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賢さに脱帽したからハードルくぐってくるわ。『走りながら考える』

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

今回は大好きなアスリートの本をご紹介する。といっても超ベストセラー作家なので、いまさら紹介する必要もないと思うけど…。

 

 

内容紹介

 

 

Twitterフォロワー12万人!考えるアスリート“為末大”強い自分の作り方。勝利、挫折、限界…もがき苦しむなかで気づいた本当に大切なこと。

 

走る哲学者の異名は伊達じゃない。

次々と繰り出される名言の数々は、目からウロコ体験を連発させるはずだ。マジで凄いよ、この人。ただのハードル馬鹿だと甘く見たら、めっちゃ楽しめると思うから、ぜひとも馬鹿にしきったまま読んでほしい。

 

 

どんな本なのよ?

 

ハードル選手として25年間競技に従事した為末大が、その長い競技人生の中で考えたことをまとめた本である。

ちなみに類書として、このブログでも紹介してさらに売れまくっている『諦める力』『逃げる自由』がある。今回紹介する本も、同様の破壊力があるので超オススメしたい

 

まずこの人、ほかのアスリートとは一線を画す点がある。

それが「努力しても夢はかなわない」と言い切ってしまうところ。

とてもアスリートとは思えない発言である。人でなしである。小学生が聞いたらぽかんとしちゃうんじゃないか。

しかし、これはいい大人であれば理解している事実である。

紛れもなくこの世には「才能」というものがある。

努力で夢が叶うのであれば、誰でも身長2mになれるのか、という話なのである。美男美女とかも分かりやすい才能の例だ。努力どうこうの話ではない。

 

生まれながらに人はそれぞれ持っているものが違う。

ただ、それはあくまでも「持っている価値が違う」という意味である。身長や体格、顔などはすぐに価値に転化しやすいので、もてはやされやすい。

すぐに分かりにくかったとしても、使い方によっては大きな価値を生む「才能」だってあったりする。

例えば、芸人のブサイクとかはまさにそれにあたる。普通に暮らしていれば短所になるかもしれないが、使い方によっては誰かの”笑い”を生み出す価値に変わる。

ダメエピソードだって、誰かを安心させる価値があったりする。要は使い方次第なのだ。

 

 

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この感じはウメハラと似ている

 

名言だらけの本書だが、読みながらちょっと既視感があった。『諦める力』のことではない。確かに似てるけれど、それは同じ作者だからだし、エッセイだから仕方ないだろう。

この「こんな人が、こんないいこと言うの?!」という驚きと感動が味わえる感じは、プロゲーマーのウメハラに近い。

どちらもいわゆるアスリートである。競技に人生をかけた人だ。そしてその分野で確かな結果を出した人だ。

 

 

ウメハラにしても、為末大にしても、その凄さは能力の高さではなくて、もっとシンプルな部分である。ふたりとも「自分の頭でちゃんと考える」ということを徹底している。

 

ものすごく凡庸なことに思われるかもしれないが、これが意外と難しい。

私たちは自分の頭で考えているようで、ただ単に誰かやどこかで目にしたものの受け売りだったり、空気を読んで考えることを変えたりする。全然自分の頭で考えていないのだ。知っていることを取り出してくるのは、考えているとは言えない。空気を読むのも、考えているのではなくて、怯えているだけだ。

 

自分の頭で考えるからこそ、為末大の言葉は今までに見たことがないものになるし、読む人の心にちゃんと届くのだろう。

 

ちょっと抜粋

 

さて、どれだけ凄い本なのかを理解してもらうには、中身をチラ見せするのが一番だろい。私の拙い文章をいくら連ねるよりも、はるかに分かりやすいはずだ。

 

 

結果に依存しすぎると、人生なんてほとんど意味がなくなってしまう。

どこでもドアで山を登っても意味があるか?

