どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回は「2018年本屋大賞ノミネート作品を読破したろうじゃねえか」の第二弾である。
ちなみに第一弾はこちら。
第二弾に選んだのは柚月裕子の『盤上の向日葵』である。
柚月裕子の作品は今までにまだ『孤狼の血』しか読んでいないのだが、それだけでも十分にファンにさせられるほど力のある作家で、今回の『盤上の向日葵』も非常に楽しみにしていた。
では内容を簡単に紹介していこう。
内容紹介
実業界の寵児で天才棋士――。
男は果たして殺人犯なのか! ? さいたま市天木山山中で発見された白骨死体。唯一残された手がかりは初代菊水月作の名駒のみ。それから4ヶ月、叩き上げ刑事・石破と、かつて将棋を志した若手刑事・佐野は真冬の天童市に降り立つ。向かう先は、世紀の一戦が行われようとしている竜昇戦会場。果たしてその先で二人が目撃したものとは! ? 日本推理作家協会賞作家が描く、渾身の将棋ミステリー!
私は以前の記事で、「藤井聡太や羽生善治永世七冠をキッカケとして将棋ブームに乗っかっている」と書いた。
まだ未読の状態での発言だったのだが、本書を読み終わって奥付を見たところ、これが完全なる間違いだったことが分かった。
決して昨今の将棋ブームに乗っかったわけではなく、元々は新聞社のネット連載で2015年の8月から書かれていた作品である。藤井聡太が騒がれるよりも遥か前なので、タイミングが重なったのはたまたまである。見当違いのイチャモンを付けて申し訳ない。
で、満を持して『盤上の向日葵』を読んでの評価だが、以下のようにまとめられる。
・オッサンを魅力的に書くのが上手すぎ。女性作家とは思えない。
・将棋要素もミステリー要素もオマケにすぎない。本質は別にある。
・将棋が分からなくてもぜんぜんOK。グイグイ惹き込んでくれる。
・連載作品ゆえか、物語としての改善の余地あり。
以下に詳しく説明していこう。
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人物(オッサン)描写が強烈
以前に読んだ『孤狼の血』でもそうだが、柚月裕子という作家は、異常なくらい人物描写が上手い。人間を作り出すのが上手い、とでも言おうか。
とにかく出てくるキャラのひとり一人に血が通っており、いちいち我々の琴線に触れてくる。特に秀逸なのがオッサンである。
女性蔑視的な発言になるが、「本当に女性なの?」と疑いたくなるぐらい柚月裕子の描くオッサンたちは魅力的だ。
加齢臭にまみれていて、脂ぎっていて、酒をかっくらい、汚らしく、下品で、粗暴。およそ女性から嫌われるであろう要素をすべて身にまとっているにも関わらず、気が付けば好きなっている。次にどんな発言をするのかが気になって仕方なくなる。
『盤上の向日葵』で出てくる最高のオッサンが“東明重慶”という真剣師だ。
真剣師というのは、賭け将棋のみを生業とする人間のことだ。
この東明重慶が物語に効きまくっている。もしかしたら、この人物を書くために『盤上の向日葵』を柚月裕子は生み出したのかもしれない。それくらいの存在感を発している。
ミステリー要素は無視して
一応『盤上の向日葵』は“将棋ミステリー”という触れ込みで紹介されている。
しかし読書中毒ブロガーとして数多の作品をオススメしてきた私からすると、この作品に対して“ミステリー要素”を前面に押し出すのは得策ではないと思う。
小説作品にリーダビリティを生み出すために“謎”は非常に効果的な役割を果たす。
しかしときに謎は、物語やドラマを楽しむ上での雑音になることがある。
上でも紹介した『かがみの孤城』の記事でも触れたが、ドラマとミステリーというのは食い合わせが悪い…というのは言い過ぎかもしれないが、どちらも物語の中で主役級の役割を果たすため、ぶつかり合って、最終的には勢いが死んでしまうことがあるのだ。
これは非常に難しい問題だ。どう折り合いをつけるかは作者の手腕によるだろう。比重を調節するのか、それとも謎というアイデア勝負のものとドラマを完全に融合できるような物語を生み出すのか…。
