◯美しき日本人のみなさま
どうも、ひろたつです。
日本人の気質的に、人前で欲望をさらすのは抵抗があります。日本では常識として慎ましくあるべきだとされているからです。そこで私たちは、欲望を押し殺し、苦しみに耐え、享楽的な人生を否定します。
謙虚。寡黙。自己犠牲。日本人的美徳。
穏やかな微笑みを常にたたえつつも、苦労している様子をほんのり垣間見せて、「あの人は素晴らしいのね」と周囲に思わせる感じが理想的です。とっても日本人的。
ただ微笑んでいるだけだと、「あの人はいつも幸せそうね。ムカつく!」となるので注意です。不幸な感じは若干出しておきましょう。そうすればみんなが気持ちいいですから。
◯しゃらくせえ
そんな美意識はねえ、排泄物お召し上がりくださいですよ。
自分を押し殺すのが美意識?欲望を出すのは下品?
そうやって、自分の中のチェックリストで他人のレベルを決めているほうがよっぽど下品ですよ。本当に育ちがいい人ってのは、差別をしないらしいですからね。見た目とか人格で相手を否定しない。
大体にして、世の中のものは全て人間の欲求を満たすためにあるんですよ。
人間ってのは動物ですからね。欲求こそが人間である証です。
◯あなたはどういう人間ですか?
お金を腐るほど持っている人が、まだまだお金を欲しがっていたら「金に汚いやつだな」と思うでしょう。
女の人をとっかえひっかえしている男を見れば「動物みたいなやつだな」と思うでしょう。
高価なアクセサリーを次々と手に入れようとする人を見れば「強欲な人間だな」と思うでしょう。
太っている人が「お腹空いた」と言っていたら「卑しいやつだな」と思うでしょう。え?それはない?まあいいでしょう。
ではひとつ問いかけます。「あなたはどういう人間ですか?」
この質問に大概の人は好きなモノを答えます。「小説が好きな人間です」「サッカーが好きです」「バンドマン」などなど…。
また、性格を答える人も多いでしょう。「小心者」「人付き合いが得意」「忘れっぽい」「真面目」など。
どれもこれも欲望が形を変えているのだけだというのが、分かるでしょうか?忘れっぽいのはただバカなだけですけど。
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◯欲望こそが人格である
「真面目」という特徴ひとつとっても、それは「規律正しいものが好き。そしてそれに準じていたい」という欲求でしかありません。アライグマがさつまいもをジャブジャブやるのとなんら変わりありません。
「小説が好き」これも欲望の形です。私がまさにそうですが、「違う世界が見たい!」「普段味わえないような感情を体験したい!」という欲求を小説という物語の中に求めています。
つまり欲望というのは私たちの人格そのものなんです。何がしたい、何が好き。それが自分と他人を分かつものなんです。
なので欲望を抑える日本人的な習慣が没個性につながるのは当たり前の話です。
◯動物の自分と向き合う
とはいえ、子供の頃から我慢することが大事を教えられてきた私たちですから、「自分の欲望をさらけ出しなさい」、と言われてもなかなか難しいところがあります。欲望を表に出すのは恥ずかしいですよね。
しかしこの欲望を出す作業には、「恥ずかしさ」よりももっと高い壁がそびえています。それは「恐怖」です。
欲望というのは理性とは真反対にあるもの、とても動物的なものです。それを出すためには自分自身の中の「動物」的な部分を見つめなければなりません。この作業は「私ってとっても清廉潔白だわ!」と、自分の心に化粧を塗りたくっているような人間にはひじょーに恐怖を伴います。
だって、「自分は高尚な人間で、欲望を剥き出しにしているような動物たちとは違う」、と信じているのですから。
◯あなたらしい人生はその先にある
自分の中の欲望を見つめる。今まで汚いものと目を背けていたものに目を向ける。
この作業は非常に冒険的です。危険が伴うかもしれません。
ですが、さきほども言ったように欲望というのは「自分そのもの」です。自分の欲望を見つめたその先には、今までよりももっとハッキリとした「自分らしい人生」ってやつがあるんです。
ということで、いざゆかん!欲望を見つめる冒険へ!
※この記事は以下の本に感化されたものです。