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『プロジェクト・ヘイル・メアリー』っていう幸運について

 

 

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

「金儲けに走ってばかりで、まともな書評記事を書いてない!」とお叱りを受けたので、反省して久々に大好きな作品への愛を大いに語りたい。

ちなみにだが私だって、油田を持っているような王族であれば好き放題レビュー記事を書いて過ごしている。だから誰か油田くれ。

 

名刺代わりの小説10選

好きな本がある。その中でベスト10を決めろと言われたとする。

すると、読書に目覚め始めた頃に出会った作品が占める割合はどうしたって増えがちだ。

若い頃の方が感性が鋭いし、読書慣れしていない頃の方が作品に対する衝撃が大きいから。

実際私のベスト10は20年近く不動だった。何物にも代えがたい、と称するに相応しい作品たちで、作品の良さもあるけど思い出として一緒に過ごしてきた時間の重さがよりその価値に拍車をかけている。つまり自分の一部になっているのである。過去だって我が身の一部だ。

 

だがだ。

そんな不動のランキングに割り込んできた不躾なやつがいる

 

こいつである。

 

 

 

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』、略して『プロメア』である。

 

もうね、パブロフの犬状態なのでこの表紙を見るだけで、脳内に快楽物質が分泌されるのが分かる。こうやってより私の中で評価が強固になっていくのだろう。完全に依存症と同じ仕組みである。完全に上等である。

 

 

簡単なあらすじ

『プロメア』への愛を語る前に、まずは前提情報として物語のあらすじだけでも共有しておくべきだと思う。

 

だがはっきり書いておこう。

 

この作品においては、あらすじさえもネタバレである。

 

作品の面白さを決定的に削いでしまう。

 

もし未読の方がいるのであれば伝えておきたい。

あなたに私への信頼と多少の度胸と失敗しても許せる度量と読書という行為自体が一種のギャンブルであるという認識、つまりこの世における大事なことのすべてが備わっているのであれば、どうかあらすじも知らないまま読んでほしいと思う。

作品を楽しむ一番の方法は出会ってしまうことだ。プロフィールとか気にしてると永遠にマッチング相手を見つけられないようなもんだ。

 

とはいえ「あらすじさえもネタバレである」というのが横暴な表現であることは重々承知している。

ひとつ問題があるとすれば私がまったくその重さを認めていないことにある。

なんのために読書をするかといえば、楽しみたいからである。そして最高に楽しめる方法があらすじさえも知らないままで読むことなのだから、正直に書いたまでである。

 

ということで御託はこれくらいにして、あらすじを紹介しよう。アマゾンから引用である。

 

グレースは、真っ白い奇妙な部屋で、たった一人で目を覚ました。ロボットアームに看護されながらずいぶん長く寝ていたようで、自分の名前も思い出せなかったが、推測するに、どうやらここは地球ではないらしい……。断片的によみがえる記憶と科学知識から、彼は少しずつ真実を導き出す。ここは宇宙船〈ヘイル・メアリー〉号――。

 

 

 

…最っ高…!!

 

 

しみじみと最高。沁みるよ。こんなに沁みるの、久々に聴く美輪明宏の『ヨイトマケの唄』ぐらいだわ。何回も聴くとだんだん怖くなってくる美輪明宏の存在感よ。

 

では、作品の紹介と美輪明宏の話はこれくらいにしておいて、この傑作について好き放題書かせてもらう。

 

一応注意喚起なのだが、今回も私のポリシーに則ってネタバレは極限まで避けるようにしている。

未読の方の楽しみを奪わないようにできる限り配慮したいと思っている。

それでも間接的に内容に言及することにはなるので、まっさらな状態で楽しみたい方にはオススメしない記事になるだろう。

 

できる限り未読の方には興味を持ってもらえるように、既読の方にはお互いの感想を言い合うような感じで楽しんでもらえるような記事にしたい。

 

とはいえ私の愛が暴走するあまり、完全に読者を置いてけぼりにする可能性の方がはるかに高いので、そのときは愛の暑苦しさに存分に苦しんでいただきたいと思う。

 

では行ってみよう。

 

 

読後の症状

今までも信じられないぐらい面白い本は数多く読んできたが、『プロメア』だけは他にない症状が体に出た。

 

あの結末を読み終えたとき、私はしばらく動けなくなった。

あまりにも凄まじい物語展開、どこまでも限りなく広げられる想像の翼の軌跡、手に触れられるほど血の通った感情描写…などなど、余韻と呼ぶには濃すぎる読後感がいつまでも心の内を満たしていた。

ひとしきり感動を反芻し、我が身に置き換えて味わってみたりしたあと私は、どうにもじっとしていられなくなり、散歩に行くことした。『プロメア』から摂取したなにかをどうにかして消費したくなる衝動を抑えられなくなったのである。

