ふかわりょうではない。
達者な作家
上手い作家がいる。
それは文章の上手さであり、ストーリーテリングの上手さであり、表現の上手さであり、ときに読者を煙に巻く上手さだったりする。
この記事の主役である乙一は間違いなく上手い作家である。読者を翻弄させたら日本でも屈指の実力を持っているだろう。
彼の作品は読者を誑かし、欺き、ときに涙させ、そして最終的にはあとがきで笑わせてくる。
とにかく食えない作家だ。なかなか本心が見えない。もしかしたら本心なんてものはないのかもしれない。
寡作ながら素晴らしい作品をたくさん発表してきた彼だが、どの作品もどこか“距離”を感じさせる。彼の内面に一歩踏み込ませないような作風で、それは登場人物にも反映されているような気がする。悪い表現をするならば、無機質な人物がよく出てくる。
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小説というのは極論を言えば、感情の流れである。誰が何を思い、どんな体験をし、最終的にどんな感情に至ったかを文章で表現する手段である。
なのに乙一の小説に出てくる人物は感情が乏しいのだ。小説の肝である感情が、である。なのに彼の作品は胸に響く。そして多くの人を虜にしている。
これは異常だ。
どうして乙一の作品がここまで人を誑かすのかはよく分からない。もしかしたら、あの「感情の伺えなさ」が逆に人を魅了するのかもしれない。与えられないと欲しくなる心理に近いものがある。
これを上手いと言わずになんと言おうか。
オススメ作品を紹介
考えてみれば乙一は常に読者を翻弄していた。
デビュー作の『夏と花火と私の死体』なんて死体の目線から語られる物語という、今まで聞いたこともないものだったし、初期のどんでん返しを多用した作品もそうだし、あっさりと飛び出す残酷描写もそうだし、それなのに切なさに溢れた作品で読者の心を打ちのめしたりしてくる。
それだけ振り回されてしまえば、読者は「次はどんなことしてくれるんだ!」と涎を垂らして次作を待ってしまうのに、かと思ったら「映画を作ります」とか言い出してしまうし、しばらく筆を置いていたかと思えば別のペンネームで作品を発表しまくっているし。
とにかく食えない男なのだ。そしてそれが彼の尽きることない魅力を生み出している。
気のある素振りを見せながらも、なかなか触れさせてくれない小悪魔ちゃんみたいな男である。なんて気持ちの悪いやつだ(褒め言葉)。
ということで、そんな私の大好きな乙一&彼の別名義の作品の中で、特にオススメと呼べるものを紹介したいと思う。
さまざまな顔を持ち、そしてそのどれもが高いクオリティを発揮している。
乙一の深遠なる世界に誘おうじゃないか。
では行ってみよう。
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暗いところで待ち合わせ
視力をなくし、独り静かに暮らすミチル。職場の人間関係に悩むアキヒロ。駅のホームで起きた殺人事件が、寂しい二人を引き合わせた。犯人として追われるアキヒロは、ミチルの家へ逃げ込み、居間の隅にうずくまる。他人の気配に怯えるミチルは、身を守るため、知らない振りをしようと決める。奇妙な同棲生活が始まった―。
実写映画化もされた変態作品である。
もう設定からして乙一の変態性に溢れている。そしてこの現実感の無さである。
だがこれがまた切なくも優しい物語なのだ。これさえ読めば、乙一の魅力を理解してくれることであろう。
フィクションを作る上で大事なのは、読者への説得力(物語世界を認めさせる力)だと思っているのだが、乙一は申し分ないだろう。これだけ異常な設定でもこれだけ引き込まれてしまうのだから。
ZOO
Amazonの紹介文を読んで笑ってしまった。
ジャンル分け不能、天才・乙一の傑作短編集。
たったこれだけ。文章量が多ければいいってもんでもないがこれはないだろう。
とはいえ、実は私もこの作品集をどう表現したらいいのかよく分からない。
雑多に奇々怪々の物語が詰め込まれているのだが、これがまた気持ち悪くも気持ち良いという複雑な感情をもたらす。まさに乙一である。
