は存在しないはずである。
だけど、この世の中は基本的に協力することを美とするし、孤独を醜とする雰囲気が蔓延してしまっている。
自分の頭で考えることが大事だ。だけど、世の中はあまりにもイメージで溢れすぎていて、私のような凡人はイメージに完全に乗っ取られてしまっている。
それを悲しいと感じさせられた本だった。
ぜひご一読いただきたい。
孤独の価値 (幻冬舎新書) | ||||
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