どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。下戸です。
毎月恒例の月イチまとめ記事である。
先日、小4の息子が漢字の宿題をやっていたときのこと。
「“じしょ”のじって辞める?」と聞いてきた。そうだよ、と答えると今度は「なんで?」と。
言われてみれば確かに違和感がある。辞書って全然辞めていない。むしろ継続の塊だろ。
いい機会なので調べてみたら、なかなか興味深かった。
「辞」という字は元々「辭」。
これは罪を犯したものに施す入れ墨の意味がある。
このぐちゃぐちゃしたよく分からない文字の左側は、罪の意味を持つ。
また、人を裁くためには言葉が必要なので、私たちがよく知ってる右側のやつには「言葉」という意味がある。
そこから「辞」には言葉という意味がある、というわけ。
子供は本当に色んなものを素直に見る。疑問を感じ、ひとつひとつにつまずく。
付き合っている親からとすると、いちいち面倒に感じることも多いが、彼らの目を見ていると、心が動いているのが分かる。これこそが「生きる」だなと。
一方の私たち大人は、体力の無さゆえか、余裕の足りなさなのか、色んなことに興味を持つことをやめていき、効率よく処理していくことばかりが得意になっていく。
すると、普段目にしているものがただの風景になっていき、意味を持たなくなってくる。見えるけど見ていない。意味があるのに意味を考えなくなる。
取捨選択の「捨」ばかりを増やしまくった結果に待っているのは、本当に大事な「取」なのか、それとも「捨」に囲まれた人生なのか。うーん、人生ってなんなのだろうね?
翻って読書である。
私の愛する書物というのものは、意味の塊である。読み取らなければ何も語ってくれない。それが書物である。
オードリータンみたいな天才だったら流し読みをしてもインプットできるだろうけど、我々一般人の場合はちゃんと文字に食らいつかないと文章とダンスはできない。
取捨選択を許されないからこそ、読書は濃密な体験をくれる。忘れられない出会いになる。貴重な感情を味わえる。己だけでは辿り着けない深みを見せてくれる。
そうやって考え、改めて読書の素晴らしさを確認する次第である。
まあ濃密な体験になるぶん、ハズレ本だったときのダメージったらないよね。あれこそ最高に「人生!」って感じ。
ということで、2月に見つけた面白い本たちである。
参考にしていただきたい。
卒業
心に、しかも奥深くに届いてくる珠玉すぎる短編集。
重松清の作品は簡単な感想を吐き出させてくれない。読み終えたときに、なにか重く苦しいものを渡されたような気分になる。
でもそれは決して悪い気分ではなくて、とても大事な美しいものなのだ。間違いなく。
これだけ饒舌で言葉以上の物語を書く重松清だが、実は吃音持ちである。
伝えたいことを上手に伝えられない幼少期を過ごした彼だからこそ、こんなにも人の心を動かす言葉を紡げるのかもしれない。
いやー、短編集だってのにこの満足感よ。ズシンと来たね。さすがである。
野良犬の値段
おお~、おもしれー。こう来たか。
魅力的な謎の提示から、ひりつくような展開、そして誰もが望んでるであろう結末まで一気に読ませる快作。
作者本人の圧がすごすぎて、読んでる最中に作者の顔がちらつくのが困るけど、やっぱり面白い。読者が求めてるところにボールを投げるのが上手いよ、この方は。
追懐のコヨーテ
毎年発売されるシリーズで、とっても楽しみにしていたやつ。嬉しい。これのために繁忙期を耐えてるフシがある。
なんの意味もないタイトルからは想像もできないほど、切れ味抜群なエッセイが連続で100本繰り出される。
森博嗣の怜悧な頭脳が生み出す思考と、フラットすぎる視点で指摘される世界の歪さの数々には、思わず納得してしまうはず。
欲が出ました
いま日本で一番優秀な絵本作家が、日々感じたことや、ついつい妄想してしまうことなどを軽やかな文体とイラストで綴ったエッセイ。
読み味は軽いけれど、発想の自由さや柔らかさには驚かされるばかりで、私の頭がどれだけ凝り固まっているか思い知らされた。
続編だったらしいけど、1作目を未読でもまったく問題なかった。ヨシタケシンスケと一緒に思考を羽ばたかせよう。
以上。来月もお楽しみに。