どうも。
評判が良かったので読んでみたらこれがもう、おっさんになったせいかもしれないがクソほど泣いてしまった。
この素晴らしい作品の魅力をぜひとも伝えたい。
内容紹介
母は、人生の重荷を下したかのように、ゆっくりとゆっくりとボケていきました─
62歳、無名の“ハゲちゃびん"漫画家が
施設に暮らす認知症の母との
「可笑しく」も「切ない」日々を綴った
感動のコミックエッセイ!
40歳で故郷長崎にUターンした漫画家(62歳)が、親の老いを見つめてきた日々の、笑えて、温かくて、どこか切ない家族の物語。
主人公は、認知症と診断され施設に暮らす現在89歳の母。母が見せる「人生の重荷を下ろしたとびっきりの笑顔」や、著者のはげた頭を見て名前を思い出すエピソード、時折つぶやく亡き父との思い出話などを描いたコミックエッセイです。
「忘れること、ボケることは、悪いことばかりじゃないんだ。母を見ていてそう思った」
認知症とは脳の神経細胞が壊れることによって起こる症状である。代表的なものとしては記憶障害があり、特に直近の記憶ができなくなる。
そんな認知症になった母との交流や、母の妄想を描写したマンガなのだが、これがとにかく素晴らしい。
作者の岡野雄一氏はフリーライターをするかたわらシンガーソングライターとしても活動をしているそうだ。その感性が生かされているのか、この作品は「認知症」という想いテーマを中心に据えているにも関わらず、悲壮さはまったくない。言い方に語弊があるかもしれないが、むしろ「認知症の良さ」さえ感じてしまうほどだった。
もしかしたら今現在、認知症で苦しんでいる方からしたら「そんなお気楽なものじゃない!」と怒られてしまうかもしれない。だがそれでも、私たちが漠然と「嫌なもの」「避けるべきもの」とイメージして抵抗感のあった認知症に対して、認識を改めるものにはなっていると思う。
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見方、捉え方、愛する気持ち
作品の中では、ボケてしまった母のおかしな言動が紹介される。これには穏やかな笑いが出る。また現実と妄想の区別がつかない母の視点で描かれる世界は、涙腺を刺激せずにはいられない。特に、亡くなった父が生前酒乱で苦労を掛けたことを詫びに、母のもとにやってくるエピソードが好きである。
こういった親の変わりゆく姿、衰えていく姿、妄想と現実の区別がつかない姿というのは、悲観的に捉えればいくらでも落ちることができることだと思う。実際、認知症は悲劇として語られがちである。身近に認知症の人がいると聞けば「大変ですね」と声をかけずにはいられないだろう。
たぶん、作者の岡野氏も当然母の認知症で苦労していることは多々あるだろう。しかし、それでもそんな母を愛し、思い出を丁寧に紡ぎ、母の気持ちを汲むことによって、見事なほどに素晴らしい作品に仕上がっている。
大事なのはこの視点なのだと思う。
作品にするときに「私はこんなに大変な思いをしてるんだ!」という被害者意識が出てしまえば、ここまで美しい作品にはならなかったことだろう。
認知症というものの一側面として、人の姿のひとつの例として、「こんな素敵なときだってあるんだよ」と優しくこちらに語りかけている。
だからこそこんなにも私たちの胸に自然と入ってくるのだ。
伝えるということは難しい。何を伝えるのか、そしてどうやって伝えるのか、その両輪を同時に機能させなければ表現は成功しない。
そしてその表現に成功した稀有な作品だと思う。
時間の超越
作中で認知症の母はたびたび過去の世界へと旅立ってしまう。それはまるで我々があって当たり前と考えている時間というものが溶け出すような光景だ。
老人ホームのベッドにいながら、目の前には幼い頃の子供たちの姿や、自分が子供の頃の姿があったり、ときには亡くなった人が謝りに来ることもある。
我々にとって時間は絶対であり、我々を縛り付ける鎖のようなものである。
しかしそこから開放された母の姿は、あまりにも美しく、時間の流れによって失われたと思っていた思い出や亡くしてしまった人、そんな大切なものを取り戻せているように見えるのだ。
辛かったことも悲しかったことも、楽しかったことも嬉しかったことも、全てを失ってしまうのが痴呆症だと思いがちだ。
だが、本当に大切なしているものは失わない。失えない。
私はそう思えた。
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最後のシーン
終始穏やかに描かれるこの作品だが、最後の方のシーンで若干凄惨な描写がある。
しかしそれこそが作者の岡野氏が一番描きたかっったことなのかもしれない、と私は思うのだ。
私はネタバレをしない主義なのでその内容は明かさないが、さきほどこのシーンを読んで、クソほど泣いたばかりだ。
あまりにも残酷で、あまりにも救いがあり、あまりにも美しいシーンだった。こうやって言葉にすることが恥ずかしくなるぐらいだ。ぜひ実際に読んで確認してもらいたい。
最後のシーンを読んだあと、自分の大切なものに想いを馳せずにはいられなくなる。絶対にだ。
筆舌に尽くしがたいとは
土台にして、素晴らしいマンガをこうやって文章で紹介するという行為自体にムリがあるのだと思う。こんな名作であれば尚更である。文章で表現できるものであればすでにそうしているわけで、それができないからマンガという形式をとっているのだ。
私はこうやって日々言葉を綴っているが、この作品を形容する言葉が見つからない。
だからあえて逃げさせてもらう。
この作品は「筆舌に尽くしがたい」。
これが私が紡ぎ出せる言葉の中で一番この作品に適ったものであろう。
時間も超越し、大事なものに囲まれた生活を送る彼女の日々が平和なものであり続けてほしい。
素直にそう願う。
以上。
ペコロスの母に会いに行く | ||||
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