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教えるのが下手な人の特徴を嫌というほど教えてやる

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燃えカスになる前に

 

どうも、中間管理職ブロガーのひろたつです。

 

私はけっこうな大手企業の最下層で働いていて、100人を超える部下を抱えながら、毎日元気に仕事に励んでいる。「死にたい…」と常に思いながら。

本当に仕事って素晴らしいですね!

 

ビジネスマンとしては誇れる技術も資格もない私なのだが、こと部下育成であればそれなりの経験と実績を持っている。

なんせ毎日100人を超える部下を相手にしているのだ。そんな仕事をかれこれ15年ぐらい続けている。そろそろ燃えカスになりそうだ。

 

で、せっかく得た知見なので、燃えカスになる前に皆さんへ提供したい。そうすれば私が灰になったとしても、私の知見だけはこれからも生き続けることだろう。

 

 

教えるのがヘタな人の特徴をまとめた

 

今回の記事では、私がこれまで見てきた中で特に「これはダメだな…」と感じた「教えるのが下手な人の特徴」をまとめておく

教え方に正解はないと思っているのだが(教えられる側が十人十色なため)、ダメな教え方には確実にパターンが存在する。それを皆さんと共有したい。

 

参考にするも良し、身近にいる「教えベタな人間」の姿を投影して共感するも良しである。楽しんでもらえたら幸いである。

 

では行ってみよう。

 

 

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感情的になる

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まあよく見かけるやつだ。

 

教えているのか怒っているのかよく分からない人がいる。

教える、というのは情報の伝達である。情報を伝えたかったはずなのに、愚かな人は「伝達しようとしている私の気持ち」を伝えるのを優先してしまう。

お前の気持ちなんぞ知らん。必要なことを教えてくれ。

短絡的かもしれんが、こういう人は子供時代、親から感情的に教わったのだろうか。そして体感的に「イライラしながら教えれば効率的」だと理解しているのかもしれない。

感情的に教えたときに伝わるのはただの一点だけ。「この人はめんどくさい」。それだけである。

 

 

自分のペースで話す

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繰り返すが、教えるとは情報の伝達である。相手に伝わって初めて「教えた」になる

相手が理解していないうちはただの独り言である。しかしながら、意外とこの”独り言”を教えたと勘違いしている人は多い。

伝えたいのであれば、あくまでも主役は伝えられる側だ。伝える側が主役になってはいけない。そこはお前の劇場ではない。

伝わっているかどうか。染み込んでいる最中なのか。理解していないのか。ピンときていないだけなのか。

そういった相手の反応を見ながら伝える方法を模索する。それが教えるということである。

 

 

なぜか自慢話を始める

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オッサンあるあるだ。

なぜかオッサンはすぐに話を自慢話に持って行きたがる。しかも過去の。知らんがなと言いたくなる。

過去の失敗談は良いと思う。そこから教える相手がケーススタディとして学べるものがあるだろうし、具体的な例は想像を喚起しやすい。分かりやすければ、教わる側も話を食い入るように聞くことだろう。

しかしそれで調子に乗ってしまうのがオッサンである。話を聞いてもらえるのを良いことに、相手をキャバ嬢に見立ててしまう。自慢話を始めてしまう。

勘違いしてはないけない。自分が気持ちよくなるために教えているのではないのだ。

オッサンはすぐに欲求に流されるから、十分注意しとけ。
 

 

「一回しか言わないよ」

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はい出ました。教えベタの鉄板ネタ。

これを言うやつでまともなの見たことない。というか、この「一回しか言わないよ」を使ってしまう人は余裕がなさすぎである。余裕のない人が教えるのはムリである。

ただ、もしかしたら職場的に余裕がないのかもしれない。この鉄板ネタを使ってしまわざるを得ない状況に、追い詰められているだけなのかもしれない。

実際、過去に私の部下でこのセリフを吐いた子は、数ヶ月後に退職した。たしかにその時期は人手不足で余裕がなかった。

 

言うまでもなく、人間に一回で覚えられる機能は付いていない。一回で覚えられるのは機械だけだ。

きっと「集中して」ぐらいの意味で使っているのだろうが、言われた方はたまったもんじゃない。ただでさえ慣れないことするために神経を使っているのに、そこにさらにプレッシャーをかけられるのだから。

覚えられないのはやる気がないからだとか、勘違いしないように。普通です。

 

 

