どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回は伊坂幸太郎作品のご紹介。
伊坂幸太郎は困ったさん
私は好きな作家ができるとコンプリートしようとするタイプだ。こんなブログを書いているので、皆さんに幅広く作品を紹介するために最近はできるだけバラけた読み方をしている。だが本来は作家をむしゃぶり尽くさないと気がすまない。
そんな私が以前から大好きなのが、伊坂幸太郎。
彼の作品はデビュー当初から読んでいて、軽妙な会話と恐ろしいまでに張り巡らされた伏線に、あっという間に酔いしれた。
しかし、ひとつ問題が。
伊坂幸太郎は面白すぎるのだ。
一度伊坂幸太郎レベルのエンタメを体験してしまうと、面白さのハードルが無駄に上がってしまい、伊坂幸太郎でしか楽しめなくなってしまうという、まるでドラッグのような症状が出る。困ったやつだ。
なので、伊坂幸太郎作品を読む時は、できるだけ間隔を開けたり、つまらない本と出会ったあとの口直しにするようにしていた。
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伊坂作品の困ったさん
しかしながら、伊坂幸太郎も人間である。そうそう毎度毎度化け物じみた完成度の作品を発表するわけもない。また、私のツボにハマる作品ばかりなわけもなく、待ちに待った作品が「なんじゃこりゃ」というときもあったりする。
ということで、今回紹介するのがそんな「なんじゃこりゃ作品」である。
それがこちら。じゃじゃん。
三百億円の損害を出した株の誤発注事件を調べる男と、ひきこもりを悪魔秡いで治そうとする男。奮闘する二人の男のあいだを孫悟空が自在に飛び回り、問いを投げかける。「本当に悪いのは誰?」はてさて、答えを知るのは猿か悪魔か?そもそも答えは存在するの?面白くて考えさせられる、伊坂エンターテインメントの集大成。
私の本当に悪い癖なのだが、このような紹介文をすぐに真に受けてしまうところがある。本屋のポップでも同様で、ちょっとでも「衝撃の展開!」「最高傑作!」とか書いてあると、「え?マジでwほぐっ、買うわww」 と簡単に踊らされてしまうお馬鹿さんなのである。
なので『SOSの猿』も当然、「伊坂エンターテイメントの集大成」だと信じて疑わなかった。期待しまくりであった。
きっと、私がそうやって勝手に余計なハードルを上げてしまったこともいけないのだろう。
踏み絵です
…いや、やっぱりダメだ。殊勝なことを書いてみたが全然本心じゃない。私はまったく悪くない。『SOSの猿』は明らかにヤバいやつだ。
あまり小説を貶すようなことは書きたくないのだが、この作品は伊坂ファンからしたら“踏み絵”だろう。伊坂ファンでもなければわざわざ読む必要はないだろうし、ファンだってわざわざこんな作品を読みたいとは思わない。だけど、作家を応援する気があるのならば、作家を愛しているのであれば、喜んで身を捧げるべきだ。
ただそんなことを書いている一方で思うこともある。
作品が面白いかどうかは、受け手の問題でもあるのだ。
確かに作り手によって面白さが左右される部分もあるが、これはキャッチボールみたいなものなのだ。投げたボールがいかに優れていても、キャッチする人間に受け取る気と、実力が無ければ落としてしまう。
作り手と受け手。責任は同等だと思う。
でもあえて言う。繰り返し言う。『SOSの猿』はダメだ。時間返せ。
『SOSの猿』のここがダメ
ということで、せっかくなので『SOSの猿』の何がそんなにダメなのか、サクサク紹介していきたいと思う。これで少しはストレス発散できる気がする。無駄にした時間も浮かばれることだろう。
①会話が面白くない
伊坂幸太郎作品の最大の武器である洒脱なユーモアに溢れた会話文。それが『SOSの猿』では完全に死んでいる。少しは伊坂っぽい会話もあるにはあるのだが、完全にスベり倒している。正直、読んでいて痛い。つらい。こんな伊坂は初めてだ。
いつもは最高の会話劇でスイスイ読めてしまうのに、それがないせいなのか、読み進むのが苦しくて仕方なかった。
②魅力的な登場人物がいない
これも致命的である。
読者にとって登場人物は己の分身である。物語を自分の代わりに進めてくれる存在である。そんな登場人物が全然魅力的じゃないと、物語自体に興味が湧かないのだ。知らない人がどれだけ面白い話をしても寒々しいのと同じである。
繰り返すが、いつもの伊坂作品であれば、常に面白いキャラクターがいた。「こいつは次どんな発言をするのか?」なんてワクワクするようなキャラが。
なのに『SOSの猿』では全滅である。ひとりもいない。
いや、一応いるにはいるのだが、なぜだかその人物は主人公の思い出話の中でちょいと顔を出すだけだ。物語に全然絡んでこない。だから面白くもならない。非常に勿体無いと思う。
③話の展開がワクワクしない
そもそもの話だが、『SOSの猿』は話自体が地味だ。なんだ引きこもりの説得って。ドキュメンタリーなら少しは読めるかもしれないが、フィクションでそれをやられても何も引っかからない。悪魔祓いの要素とかを絡めて盛り上げようとはしているが、やはりそれもどこかそら寒い。外してしまっている感が拭いきれない。
それにいつまでも物語が進展しないのもダメだ。スピード感が死んでいる。だらけきっている。次の展開が全然訪れない。これはキツイ。
“殺し屋シリーズ”を見習ってほしい。
④伏線?
どこいった?
⑤ファンタジー?
孫悟空?え?
⑥え?これでいいの?
私は読みながら思った。「きっと伊坂は疲れていたのだ」と。
この『SOSの猿』を発表する前までの間、彼は面白い作品をあまりにも書きすぎたし、多作すぎた。刊行スピードも半端ではなかった。エッセイまで書いてたぐらいだし。
きっと彼は消耗してしまったのだ。疲れながらもなんとかかんとか書き上げたのが『SOSの猿』だったのだろう。伊坂だって人間だ。締切に追われてクソみたいな作品を上梓することだってある。あの江戸川乱歩でさえ、いいオチを思い浮かばなくて連載中の作品を放り投げたことがあるくらいだ。もしかしたら『SOSの猿』というふざけたタイトルは、そんな伊坂幸太郎の心情を表した言葉なのかもしれない。もしそうなら、とんでもない伏線である。
ここは大きな心で受け入れてあげよう。伊坂だってこんな作品を書きたくはなかったはずだ。作家として不本意な仕事をし、一番苦しんでいるのは彼のはずなのだから…。
と思っていたのだが、あとがきを読んで度肝を抜かれた。
書いてて非常に楽しかったです。
え?! E?! は?
なぜに満足気なのだ。苦しんでいたはずじゃなかったのか。
分からない。一体私はもう何を信じればいいのだろうか。誰でもいいから助けてくれ。
いや、誰でもというのは嘘だ。できることなら孫悟空以外でお願いします…。
お試しあれ
ということで、『SOSの猿』はとっても読者がSOSのモンキーになってしまう作品である。そんな貴重な体験をしたい方、そして絶不調の伊坂を楽しみたい方はぜひご覧あれ。
いやー、それにしても酷かった…。
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