どうも。
敬愛する小説家は数多くいるが、その中でも乙一の存在は抜きん出ている。
新たな名義で作品を発表してはいるものの、そこまで多作な作家ではない。だがそれを補って余るほどの才能の持ち主である。マンガ家で言うならば冨樫だろうか。
曰く”天才”。
私は彼のことを天才と囃し立てるほど信者でもない。それに、すぐに「神!」と言ってしまう人のように、過激な言葉を使うことでしか賞賛できないような頭の弱い人間にはなりたくない。
ただそれでも乙一の才能の前にはひれ伏すしかないとは思っている。思えばデビュー作の『夏と花火と私の死体』を高1の時に書いているのだ。常人ではないことは明らかである。
そんな私が敬愛すると同時に畏怖もしている乙一だが、彼の著作の中で唯一私が駄作と認定している作品がある。それがタイトルにある『死にぞこないの青』である。
実はこの作品は映画化もされている。ということは、「これは売れるぜ!」と考えた大人が少なからずいたわけで、そういう意味では評価の分かれる作品でもある。
今回はこの『死にぞこないの青』がいかに駄作であるかを語りたいと思う。
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あらすじ
まずはあらすじを紹介しよう。
死にぞこないの青 (幻冬舎文庫) | ||||
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飼育係になりたいがために嘘をついてしまったマサオは、大好きだった羽田先生から嫌われてしまう。先生は、他の誰かが宿題を忘れてきたり授業中騒いでいても、全部マサオのせいにするようになった。クラスメイトまでもがマサオいじめに興じるある日、彼の前に「死にぞこない」の男の子が現われた。
こんな感じである。 意味が分からないだろうが、正直これだけの内容だと言っても過言ではない。ペラッペラの内容である。
乙一にホラーは向いていない
まずはこれだ。乙一はホラーに向いていないのだ。
多分、乙一ファンの方は反論したくなるだろうが、これは事実だ。彼のデビュー作である『夏と花火と私の死体』は確かにホラーというジャンルに分けられているが、あれは「主人公が死体」という特殊設定からホラーに定義しているだけで、話の中身はミステリーかサスペンスである。そこは勘違いしてほしくない。
思えばこれがいけなかったのだと思う。偽りのホラー作家としてデビューしてしまった挙句、しかも「17歳でデビュー」と鳴り物入りだったこともあり、この「ホラー作家乙一」の看板はなかなか下ろすことができなかったのだろう。
乙一の作風は、突飛な設定、読者を彼に欺くプロット、斜に構えすぎたキャラクター、ところどころに垣間見える笑いのセンスにある。
ホラーというのはつまるところ、「読者を恐怖を感じさせること」が目的なのだが、乙一の場合、笑いや意外性、切なさを表現することはできても、読者を怖がらせることはできない作家なのだ。
猟奇性はホラーじゃない
乙一の作品には猟奇的な描写が数多く登場する。これが乙一をホラー作家と呼ぶ所以なのだろう。
猟奇性があるだけでホラーだとみんな思いがちだが、それは全然違う。馬と鹿ぐらい違う。ちなみに馬と鹿の区別がつかない人のことをバカと呼ぶのだが、猟奇性とホラーを一緒にしてしまうやつもバカである。
理解不能な殺人鬼が出てくるからホラーなのではない。理解不能な殺人鬼が出てきて、命を狙ってくるからホラーになるのだ。
内臓が飛び出すからホラーなのではない。自分の内臓が飛び出すかもしれないからホラーになるのだ。
ホラーと猟奇性は別物だし、むしろホラーに猟奇性を持たせるとひどく下品なものになってしまう。殺人鬼がいるよ、ほら怖いでしょ?ほらほら、というのはあまりにも芸がないと思う。
猟奇性がないホラーのお手本としてはこういうものがある。スプラッターの要素ゼロの方が怖さの純度が高くなるのだ。
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困惑した文章
具体的な箇所を挙げるわけではないが、私はこの作品を読んでいる間、ずっと違和感があった。なんというか、乙一の困惑をそこかしこに感じたのだった。話の設定や展開が中途半端で、乙一らしさも感じなかった。何かをしようとしているが、どうやったらそうなるのか分からず右往左往しているようだった。
私には文章の裏から乙一の声が聞こえるようだった。それはこんな感じだ。
「怖いってなんだっけ?」
どうやったら読者を怖がらせることができるのか?どうやったらこの作品をホラーに仕上げられるのか?というかオチどうしよう?
そんな疑問符で埋め尽くされているようだった。私は読んでいて初めて乙一に失望したのだった。
本人も覚悟してたっぽい
『死にぞこないの青』のあとがきでこのような記述がある。ちなみにうろ覚えである。
幻冬舎から「小説を書いてくれ」と頼まれた。ネタが無かったので断ったが、「なんでもいいから」と強く言ってくるので、「本当になんでもいいんですね?」と念を押してみた。それでも「なんでもいいです!」と言ってきたので、この作品に取り掛かることにした。
曖昧な記憶だがこんなようなニュアンスだったと思う。
そもそもの話で、乙一自身が「無理矢理書いた」と宣言しているのだ。確かに無理矢理だったし、形を成していない。
本人も駄作になる予感はしていたのだろう。
本というのは、知名度がある人が書けば売れてしまうものだ。しかもあの時の乙一は売れっ子中の売れっ子。幻冬舎も「絶対に売れる」という確信があったからこそ、そんな「なんでもいい」なんていう恐ろしいセリフを吐けたのだろう。まあ必死だっただけなのかもしれないが…。
だがそんな「なんでもいい」が生み出した駄作によって、私の乙一への信頼といくばくかのお小遣いが消えてしまったのは事実なのだ。その罪は重い。
ただ名作への架け橋になった
色々書いてきたが、それでも私は『死にぞこないの青』を憎めない。
それは名作を生み出すキッカケになっているからだ。
それがこれ。
暗いところで待ち合わせ (幻冬舎文庫) | ||||
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乙一を代表する名作『暗いところで待ち合わせ』である。
『死にぞこないの青』の主人公であるマサオが盲目の人の家に忍び込む、というエピソードを考案したことがキッカケになっている。ちなみにこのエピソードは『死にぞこないの青』の作中では使われなかった。良かった良かった。
ということで、『死にぞこないの青』に関しては駄作だと認定しつつも、『暗いところで待ち合わせ』の踏み台になってくれたことには感謝しているのが私の正直な気持ちである。
以上。