天才が「とにかく思いついたアイデアを並べ立てました」という感じの作品集である。
収録作の中では「陽だまりの詩」が一番好き。
GOTH
森野夜が拾った一冊の手帳。そこには女性がさらわれ、山奥で切り刻まれていく過程が克明に記されていた。これは、最近騒がれている連続殺人犯の日記ではないのか。もしも本物だとすれば、最新の犠牲者はまだ警察に発見されぬまま、犯行現場に立ちすくんでいるはずだ。「彼女に会いにいかない?」と森野は「僕」を誘う…。人間の残酷な面を覗きたがる悪趣味な若者たち―“GOTH”を描き第三回本格ミステリ大賞に輝いた、乙一の跳躍点というべき作品。
この作品で乙一の名が世に知らしめられた。名刺代わりの一発だろう。
できれば『GOTH』はミステリー初心者にこそ読んでほしい。私がそうだったのでかなりバイアスのかかった意見だとは自分でも重々承知なのだが、それでもこの傑作集は初心者であればあるほど破壊力と影響力を増すと確信している。極上だぞこれ。
ただ少々残念なのは、単行本(ハードカバー)のときの並びが失われていること。あの並びだったからこそあれだけの興奮をもたらしてくれたのに、なんでわざわざ分冊なんて愚行をしてしまったのだろうか。
もちろん出版社の金儲けのためである。それだけドル箱の作家だったということだろう。
メアリー・スーを殺して
「もうわすれたの? きみが私を殺したんじゃないか」
(「メアリー・スーを殺して」より)合わせて全七編の夢幻の世界を、安達寛高氏が全作解説。
書下ろしを含む、すべて単行本未収録作品。
夢の異空間へと誘う、異色アンソロジー。
上記の3作品を読んでもらった方であれば、次は乙一の別名義の作品が気になってくることだろう。でもいきなり手を出すのは気が引ける。とんでもないハズレだったらどうしようか、嫌いな作風だったらどうしよう、なんて思う人は少なくないだろう。
そんな人にオススメなのがこちらの『メアリー・スーを殺して』である。
衝撃的なタイトルだが、内容は乙一の別名義の作品をまとめたもの。乙一が各ペンネームでどんな作品を生み出しているか、つまみ食いができる内容になっている。
きっと乙一の才能の底知れ無さを思い知ることになるだろう。
くちびるに歌を
長崎県五島列島のある中学合唱部が物語の舞台。合唱部顧問の音楽教師・松山先生は、産休に入るため、中学時代の同級生で東京の音大に進んだ柏木に、1年間の期限付きで合唱部の指導を依頼する。
それまでは、女子合唱部員しかいなかったが、美人の柏木先生に魅せられ、男子生徒が多数入部。ほどなくして練習にまじめに打ち込まない男子部員と女子部員の対立が激化する。
一方で、柏木先生は、Nコン(NHK全国学校音楽コンクール)の課題曲「手紙~拝啓 十五の君へ~」にちなみ、十五年後の自分に向けて手紙を書くよう、部員たちに宿題を課していた。
提出は義務づけていなかったこともあってか、彼らの書いた手紙には、誰にもいえない、等身大の秘密が綴られていた--。
中田永一名義作品の中では最高傑作だと思っている。おっさんになったせいか、こういう学生のキラキラした感じの作品がたまらなく、たまらなくなってしまっている。日本語が怪しくなるぐらいたまらないのだ。
子供の頃ってのはどうしても視野が狭くなりがちだが、それだからこそ目の前のものに夢中になれる。そして人生の基盤となりえるものを見つけることができる。
そんな人生の大事な時間を切り取った作品である。
部活っていいよね。
それにしても、作品の終盤に向けて仕掛けられた中田永一の罠には、本当に泣かされてしまった。ずるいだろ、あんなの。
エムブリヲ奇譚
「わすれたほうがいいことも、この世には、あるのだ」無名の温泉地を求める旅本作家の和泉蝋庵。荷物持ちとして旅に同行する耳彦は、蝋庵の悪癖ともいえる迷い癖のせいで常に災厄に見舞われている。幾度も輪廻を巡る少女や、湯煙のむこうに佇む死に別れた幼馴染み。そして“エムブリヲ”と呼ばれる哀しき胎児。出会いと別れを繰り返し、辿りついた先にあるものは、極楽かこの世の地獄か。哀しくも切ない道中記、ここに開幕。
