比類なき犯罪小説を紹介しよう。
紛れもない傑作『奪取』
奪取(上) (講談社文庫) | ||||
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偽札をつくりあげた者が勝利者となる!傑作長編
1260万円。友人の雅人がヤクザの街金にはめられて作った借金を返すため、大胆な偽札作りを2人で実行しようとする道郎・22歳。パソコンや機械に詳しい彼ならではのアイデアで、大金入手まであと一歩と迫ったが…。日本推理作家協会賞と山本周五郎賞をW受賞した、涙と笑いの傑作長編サスペンス!
タイトルの“奪取” はきっと“Dash”という意味も込められているのであろう。偽札作りという犯罪行為を疾走感溢れる筆致で描写している。読後の爽快感は、まさに全力で走りきったかのようである。
控えめに言っても最高の作品だ。
では、以下にこの『奪取』がどれだけ優れているかを細かく説明していこう。
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変態的に緻密
物語は主人公の道郎がとある出来事から金を必要とすることから始まる。何とかして金を稼がなければ…。悩んだ挙句に彼がたどり着いた結論は、「いっそ金を作ってしまえ」というもの。
乱暴そのものなアイデアだが、これを試行錯誤していく様子が物語の本筋になる。
偽札を作る、と書くのは簡単だし思いつくのも簡単。しかし実際に成功させるには数多くの難関が待ち受けている。
それをひとつひとつ、懇切丁寧に、いっそ変態的と言えるぐらい緻密に真保裕一は書き込んでいく。
困難にぶつかるたびに主人公たちが知恵を絞り、勇気を出し、乗り越えていく様は、犯罪小説にも関わらず素直に応援してしまうだろう。気分は完全に偽札作りの一員である。
こんなこと書くのは問題あるだろうが、本当にちょっと偽札を作ってみたくなるぐらいリアリティのある内容だ。
ちなみにAmazonの評価レビューでは私とはまったく逆の「リアリティがない」という意見もあり低評価になっていたので、私は幸せ者だったと言えよう。
物語というのは、人によっても評価が様変わりするし、同じ人でも出会う時期で変わるものだ。つまらなかった方にはご愁傷様としか言えない。運が悪かったのだろう。
著者の執念の賜物
私は小説を書く人間ではないのだが、それでも異常な作品に出会うと著者に畏敬の念を覚えてしまう。よくぞこんな作品を生み出してくれた、と。
徹底的な取材を積み重ねたであろう作品や、極上のアイデアを注ぎ込んだ作品に出会うと、特にそう思う。
そしてそのどちらの要素もあるのが『奪取』である。
偽札作りをするために、非常に現実的な方法が描かれていて、そこには圧倒的な取材料と、知識が盛り込まれている。
そして物語そのものへのアイデアも盛り込みまくっている。
これだけ偽札作りの内容が充実しているのだから、それだけでも十分面白い作品になっただろうし、作品としての価値もあったと思う。
なのに物語も手を抜いていない。どころか技の限りを尽くしている。一捻りも二捻りもしてあり、読者は上下巻に及ぶこの分厚い物語を翻弄されながら一気に読むことになる。そして呆気に取られるようなラストへと向かう。
これだけの作品を生み出すのに著者がどれくらいの情熱を注いでくれたか計り知れない。その創作への姿勢に素直に頭を垂れる思いである。
こういう変態がいてくれるおかげで、私のような読書中毒は命を永らえていると言っても過言ではないだろう。
圧倒的なスピード感
最初にも書いたが、この物語の最大の魅力は全力疾走と同等のスピード感にある。まさにDashだ。
上下巻で全900ページを越えているのだが、まったく長さを感じさせないし、むしろここまで読ませる作品になってしまうと、「いっそ読み終わりたくない…!」とさえ願うほどである。
これだけのスピード感を生み出しているのは、著者のアニメーターのとしての経歴から来るものだと思われる。とにかく読者を運ぶのが上手いのだ。それは二転三転する展開であり、キャラクターたちの感情の動きである。