そして外に出て驚いた。

知ってる景色なのに、明らかに違う。色彩が、手触りが。

当たり前の風景のはずだけどどこか現実感がない。歩きだしてみてもその感覚は抜けず、思わず笑みが抑えられなくぐらい浮遊感があって「なにこれ?」と小さく呟いていた。

 

 

完全にあっちの世界に行っていた

読書に夢中になったことがある方であれば分かると思うのだが、たまにページを捲っていることさえ意識から消え、文字を読んでる感じさえなくなることがある。完全に本の中に入ってしまって、文字情報が脳内映像と同期してしまうのだ。

たぶん今回の症状はそれに近しいもので、私は『プロメア』にのめり込むあまり完全に意識があっちの世界に行ってしまっていたのである。

なので散歩中に空を見上げたとき、素直に思った。「なんでこっちから見てるんだ?」と。地上にいることに違和感があったのだ。

これは凄い体験である。あえて悪い言い方をするならば完全に洗脳である。

物語にのめり込ませるあまりに、現実の方を否定する感覚さえ覚えさせてしまうのだから。改めてとんでもない作品に出会ったものだと思う。

 

 

没入感の正体

私はけっこう作品に没入しやすいタイプだと自認しているしてるけど、それでもここまで入り込んでしまったのは数年ぶり、読んだ本の数で考えたら1/1000冊よりも少ないと思う。

それだけ私にとっては希少な出会いになったのだが、なぜそこまでハマってしまったのかと不思議にも思った。物事には理由がある。

 

たぶん数え切れないほどの理由があるとは思うのだが、大きいものを挙げるならば2つ。

 

・展開こそ物語の王様

・主人公が私自身

 

これである。

 

詳しく説明しよう。

 

 

展開、という最強の武器

小説の面白さには色んなものがある。

名文に感動したり、驚かされたり、極上のトリックに欺かれたり、最高に魅力的なキャラクターと出会えたり、絶妙な言語化に悶えたり、などなど。答えはひとつじゃないだろう。

 

だが私の中で小説とは「問題が発生し、解決するまでの流れ」である。ここには人間が普遍的に快楽を覚える仕組みが内包されているように感じる。

これを基本とするならば、物語において展開こそが主役であり、妙味の王様だと私は思う。

 

『プロメア』は展開の連続である。エンタメ超大作映画を観ているかのように、次々と展開の車輪がまあ回る回る。

よく言われるリーダビリティというやつは結局のところ展開を回し続けられるかに依るところが大きいのだと再認識した次第だ。

詳しくは書かないけれど、主人公の立場における展開もあれば、時間軸をずらした展開もあるし、さらには…という感じでいくつものプロットが多重構造になっていて、それらが絶妙な難易度とテンポ感で繰り出される。そのせいでもう脳が「キャーーーーー!!!展開美味しい!!!!」と喚起の雄叫びを上げるかのように興奮してしまう。こんなん読むドラッグである。

 

 

小難しい部分は否めない

褒めまくっているので未読の方には完全無欠な作品かと思われているかもしれないが、ちゃんと欠点も正直に語っておこう

 

『プロメア』は内容的に理系の話が多分に含まれる。

物理とか化学とか生物の話が要所に出てくる。しかも展開の鍵がそこに含まれているので、マジで理系アレルギーの人の場合、けっこうキツいかもしれない。

 

私は自分で言うのもなんだが、相当に勉学から嫌われていた人間なので学力は控えめである。理系科目も学生時代は慎ましやかな成績を残していた。はっきり言って苦手な方だ。

なので『プロメア』で書かれているそういった理系要素をちゃんと理解しているかといえば、かなり疑問符がつく。自分が分かっているかどうか分からない、という時点で確実に分かっていないと思う。

 

 

そういうことじゃない

「じゃあ理系が苦手な人はダメじゃん!」と思われるかもしれない。いや、ちょっと待ってくれ。逆なんだ、私が伝えたいことは。

小難しい理屈や知らない計算の話が出てくる。たしかにそうだ。

けれどそこで苦しみ、葛藤し、解決するのはあくまでも人間である。

 

つまりそこには感情があるのだ。

 

主人公がどんな問題に苦しんでいるか正確に理解することは難しくても、空気感や概要はなんとなく分かる。問題のヤバさも伝わってくる。

その程度の理解度でも人生に深く刻まれるほどの面白さを享受できるのだ。並大抵ではないと分かってもらえるだろう。

 

何よりも今回私は『プロメア』を読んで、理系がこんなにも身近に、しかもエキサイティングなものとして感じられたことが嬉しかった。面白さの世界が広がったような感覚があった。最近はヨビノリの動画を観るのがめちゃくちゃ楽しい。完全に理系の扉が開いてしまった。

 