ホラー作家という触れ込みでデビューした乙一だが、ファンである私としては彼のことをホラー作家だと思ったことはない。デビュー作こそ「死体に語らせる」というホラーチックなものだっがが、それ以降は特にそんな作品を発表していない。
確かに乙一特有の残酷描写に溢れた作品はある。だが、残酷さと怖さは違うだろ、と私は思う。
その点、山白朝子名義で発表している作品はホラーと呼んでも差し支えないだろう。
乙一らしい乾いた文体で語られる怪しい物語は、独特の気味悪さと、そして切なさを生み出す。
初期の乙一は「ホラーってなんだ?」と困惑している感じがあったが、ここへ来て自分なりの感覚を掴んだようである。
私の頭が正常であったなら
突然幽霊が見えるようになり日常を失った夫婦、首を失いながらも生き続ける奇妙な鶏、記憶を失くすことで未来予知をするカップル、書きたいものを失くしてしまった小説家、娘に対する愛情を失った母親、家族との思い出を失うことを恐れる男、元夫によって目の前で愛娘を亡くした女、そして事故で自らの命を失ってしまった少女。暗闇のなかにそっと灯りがともるような、おそろしくもうつくしい八つの“喪失”の物語。
まずタイトルが秀逸。独特の悲しみが感じられる。それに装丁が美しい。これだけでも十分に読む価値がある、と思ってしまう私はマニアである。
で、『私の頭が正常であったなら』だ。
なかなか沁みる短編集である。乙一らしい平易な文章に、突然入り込むホラー描写。これがまた相性がよろしい。不意を突かれるようで「ゾクッ」としてしまう。
それにまた切なさの扱い方も上手い。いや、美味い。こんなに美味しいホラー、なかなかないぞ。
収録されている作品のどれもが高品質で、ひとつ読み終わると「早く次を!」となってしまうだろう。おかわり自由である。存分に味わいたまえ。
小生物語
多数の熱狂と興奮を喚んだ現代の「奇書」がついに文庫版で登場。希代のミステリー作家・乙一の波瀾万丈、奇々怪怪にして平穏無事な日常が独特の“ゆるゆる”な文体で綴られる。虚実入り交じった小説家の一六四日間をご堪能ください!
さて、これだけ多彩な作風で活躍している乙一。彼の作品を一度読めばファンになることは間違いなく、そうなると今度は「こんな凄え作品を書いているこいつは何者なんだ?」と思うだろう。
そんな皆様の希望に応えてくれるのが本書『小生物語』である。
最初にも書いたが、本当に人を食った男である。全然手の内を明かさない。明かしてくれない。
エッセイという名の落書きである。だがこれがまた面白いのだから困る。
失はれる物語
目覚めると、私は闇の中にいた。交通事故により全身不随のうえ音も視覚も、五感の全てを奪われていたのだ。残ったのは右腕の皮膚感覚のみ。ピアニストの妻はその腕を鍵盤に見立て、日日の想いを演奏で伝えることを思いつく。それは、永劫の囚人となった私の唯一の救いとなるが…。
さあこの記事もこれで最後となる。
最後に紹介するのは彼の最高傑作だと私が勝手に思っている『失はれる物語』だ。
乙一作品はどれも彼らしく、彼の良さが詰まっているものばかりなのだが、『失はれる物語』ほど魅力を凝縮した作品はないだろう。
文章、表現、アイデア…どれを取っても素晴らしいとしか言いようのない作品集だ。
それも実は当たり前の話で、元々角川書店で発表されていた乙一の短編集から、選りすぐりの6作品を収録しているのだ。いわばベストアルバム的作品集である。名作にならないはずがない。
収録作品はどれも大好きなのだが、やはり表題作の『失はれる物語』と『子猫のあれ』が一番である。
蛇足だが、この本にも苦言を呈したい。
装丁である。単行本の装丁は神がかっていた。表題作の世界観を現世に具現化したような装丁でそれも込み最高だった。だが文庫版の装丁ときたら…。いや、そこまで酷いものでもないのだが、単行本があまりにも素晴らしかったので見劣りしているように感じてしまっているだけだとは分かっているのだが…。
以上。参考にされたし。
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