『盤上の向日葵』はそういう意味ではドラマ(人物)に重心を置いた作品である。というか、ほとんどドラマがメインである。物語の中で息づく登場人物たち、一人ひとりの生き様が胸に迫ってくる。人間描写が上手い柚月裕子の素晴らしい仕事が炸裂している。
実は将棋の要素もオマケだと思う
それに将棋の要素も実はそこまで重要ではないと私は考えている。
将棋自体がメインなのではなく、“将棋という深遠なる世界に触れてしまった人間たち”がメインなのだ。将棋そのものの業よりも、そこにいる人間たちの葛藤や苦しみ、喜び、命こそが『盤上の向日葵』で描かれる物語の本質である。
ミステリー要素も、将棋要素も、読み終わった私からすれば、そんなのはオマケでしかない。
なのであんまり“将棋ミステリー”という紹介をされると、この作品の魅力を落としているような気がしてならない。それこそ、未読のときに私が感じた「ブームに乗っかってるだけじゃん」となってしまう。
実際はそんな軽々しい作品ではないのに…。
偏見でしょうか?
これまで数え切れないぐらいの小説を読んできたが、最近とある傾向に気が付いた。
新聞連載の作品はグダグダが多い、である。もしかしたら連載作品は、かもしれない。
個別に紹介した記事には思いっきり書いてあるので、ここでは具体的な作品名は挙げないが、過去に新聞連載作品では何度も苦汁をなめてきた。
これは何なのだろうか?時間に追われて書いているイメージが私の中で勝手に偏見として確立してしまっているために、そうやって見えてしまっているだけなのだろうか。素直に楽しんでいないだけなのだろうか。
『盤上の向日葵』も非常に楽しめた作品ではあるものの、どこかボヤッとした印象が拭えない。これは別に『盤上の向日葵』が連載作品だと知ってから感じたことではない。読みながらどこか掴みどころが足りない印象を受けていたのだ。
テンションを左右する語り部の存在
あんまり具体的に足りない部分を書くとネタバレになるので、濁しておくが、語り部についてもうちょっと工夫する必要があったように思う。
『盤上の向日葵』は細かい章分けがされており、章ごとに語り部が移り変わる。
この語り部の移り変わりが厄介だ。ときには波乱万丈なのに、次のページでは日常が描かれる。壮絶なドラマを書き記しているのにも関わらず、語り部が弱いせいで、水を差されたようにテンションが落ち着いてしまうのだ。
似たような手法に“緩急をつける”というものもあるが、これの場合は緊張と緩和をつけることによって、よりドラマチックに演出する効果がある。
しかし『盤上の向日葵』で見られる「語り部の移り変わりによるテンションの落差」は、単純に作品として足りてないだけのように感じられる。ここは改善点だろう。
読ませることは間違いない
ただ、それでもグイグイ読ませてしまうのは、やはり柚月裕子の筆力のなせる業である。物語の佳境から読者を引っ張っていくスピード感はさすが、である。
私は2018年本屋大賞のノミネート作品をひとつも読んでいない状態で、『盤上の向日葵』を3位と予測したのだが、読み終わった今は2位でも1位でもおかしくない出来だと感じている。
さあ、結果はどうなるだろうか。
まだ『盤上の向日葵』『孤狼の血』と、2作品しか読んでない柚月裕子だが、その実力は完全に私の中で認められた。←上から目線
女性離れしたオッサン描写に骨太なストーリー展開、狙いを済ましたミステリー要素など、褒めどころに尽きない作家だ。
今年でデビューしてから10年ということだが、作家としてさらに美味しくなりそうな予感がしている。彼女のような、アイデアそのものよりも、物語自体に力を入れられる作家は伸びる傾向にあるからだ。
柚月裕子の新作を楽しみにしておきたいと思う。
以上。
2018年本屋大賞を好き勝手に予想した記事はこちら。本好きのお喋りみたいなもんです。
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