相手の理解度を理解しない

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教える相手がどの程度のレベルなのか。教える上で非常に重要なことだ。

分かりやすい例を挙げるならば、小学1年生相手に微分積分を解説しても、まったく意味がない。

難しいのは、教えられる側は「自分がどこまで分かっているか分からない」ことが多いということだ。

覚えたてだと、その分野大しての見識が浅く、全体が見渡せない。なので自分が果たしてどのぐらいの位置にいるのか分からない。

だからこそ、教える側は俯瞰して見なければならない。

相手がどの程度のレベルにいるのか、専門用語はどれくらい使うべきなのか、どの話をして、どの話をしないでもいいのか。それを把握しなければならないのだ。

医者が患者に対して、専門用語全開の説明はしないのである。それは説明と呼べない。

 

 

目的を伝えないor伝えすぎる

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物事を教えるときに目的を伝えるのは非常に重要である。なんてったって、やることの意味そのものだからだ。

しかし教えるのがヘタな人は、「いいからやってよ」的な感じで、やり方を強要し、とりあえずその場をしのぐ。そして教えられた側は訳も分からずやり続けるので、ふとした拍子に大きなミスを招く。目的を把握せずに杓子定規にルールを守った結果、イレギュラーに対応できなくなる。死んでいる職場あるあるだ。

 

また、その逆のパターンもある。目的を伝えすぎてしまうパターンだ。

例えば子供に勉強してもらいたいと思う。勉強を教える前に勉強をする目的を伝えることにしょう。

そのときに「未来の自分への投資」とか「将来のため」とかだけ言えばいいものを、「では学ばなかった人類がどんな過ちを繰り返してきたか話そう…」とか言って、6才児ぐらいに歴史の授業を20時間ぐらいやってしまう。すると、その子は自分が一体今何を学んでいるのか訳が分からなくなるだろう。

目的を伝えることの大事さを重視するあまり、相手が抱えきれないほどの荷物を渡してしまうことがあるのだ。

ここらへんは相手を見極めるバランス感覚が大事だろう。 

 

 

教えるのが得意だと思いこんでいる

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さっきも書いたが教えるというのは、本当に難しい。人によってやり方は様々だ。

しかし教えることに馴れてしまった人は、ついつい思い上がる。「自分は人に教えるのが得意だ」と。

自信を持つことは悪いことではないのだが、なぜだか教えるのがヘタな人ほど、やたらと教えることに自信を持っていたりする。そして教えてあまり上手くいかないと、「あいつは向いてない」とか言い出す。向いてないのはお前じゃ。

 

いつだか武田鉄矢が語っていた。「人は教えようとしたときに間違える」と。至言だと思う。

「自分は大丈夫」と油断すれば成長の余地はない。できる人ほど、自らを省みる力があるものだ。

偉そうにする人が偉くないのと同じように、教えるのが得意だと思いこんでいる人も、ハリボテである可能性が高い。

 

 

相手の聞きたいことではなく、自分の言いたいことを言う

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教えるときは徹底的に相手目線になるべきだ。

なのに教え下手な人間は、自分目線でしか言葉を発しない。自分の使いたい言葉を使い、自分が納得できる表現で表現する。言いたいことを言ったらあとは知らんぷり。分かってないのは相手のせいだと決めつける。自分が能無しなだけなのに、その責任を相手になすりつける。

これはきっと自分が「教える側」だから偉いとでも勘違いしているのだ。そして教える相手に対して「教えてやってる」という傲慢な考えがあるのだろう。

 

昔、尊敬する上司に言われた。

「教えるってのは、相手の人生を左右することだ。だから誠意を持って臨まないといけない」と。

忙しいときに手を抜いてしまうときもあるが、私は基本的にこの教えを忠実に遂行している。教えるときに一番大事なのは誠意だと今でも思っている。

 

なので、「教える側」に立っただけで、相手を見下し「教えてやってる」などと考える輩には人を育てる資格は存在しない。子供を育てられないのであれば親になってはいけないように。 

 

 

こういう極意を語りだす

 

最後に。

 

こうやって偉そうに語り出す人間もまた信用ならない。傲慢なニオイがプンプンする。

 

教えたいのであれば相手への誠意を忘れてはならない。

立場は違えど、誰だって最初は教わる側なのだ。単に順番が違うだけの話である。

教えるときは、過去の自分のように大事にしよう。

 

 

以上。