どうも。
日本では人に反省を強要する習慣がある。
何か悪いことをしたときや、誰かを傷つけたとき。誰にも迷惑をかけていなくても、反社会的行為をしてしまったときなどに反省することを求め、時には公衆の面前で謝罪させる。
しかしちょっと考えてみてほしい。自分に置き換えてみればすぐに分かると思うんだけど、人間ってそんな簡単に反省なんかできるものじゃないから。
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反省は自分のことを考えたあとにやってくる
例えばあなたが自転車に乗っていた。
突然目の前に幼稚園ぐらいの子供が飛び出してきて、あなたは急ブレーキをかけたものの間に合わず、そのまま子供を轢いてしまう。
そこは坂道だったのでかなりのスピードが出ていた。
自分も派手に転倒し、着地のときに地面についた利き手は、手首が関節とは逆の方向にひん曲がっていた。
そして背後では泣き叫ぶ母親とぐったりと動かない子供の姿が。
その後、救急車がやってきてあなたと子供は病院に運ばれた。
診断の結果。あなたは利き手の骨折。子供は即死だった。
例え話なので存分に想像力を働かせてもらいたいのだが、このときにあなたはどんなことを感じるだろうか?
「子供が可哀想」
「母親の気持ちになると胸が痛い」
「人の命を奪ってしまった」
こんな意見があるかもしれないが、多分、実際にこの状況になったらこの考えは出てこないと思う。こういった考えは一般常識ではあるが、非常に現実感がない。
実は真っ先に思うのは自分のことであって、他人のことを考えるにはある程度の余裕が必要になる。
「利き腕を骨折してしまった。生活はどうなるんだろう」
「子供を殺してしまった自分はどうなるのだろう」
「自分の人生は終わりなのだろうか」
こんな所だろう。
自分の身を案じたあとには更にこんな考えがよぎるだろう。
「あの子が飛び出してきたせいで、自分の人生は終わってしまった…」
自分のことを考えるのは普通
一般常識から考えたら、「過失とはいえ、子供の命を奪っておいて何を考えているんだ」とお叱りを受けそうだけど、これが事故を起こした人間の自然な心理だ。
誰もが自分の人生を生きており、食事を取るのも、眠るのも、体調が悪いときに病院に行くのも、究極は自分の人生のためだ。
しかし、あまりにも自分本位になりすぎると社会が成り立たなくなるから、「周りの人のことを考えなさい」というブレーキが必要になるだけで、自分のことを考えてはいけないわけではない。
自分の人生なのだから、何か問題があったときに自分の身を案じるのは当たり前のことだし、問題が起きる原因を作った人に対して憎しみを抱くのも当たり前なのだ。
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感情を押さえつけてはいけない
自分のことだけを考えろと言っているのではなく、まずは自分のことを考えて、自然に任せて感情を吐き出した人間だけが、本当の後悔や反省をできるということなのだ。
この手順を踏ませない空気が日本には蔓延している。
「反省しろ」「あやまりなさい」「反省の色が見えない」
そんな言葉が普通に行き交っている。これは普通のことではない。
人間は感情の生き物であって、生きていく上で必要だから感情が備わっている。
怒りの感情など、あまり使いみちが分からない感情もあるが、それでも備わっているのだから必要なのは間違いない。
その普通に備わっている機能を押さえつけるとどうなるだろうか。
いつか故障をきたすだろう。
それは犯罪という形で現れるかもしれない。
それはうつ病という形かもしれない。
それは自傷行為になるかもしれない。
体を動かさなければ血が滞って腐っていくように、感情もムリに押さえつけると腐っていくのだ。
これは日本に100万人もいるうつ病患者が証明してくれていると思う。
社会がうつ病患者を量産する仕組みなっているのだ。
反省している人を見ると気持ちいいのかな?
それにしてもなぜこんなにも日本は他人に謝罪や反省を求めるのだろうか。
私自身、なにぶんアホなもので仕事でよくミスをしたり、気がつかない内に奥さんを激怒させていることがしょっちゅうある。
そんな時、周囲は私に謝罪を求める。私だって子供じゃないので、それはもう見事なまでにペコペコと頭を下げる。しかし腹の中では「なんだよ、うんこたれ!」と毒づいてるのが正直な所だ。自分だってうんこたれなのは置いておくとしてもだ。
そんな反省しまくりの私なので、他人が謝罪や反省をしている所を見るのが非常に苦手だ。どうしても自分に置き換えてしまうのだ。「ああ…謝りたくないだろうな…」と。
なので反省を求める人を見るといつも、「謝らせると気持ち良いのかな?」と思ってしまう。そんな人はドSなのだろうか?もし反省させられている人がドMなのであれば、2人のそこの空間の中では最高に需要と供給が合致し、世界平和が実現しているだろうが、いつもいつも世の中ドSとドMが出会う訳ではないだろう。
なんの話をしているのか分からなくなってきたが、とにかくあれだ。
私に謝罪を求めるのをやめてくれ。いつも一緒にいれば私が優秀でないことぐらい分かるだろう。
私は反省を求めない。その代わり大いなる慈悲を求めたいと思う。
ちなみに、ここまで偉そうに書き上げてきたわけだが、ほとんどこの本の受け売りである。
反省させると犯罪者になります (新潮新書) | ||||
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