 

主人公が私とは

 

作品の魅力の話に戻ろう。

 

既読の方には申し訳ないのだが、『プロメア』の主人公グレースだが、あれ私である。ほんとごめん。これは事実なのだから仕方ない。諦めてくれ。

 

こいつは一体何を言っているのだろうと思われた方、賢明である。間違いなく間違っているのは私の方である。さあ、さらに何を言っているのか分からなくなってきたところで、ちゃんと説明しよう。

 

『プロメア』はかなりぶっ飛んだ設定だ。

著者の圧倒的な筆力と高すぎる知能のせいで恐ろしくリアリティがあるけれど、実際にあんなことが起こる可能性はほぼゼロである。現実感のない話であると言い切れる。

 

その一方で主人公グレースの抱える問題というのは、本当に真に迫っている。

必死に問題をクリアしたと思ったら、死角から次の問題が差し込んでくる。そのたびに奔走し、ヘロヘロになりながら問題と向き合う。ときには諦める。その繰り返しの中で大きな目標に向かって着実に進んでいく。これが『プロメア』の醍醐味だ。肝だ。

だからこそ、上の方でも書いた「展開の多さこそ物語の王様」という話になる。

 

でもその一方で思うのだ。

だからといって、なんでそんなにも私は展開の多さにエキサイトするのかと。

 

 

感動の正体

グレースはかなり高い知力を持ち、それを拠り所として数々の難問をクリアする。

ちょっとずつ失敗しながら工夫を積み重ねる。

これ、とんでもなく壮大な物語の一部として読めてしまうのだが、少し引いて眺めてみると、ある事実が浮かび上がってくる。

 

私もちっぽけながら日々色んな問題にぶち当たっている。命や生き方に関わるような大きい問題もあれば、小さいけれどどうやって解決すればいいのか分からないものもあったりする。

そのたびに私なりに色んな失敗や工夫を繰り返し、ときには疲労感から諦めたり有耶無耶にしたりしている。でもたまに「解決したぞ!」とか「できた!」みたいな瞬間がわずかあって、その成功体験を胸にまた日々を繰り返している。そうやって少しずつ私は人生という物語を前に進めている。

 

それがつまり私自身ということである。

 

『プロメア』のグレースとスケールの違いはあれど、やっていることはほとんど変わらないのだ。私は『プロメア』というグレースの物語に感動しつつも、私自身の人生を肯定していたのだと今は思う。

 

フィクションの世界でだって小さな努力や失敗の積み重ねがなかったらドラゴンは倒せない。たまたま生まれ落ちた世界でドラゴンを簡単に倒せたって、そこに快楽はあっても感動はない。

たぶんだけど私は人生を重ねる中で、出した結果の大きさよりも、人が積み重ねることの尊さとか価値が本当の意味で分かったのだ。分かっているという表現が言い過ぎなのであれば、人の努力の尊さを信じていると言えるだろう。

 

 

人生という繰り返しの中で

 

世界には華々しい成果を出す人もいれば、誰の記憶に留まらずに人生を終える人もいる。

どんな人生に価値があるかを論じるつもりはない。それぞれが見つけたり決めつけたりするものだから好きにすればいい。

 

でも確実に言えるのは、どんな人にも小さな積み重ねやつまらない繰り返しがある、ということだ。これは絶対である。油田を持ってる王族だってそうだ。

 

いつだか有名なアーティストの方がインタビューで「スタジオで長い時間をかけてずっっと孤独に曲を作ってる時間がある一方で、ライブで会場いっぱいの人から声援を送られることもあって、自分の仕事って何なのかって思うよ」みたいな話をしていて、こういった目立つ仕事をしている方でも結局は小さなことの積み重ねや繰り返しなのだな、と驚いた覚えがある。

 

とても恵まれた人生を送っている人がいることは否定しないが、世の99.9999%ぐらいの人は日々いろんな問題に頭を悩ませながら生きている。

人生とは基本的に意地悪だ。たまにしか優しい顔をしてくれない。

でもきっと私たちは私たちが思っている以上に愚かだから、その優しさがありふれてしまうと、その優しさを大切だと感じられなくなるんだろうな、と思ったりする。

たまに訪れる幸運や「やったぜ」に心を踊らせて、また繰り返しの日々に身を投じる。俯瞰しすぎると無意味に思えるような繰り返しだけど、私たちは生きている以上、進むしかない。開き直って、なんとかなることを頑張って、なんとかならないことを諦めたり有耶無耶にしながら進み続けていくしかないのである。

 

ということで、そんな繰り返しの中でふいに私の人生に落ちてきた幸運、それが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』である。

この物語と出会えたことで私はまた人生を進ませる力をもらえたのだ。

 

 

以上。アンディー・ウィアー、新作楽しみにしてるよ。