どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
毎月恒例の月イチまとめ記事である。
ブロガーと名乗ったそばからなんだが、最近の私といえば読書読書の毎日で、全然文章を書いていない。あれほど常駐していたTwitterでさえ、チラ見する程度になってしまった。
そんな生活を続けていて、気付いたことがある。
読書垢で埋め尽くされた私のTLから離れると、室内積ん読も、脳内積ん読もガンガン減るのである。
結局のところ、新しい作品を知る機会さえなければ、積ん読はいくらでも崩せるのである。積ん読なんて永遠に増えていくものだと認識していた私にとって、この事実は「骨が折れて皮膚から飛び出すことを複雑骨折と呼ぶ」ことと同じくらい衝撃だった。最悪すぎる。
情報を遮断することで、積ん読と向き合える。
これを分かりやすく例えるなら、外に出かけると街ゆく美女に目を奪われ、浮気心が動き出してしまうわけで、家でじっとしていれば、パートナーへの愛情を思い出すということだ。ちなみにこれは例えのために考えたことであって、決して私のことではない。断じて。いやマジで。本当だってば。
私の下半身の話題はどうでもいいとして、それにしても積ん読である。
以前、別の記事で、積ん読は本読みにとっての業(カルマ)だと書いた。今でもその思いに変わりはないし、皆さんの積ん読自慢を見るにつけ、その思いは日に日に確かなものになっている。読むために存在する本を積むだけで満足したり、読む消化スピードを超えて買っちゃうとか、傍から見れば完全に病人である。病名がないだけで。病ん読とか?
と、いつも通り好きに書き殴ったところで、2021年5月に見つけた面白い本たちの紹介である。
参考にしていただきたい。
テスカトリポカ
これまた凄いのぶっ込んできたなぁ。
メキシコの麻薬カルテル戦争をベースにして、酷すぎてむしろ笑っちゃうぐらいの残虐無比なストーリーかと思ってたら、あれよあれよという間に、さらなる闇の物語へと突き進んでいく。
前作の『Ank:』のときもそうだったけど、作者の佐藤究氏の想像力は我々一般人とは、ひとつ別次元にあるようで、読んでてまあ振り回されること振り回されること。「なにこれ?」と思いながらどんどん読んでしまう。ほんと、どんな発想してたらこんな作品生み出せんだよ。どんな話が全然説明できねえし。
伊藤計劃好きには絶対にハマる、強烈でダークな作品である。
時をかけるゆとり
エッセイストとしての朝井リョウは超一流である。小説の方は未読なんで知らん。直木賞を獲ってるぐらいだから一流なのだろう。でもエッセイの方が超だ。だから超直木賞を授与して進ぜよう。
最初に読んだのが『風と共にゆとりぬ』だったんだけど、これがもう抱腹絶倒はさすがに言い過ぎだけど、人前で読むのは絶対に不可能なレベルで面白かった。
前作であるこちらの『時をかけるゆとり』は、まだ慣れずに若干硬い部分は見受けられるものの、やっぱりどうしようもないぐらい面白い。というかどうしようもなくて面白い。
勢い任せにすぎる氏の冒険譚に、自意識過剰が過剰すぎる感性から生み出される数々のエピソードは、気分を明るくしたいときにピッタリであろう。
繰り返しになるが、絶対にニヤニヤを抑えきれなくなるので、くれぐれも読む場所は選んでいただきたい。
蜜蜂と遠雷
あぁ…これはとっても主人公…。
小説はこの世の中にそれこそ数え切れないほどあるけれど、王道の作品というのは実はそんなにない。読者に手にとってもらえるようにするため、印象に残すためのフックとして、何かしらの「ひねり」を入れたがるものである。
しかしながら『蜜蜂と遠雷』は違う。とっても王道。弩ど真ん中。超主人公。強い。
こんだけ真正面から読者とぶつかってくるだけでも珍しいんだけど、さらにちゃんとボッコボコにもしてくるからね。ここまで来ると、小説界のヤクザですわ。
ぼくが子供ころ、ほしかった親になる。
多発性骨髄腫という血液のガンに罹り、余命3年を宣告された写真家、幡野広志。
そんな彼が、残り少ない人生しか共にできない息子に向けて綴った言葉をまとめた、非常に私的な作品である。
なのにだ。彼の幼い息子に向けたその言葉は、鋭いまでに読む私たちの胸に刺さる。生きる上で大事なこと、見過ごしてきたこと、誤魔化してきたこと。そんな「人生を濁らせるもの」を見事に浮き彫りにしてくるのだ。
被写体にフォーカスし、どうやれば伝わるかを模索する写真という仕事は、文章を綴ることと本質は同じなのかも。
銀河英雄伝説8
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以上。来月もお楽しみに。