小説におけるスピード感というのは、つまるところ「夢中になっているか」である。時間や文字を読んでいるという意識をどれだけ奪うか、である。
そのためには、読者にリズムよく情報を提供しなけらばならない。引っかかるような文章は禁物だし、悠長な描写もダメ、分かりにくい話の展開もNGだし、冗長な物語なんて以ての外である。
『奪取』を評価する人の中に「ハリウッド映画のよう」と書いている人がいたが、まさにその通りだ。ハリウッド映画が大金をかけて、限りあるあの2時間あまりを極限まで洗練させるのは、観客に暇な時間を与えないためである。そのために色々な技術をこしらえているのだ。
『奪取』も同じように、この極上の物語を「夢中」で楽しんでもらうため、ただそれだけのために「圧倒的な取材」や「読者を翻弄する展開」、「感情移入できるキャラクター」を用いているのだ。すべては読者のためである。作者は出来得る限りのことをしてくれた。あとは私たち読者が食すだけである。
キャラクターの息遣い
アニメーターとしての経歴がある真保裕一は、スタジオでキャラクターの重要性について学んだ。キャラクターの設定こそが、実は作品自体の面白さや説得力に繋がるのだそうだ。そのためには病的なまでにキャラクターの設定を細かく決め、そこに妥協してはいけない。
その学びがあったからだろうか、彼の小説では登場人物たちが非常に生き生きと活動している。特にこの『奪取』や映画化もされた『ホワイトアウト』は秀逸だ。彼らの息遣いをすぐそこに感じるぐらいだ。
そしてそれだけキャラクターに命を与えているからこそ、作品に説得力が生まれる。
映画やドラマでもそうだが、役者が本気になっていなければ画面の向こう側にいる人間の心を動かすことはできないし、むしろ白けるだろう。この辺り、詐欺も一緒である。詐欺師自身が信じていれば客も騙されるそうなのだ。
もしかしたら命を与えすぎて、「こんな普通のやつが主人公なのかよ」なんて思われるかもしれない。でもそれぐらい「普通」に感じられるからこそ、物語がより実感でき、手に取るように楽しめるのだと私は思う。
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面白い小説とは…?
物語良し、キャラクター良し、題材も不謹慎ながら良し、読後感も爽快。まさに非の打ち所がない作品である。
もちろん私はこの『奪取』を面白い小説として、皆さんに紹介している。
…のだが、ふと思う。
面白い小説ってなんぞや、と。
面白さなんていう曖昧なものは、十人十色千差万別である。私のような小市民が決められるようなものではない。もっとブッダとか、キリストとか、うーん…美輪明宏とかあのへんの括りの人が決めることだろう。
なのでここで書くのは、あくまでもいち読書好きの偏った、そして未熟な意見である。
私が小説に求めるのは、「人生を使う価値がある」ことだ。
読書は私にとって趣味であるが、それと同時に限りある人生という名の時間を注ぎたい行為なのだ。つまり大げさに言って、読書に人生をかけているのだ。
だからこそ私は小説に限らず本というものに、「人生を使う価値がある」ことを求めたい。そこに余計な条件は付けない。笑えるでもいいし、呆れるでもいいし、怒りでもいいし、勉強でも成長でも、なんでもいい。私に「価値があった」と思わせるものがそこにあってほしい。
そしてその価値に触れたとき、間違いないと思える手応えがあったとき、その作品を読んだことを感謝したくなったとき、私は胸を張って「面白い小説」だと言えるし、言いたくなるのだ。私はこの衝動を大事にして生きていきたいと思う。
最後は全然関係ない話をしてしまったが、以上が『奪取』の紹介になる。
あなたの貴重な人生を使う価値がある作品であることを願う次第だ。
以上。
奪取(上) (講談社文庫) | ||||
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