どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
今回の記事は「2018年本屋大賞にノミネートした作品を読み終わるまで寝れない企画」の第7弾である。
ちなみに2018年本屋大賞にノミネートした作品はこちらの10作品。
そして今回紹介するのが、こちらの作品。
『AX アックス』!!!
最強の殺し屋は――恐妻家。
物騒な奴がまた現れた!
新たなエンタメの可能性を切り開く、娯楽小説の最高峰!「兜」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。
一人息子の克巳もあきれるほどだ。
兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。
引退に必要な金を稼ぐため、仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。
書き下ろし2篇を加えた計5篇。シリーズ初の連作集!
伊坂幸太郎の“殺し屋シリーズ”の最新作である。
私は1作目の『グラスホッパー』をあまり評価していなかったので、まさかこんな3作も出るような人気シリーズになるとは思わなかった。まあ、2作目の『マリアビートル』は伊坂作品の中でも1、2を争うレベルの傑作だったので、続編を期待されるのも分からんでもない。
さてこの“殺し屋シリーズ”だがシリーズとは言うものの、内容はほぼ完全に独立しており、どれから読んでもまったく問題ない。もちろん今回紹介する『AX アックス』も同様である。前作を読んでいると、作品間でのリンクがちょっと楽しめるという程度だ。
ほぼ6年越しの連作集
『AX アックス』はシリーズ初の連作集となっている。主人公は通称“兜”と呼ばれる中年の殺し屋である。腕は最高に立つのに、なぜか奥さんにはまったく頭が上がらない。
そんな不思議な彼を主軸に据えて、殺し屋の話なのに、なんだかほっこりしてしまう連作集に仕上がっている。
で、読み終わって奥付を見てビビったのだが、この連作集、1話目の『AX』が書かれたのがなんと2012年1月なのだ。さらに2話目はその2年後の2014年3月。最終話は書き下ろしなので、『AX アックス』が発行された2017年8月である。
なんとこの連作集は完結するまでにほぼ6年の歳月を経ているのだ。たったの5話だけにも関わらず、である。
まあ超多忙な伊坂のことだから、長編作品の合間を縫って出版社の依頼をこなしていたのだろう。そう考えると偉すぎて泣けてくる。世の遅筆作家は伊坂を見習え。
数年越しでもクオリティを維持
一冊の作品を完成させるまでに6年かかっているのも十分凄いのだが、それ以上に恐ろしいことがある。
それは、この作品が短編集ではなく、連作集であるということだ。
短編集であれば色んな雑誌とかで掲載されたものを、どっかの機会で一気にまとめて本にする、なんていうのはよくある話である。つまり、作品ごとに繋がりがなくても問題ないのだ。
しかし『AX アックス』は連作集である。設定も内容も引き継いでいなくては作品世界が成り立たない。矛盾や齟齬があれば、途端に読者は興醒めである。
たまにあるのだ。キャラが微妙に変わってしまうような連作集が。作者の趣味が変わったのか知らないが、読者としては「誰だよこいつ?」となる。
そしてさすがの伊坂クオリティでも言おうか。どの作品もしっかり作り込んであり、随所にユーモアが散りばめられている。面白度数が高い作品たちである。
数年越しでも回収します
伊坂作品と言えば、やっぱり伏線回収だと思う。どデカイどんでん返しみたいなのはないのだが、「おお!」と思わず声を出してしまうような素敵な伏線回収を魅せてくれる。
伊坂作品を読む度にいつも思うのだが、伏線だらけの物語構成をどうやって生み出しているのだろうか?
伏線ありきで物語を作っているのか、それとも物語を作ってから伏線を後から差し込んでいるのか。取りあえず常人とはかけ離れた頭脳の持ち主なのは間違いないだろう。
そんな伊坂なので、こんな6年越しの連作集でもその能力を遺憾なく発揮している。本当に不思議でならない。6年前の短編を書いた時点で、ここまで想定していたのか。それともこれまで書いた短編を読み返して、伏線を生み出してしまうのか。どちらにしろバケモンである。
あんまり書くとネタバレになってしまうので詳しくは言及しないが、「さすが」と言わざるを得ない仕上がりである。
感動させられない作家
褒めてばっかりでもつまらないだろうから、せっかくなので伊坂幸太郎の弱点についても少し書こう。みんな悪口が好きで困る。私も嫌いじゃないが。
今回の『AX アックス』だけに限らず、伊坂作品ではけっこう感動作的なものが多い。爽やかな読後感を味あわせるというか。
で、そんな伊坂作品を読むたびに、「最高だったなぁ」と大満足なのだが、それと同時にどこか自分の中で“昂ぶりきっていない”部分があるのを感じていた。
面白かったのは間違いない。でも感情が激しく揺さぶられるまでは行かない。
つまり感動できないのだ。
その理由を少し考えてみたのだが、どうやら私は伊坂作品を読んでいるときに、作品そのものを読んでいる、というよりも「伊坂幸太郎が何を書くか?」という方に意識が偏っているようだ。
もう少し簡単に書くと、普通であれば、物語世界に没頭し、キャラクターに感情移入することで、感情を揺さぶられる。ときには感動まで達し、涙をこぼすことだってある。
しかし伊坂作品を読んでいるときというのは、意識が「伊坂幸太郎が書いたよく出来た物語を読んでいる」というふうに捉えてしまっていて、物語に入り込んでいないのだ。どこか眺めているような読み方になってしまう。
これは伊坂幸太郎という作家の優秀さが生む弊害であろう。彼の作品は、さきほども書いた通り伏線がこれでもかと張り巡らされ、とにかくよく出来ている印象を受ける。しかしそれは同時に「ニセモノ」だと認識していることになってしまう。「よくできている」や「よく似ている」は「本物だとは思っていない」ということなのだ。
だからこそ、伏線なんかお構いなしに書き、ミステリー要素がまったくない『砂漠』がファンの中であんなにも評価が高いのだろう。登場人物の名前にニセモノ感がちょっとあるが、物語自体は真に迫るものがある。
彼の伏線は当然ながら最高だし、伊坂幸太郎の持つ最高の武器だけど、それゆえに失うものもある、ということ。
以上。
殺し屋シリーズの最高傑作はこちら。必読です。
隠れた名作『砂漠』はこちら。
読書中毒ブロガーひろたつが、生涯をかけて集めた超面白い小説たちはこちら。