どうも。
メイプル超合金のカズレーザーが相変わらず世間から関心を持たれっぱなしである。
今この記事を書いている2016年8月現在、週に2.3回はライブドアニュースにカズレーザーの話題が載っているような気がする。
確かに面白い男だと思うし、私も興味が尽きないのだがちょっと過熱し過ぎというか、そこまでポピュラーに受け入れるべき存在でもないと思うので、今の状況は異常な気がする。まあそれをブレイクと言うのかもしれんが。
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カズレーザークリニック
最近特に言及されるのが、カズレーザーの名言である。
『お願い!ランキング』内の超人気企画である『カズレーザークリニック』というやつが元ネタなのだが、まあそれはもうみんな感心しっぱなしなのである。
動画がこちら。
出てくる高学歴美女の能力がそもそも凄すぎて面白い。なんだルービックキューブ複数目隠しって。超越しすぎだろ。暗算のやつもこういう人がいるのは知ってたけど、実際に見るととんでもないな…。
確かに痛快っちゃあ痛快なんだけどね。「好奇心が一番学問を育てる」とか「口の上手いヤブ医者より黙ってる名医」とか。
ただそこまで過熱することなのかと。
みんな大好きなんだろうなぁ
この騒ぎようを見ていると、「みんなカズレーザーが大好きなんだろうなぁ」と思う。
別に誰が誰に夢中になろうと構わんのだが、私はこの「大好き」という状態に懐疑的である。別にカズレーザーのことを好きな人がいるのは認めるが、あまりにも騒ぎ立てる人たちというのは、祭りのときだけ盛り上がるやつらと同じ軽薄さを感じてしまうのだ。
ブームに乗るもの結構だが、あまりにも見境がなく、しかもブームが去ってしまったらいなくなってしまうような人たちが私はあまり好きではない。
大体にして、「大好き」というのは人間としてまともな状態とは言えない。異常である。そんな異常な状態はそう長く続かないし、それを意識せずにその場のノリや空気だけで「カズレーザーすげえ!」と盛りたてる人はやっぱり不愉快である。
言葉よりも誰が言っているか
ブームや権威が付いてしまうとどうしても、内容そのものよりも誰が言っているのかを重視してしまいがちである。それは当然私も同じである。競馬場で痰をそこら辺に吐いているおっさんが言うことよりも、西村ひろゆきが語ることの方が重要に感じてしまうし、興味がある。
興味が偏るのも、評価が歪になってしまうのも仕方のないことなのだが、それでも自分の中にそういう傾向があることぐらいは意識したいものである。自分が酔っていることに気付かない酔っぱらいほどタチの悪いものはないのだ。
きっとこのカズレーザーの名言たちも、彼の風貌や軽そうな雰囲気との落差にやられているだけだと思う。
言っていることは勿論素晴らしいと思うし、面白いのだが、それよりもやっぱり偏見が助長している要素が大きいように感じてしまう。平坦に見ていない感じが。
これはつまりヤンキーが犬の世話をしているのと同じ現象である。
ヤンキーには脅威を感じるから、そんな人が犬の世話していると「本当はいい人なんだ」と安心したい。
同じように、異常そのものであるカズレーザーがまともなことを語ると「やっぱり本当はまともな人なんだ。理解できる人なんだ」と思いたいんだろう。カズレーザーを好きだからこそ、足りない所があってほしくないんだろう。 好きってのは大概そういうものである。
以上。