 

棋士の羽生さんが著書で同様のことを語っていた。勝ち負けが大事なのであればジャンケンでよろしいと。結果は私たちに分かりやすいものを提供してくれるけれど、プロセスは自分の頭で考えて、「何が学べるか?」を見つけ出さないといけない。

 

 

 

すでに努力は報われている。でも、その過程にいるあなたたちはそれに気づいていない。
努力している時間が楽しければ、それでいいのでは?

これは為末大の言葉ではなくて、俳優の卵たちがいる演劇の学校に訪れたウーピー・ゴールドバーグが語った言葉。やっぱり結果よりも、プロセスの重要性に視点を当てている。

 

 

 

結果を欲して挑んだから、プロセスが初めて見えてくる。

プロセス、プロセス、と繰り返しているが、決してプロセスが目的なのではなくて、結果を求めたからこそ、プロセスが本気になり、価値が生まれる。適当に過ごせば、適当な見返りしかないものだ。

 

 

 

イメージとは、最初は霧みたいなもので、体験を経てそれが輪郭になる

やる前、知らないうちから分かったようなことを語る人は多い。知ってるだけで分かった気になっている人も多い。

身体を使い、経験した人にしか分からないことがある。

 

 

 

コンプレックスはしょせん人との比較の中から生まれるものだ。

「すべての苦しみは人間関係から生まれる」とはアドラー先生のお言葉。

他人と比べるから苦しむ。理想の自分と比べても苦しい。

どんな人生を歩もうがその人の自由だけれども、せっかく生きるのであれば、少しでも幸せな時間を増やした方がいいと思う。

 

 

 

自分が憧れるロールモデルの真似から入るという方法もあるけれど、その中から自分らしさが構築できなければ、どっちつかずになってしまい、やがて苦しくなってくる。

これもまた「努力しても夢はかなわない」に通じる話。理想の人を見つけて、目指すのも構わないけれど、元々の自分の資質と合わなければ、ただただ苦しい時間が増えるだけである。

自分らしさ、と言うと難しいけれど、単純に「続けられそうなこと」を見つければいい。

 

 

 

有限の中で何に努力と時間を割り振るのか。有限の概念がないところに選択はなく、選択がにところに集中もない。能力と努力が不足しているのではなくて、むしろ決断しないことが問題である場合は意外と多いと思う。

これは名言。決断しないこともまた決断。

ダラダラと過ごす時間も実は「ダラダラ過ごす」と決めているわけで、私たちは知らず知らずのうちに人生を決断し続けているわけだ。

そんな”無意識の決断”にもっと敏感になれたら、人生は有意義になると思う。

 

 

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こりゃ、答えよりも問いの方が大事だな

 

私たちの疑問は、ネットを使えばすぐに答えが見つかる。答えが見つからない問題を探す方が難しいぐらいだ。

しかし人生や生き方における疑問は、ネットで見つかる答えなんてクソほどの役にも立たない。ただの言葉である。誰か他人が発した、無責任な言葉だ。

それはもちろん今回紹介した『走りながら考える』の言葉も同様である。一つ一つの言葉はそれこそ答えのように感じられるかもしれない。だが、結局は他人の言葉であり、考えたこと、そして自分じゃない人が出した答えだ

 

それらしい答えで満足するのも別に構わないと思う。そうやって幻想を抱いて生きていくのが人間という動物である。不幸でもなんでもない。真っ当である。

しかしながら、それは果たして自分の人生だろうか、という疑問はある。自分で考えず、貰いもので生きていくことには。

 

もちろん自分で考えたところで答えが分かるという保証もないし、そもそも何をもってして答えなのかは、死ぬ間際まで分からないはずだ。というか死ぬ間際はそんなこと考えている余裕もないかもしれない。

 

となると、究極はやっぱり答えなんてどうでもいいということになるのかもしれない

人生の時間は「何を考えていたのか?」になってしまうのだから、答えよりも問いこそに人生の本質があるように思う。問いかけこそが人生そのものなのかもしれない。

 

ハードルをくぐりたくても、何も考えなかったらそもそもハードルにさえ出会えなかったりするし。

 

 

以上。なんだか高尚な言葉を並べ立ててみたが、簡単に言うと「てめえで考えろ」ということである。