慣れと照れは最大の敵。
どうも。結婚6年めのひろたつです。ケンカばっかしてますが、愛妻家です。自称ですがきっとそうです。
身近な人に感謝するのはムズい
以前、『7つの習慣』という本の中で、「大勢の人間の前で真摯に振る舞うよりも、身近な人に真摯な態度で接することの方がはるかに難しい」みたいなことが書いてあって、確かに、と妙に納得した記憶がある。
身近であるがゆえにおざなりにしがちだし、身近であるがゆえに存在のありがたさを忘れてしまったりする。
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相手への慣れ
この現象の主な原因はふたつある。
ひとつは、相手への慣れ(依存)である。
長年寄り添うと、お互いにルーチンが決まりきっており、それが当たり前になる。当たり前になると、人は“見えなくなる”。
相手にどれだけ負担がかかっていたとしても、それが当たり前なのだから、心の琴線に触れることはない。何も起こっていないのと同じになる。
これは完全に甘えである。
食事を作ってもらうこと、
掃除をすること、
洗濯をすること、
仕事をしてもらうこと、
子供の面倒をみてもらうこと、
などなど、それが繰り返されると当たり前になり、相手への感謝なんて湧きようがない。信号機にお礼を言うようなものだ。そんな奴見たことないだろう。
人は知らず知らずのうちに依存する。気が付けば依存しているのだ。いや、むしろ気付かないままの方が多いかもしれない。そして、少しでも自分の甘えが阻害されると相手に対して嫌悪感を抱く。「なんでやってないんだよ」と。
相手への照れ
もうひとつは照れである。
仕事で会う人や、ご近所さんなどは、いくらでも演技が通用する。お愛想も使えるだろうし、大して感謝をしていなくても「ありがとうございます」と言えてしまう。社会はそういう“上辺”で成り立っている部分が大きい。お互いに上手な上辺を見せ合うことが大人な関係と言える。
だが長く一緒にいると、これが通用しない。
お互いの人間性を知り尽くしているので、下手な演技はできなくなる。
相手にバレバレなので、恥ずかしくて「ありがとう」とか「愛してる」という言葉が使えなくなるのだ。または、普段言わないようなことを言うことに対しての照れである。
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本当は簡単なんだけど
どちらも一度ハマるとなかなか抜け出すことは難しいだろう。お互いに感謝を言い合わない関係になってしまっているからだ。
実のことを言えば、身近な人に感謝の気持ちを持つことはさほど難しくはない。ありがたいことをしてもらえているのであれば、簡単である。ただ、長い間感謝することを忘れていると、難しくなるだけだ。
熟年離婚が示す通り、長く連れ添ったからと言って仲が良いことにはならない。
むしろ相手の嫌な部分を知り尽くした結果、地球で一番嫌いな存在に成り果てているかもしれない。相方の悪口を言っている人はよくいる。
でも、嫌な所や足りない部分があったとしても、「お互い様だよね」という気持ちがあれば、そんな冷めきった関係にはならない。
自分の未熟さを認め、相手への敬意を忘れず「いつも、ありがとう」と言えれば、その関係は多少のぶつかり合いはあったとしても、良好でいられるはずだ。
幸せになる方法
人が一番簡単に幸せになる方法は、感謝することだと何かの本で読んだ。
本当にそう思う。
身近にいる人の存在をそこら辺の石ころぐらいに思うのではなく、かけがえのない人だと感謝できれば、こんなに幸せなことはない。
まあその分、失ったときの悲しみも大きくなってしまうのだが…。
ということで、私は普段から奥さんに「いつも、ありがとう」を欠かさないようにしているのであった。恥ずかしがり屋の私は照れるようになったら、絶対に言えなくなるのが自分でも分かっているからだ。
予想される未来に対して対策が打てるのは、人間に備わった知恵である。
以上。