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【月イチまとめ】2021年3月に見つけた面白い本

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

毎月恒例の月イチまとめ記事である。

 

 

「人はなぜ山に登るのか」 

 そんな深遠な問いを目にすることがある。

わざわざ危険を犯し、自らに負荷をかけ、時間を注ぎ、道具も揃えるとなれば金銭も投じなければならない。そこまでして人はなぜ山を登ろうとするのだろうか?

仕事と奥様の命令(おつかい)など、生きていく上で避けようがないことでしか外出しないような超インドア派の私には皆目見当がつかない問いである。いくら想像の羽を伸ばしたところで「頂上に美味しいパン屋でもあんのかな?」ぐらいの答えしか出てこない。

 

振り返って、私である。

苦労の代名詞みたいな登山に比べれば、私が愛する読書はとっても単純な行為だ。

 

面白い体験ができるから。

 

これに尽きる。

 

酸いも甘いも、最高も最悪も、友情や裏切り、愛も吐瀉物も、本の中にはあらゆる体験が詰まっている。ドンキやコストコにも負けない品揃え。それが本なのである。

とはいえ、普段本を読まない人からすれば、「なんでわざわざ文字なんて読む必要があるの? マンガとか動画じゃダメなの?」という感じだろう。

「読解」という負荷の高い作業をせずとも、スマホをタップすれば面白いものが勝手に流れてくる時代である。

 

そうやって考えると、登山をする人の気持ちも若干だが理解できるような気がする。

つまり、求めているのは過程の濃度なのである。

濃い体験は、濃い過程があってこそのものである。ダラダラと享受する娯楽には、それ相応の体験しか得られない。

だから私は、文字を読み、己の脳内でイメージを膨らます。ときにその想像の中を泳ぎ、迷い、駆け抜け、立ち止まり、息継ぎをするように現実世界へと戻ってくるのである。

これは何物にも代えがたい体験だ。誰の理解も必要としない、私一人で完結する最高の愉しみである。

 

ということで、そんな私の愉しみに貢献してくれた作品たちを紹介をしよう。

2021年3月に見つけた面白い本たちである。参考にしていただきたい。

 

 

慈雨

 

面白い作品と出会ったときによく思うことがある。

「よくぞ、こんな素晴らしい作品を創り出してくれた」と。

柚月裕子の『慈雨』はまさにそんな作品で、緻密で丁寧な筆致を駆使して、最高のドラマを織り上げている。

 

プロットやキャラなど、小説にとって面白くなる要素というのはたくさんある。

その中でも『慈雨』は心情に特化した作品である。

主人公たちの心情を丁寧に拾い出し、人と人の繋がりを描いている。そうやって紡がれた物語は、最高級の織物を思わせる。

柚月裕子の確かな筆力によって編まれたこの物語は、多くの人の心を温め、満たすことだろう。素晴らしい仕事に拍手。

  

 

言葉にできない想いは本当にあるのか

 

元SUPERCARのギタリストにして、音楽プロデューサーの、いしわたり淳治による「言葉の解説書」である。

作詞という、限られた文字数で最大の効果を求められる仕事を通して磨き上げられた、確かな感性とロジカルな分析力を存分に生かして、世の中でウケている言葉たちが、なぜ多くの人達に受け入れられているのか、その理由を語り尽くす。

言葉フェチの私からすると、垂涎モノの一冊で、永遠に読めちゃう類の作品である。マジで10倍の文量で値段が10倍とかでも全然買います。

こんだけ言語化が上手いと気持ちいいだろうなぁ。羨ましい。

 

 

勉強の価値

 

元大学助教授にして超ベストセラー作家の森博嗣による、「身も蓋もない勉強論」。「勉強は楽しくなくて当然」と語りつつも「本当の勉強はとんでもなく楽しい」と言い切ってしまう森博嗣の痛快さよ。

 

子供が勉強嫌いになるのは、身近にいる大人が楽しそうに勉強していないからだと書いてある。

たしかに私が子供の頃、勉強している大人なんて見た記憶がない。しかし、いざ自分が大人になってみると、勉強というのは常に色んな場面で行なわれることであり、学びを得られない瞬間というのは、実際のところないのでないかと思われるぐらいだ。

凡人の私のような人間からすると、頭を使うことは苦痛である。できることなら何も考えずに幸せに生きていたい。しかしそんな石油王みたいな生活は願っても手に入れられないので、凡人なりに日々を切磋琢磨して、ときに磨きすぎて擦り切れてたりする。

そんな毎日の中で、苦労しながらも頭を使っている瞬間、ほんのごくたまに「そういうことか!」と膝を打ちたくなる瞬間がある。世界がクリアになるような感覚を得られる。

勉強の楽しさというのは、間違いなくある。

でもそのために毎日積極的に勉強するかといえば、そんなことはなく、そんな私はやっぱり凡人なのである。

 

 

盤上に君はもういない

 

うん、美味。

 

とある女性棋士の数奇に満ちた生き様を、複数の登場人物の目を通して語り継いでいく、美しも心温まる作品である。

こういうリレー小説の良さは、読者が読みながら描いた想像の答え合わせができる点である。

ある登場人物の章で語られていたことの裏がまた別の章で語られていたりして「なるほどねぇ」とか「そう来たか!」という驚きと納得の連続で、とっても気持ちが良い。

 

将棋の話だけれど、私みたいに駒の動かし方さえ怪しいレベルの人間でも、文句なしに楽しめるから安心してほしい。逆に、めっちゃ詳しい人が読んだらどうなるのかは未知数である。ちょっと荒唐無稽かも。

 

あと余談だけど、作者のあとがきが素晴らしかった。

血をテーマに据えた作品なので、作者と父親との関係性が描かれることで、作品を読み終えたあとの余韻にさらに磨きがかかったように思う。 

 

 

銀河英雄伝説7

 

こいつは外せんでしょ。

もうね、何を語ったらいいのか分からんレベルで好き。

当に好きな作品を前にすると人って、言語化とかしたくなくなるよね。美しい人を見たら、美しさの説明をしたくなんてならんでしょ。ただただ目と心を奪われるじゃん?私にとって『銀英伝』はそんな存在。 

文句を無理やりつけるとしたら、終わってしまうこと。この至高のスペースオペラが終わるというただ一点が、本当にダメ。ダメダメのダメ。最悪すぎ。赤点なので、やり直しでお願いします。

ということで、私は『銀英伝』を読み終わりたくなさすぎて、どんどん読むペースが落ちているのだった。あー、ほんとどうしよう。このまま寿命を迎えそう。いっそあの世で読むか。そうすれば生きてる間中ずっと『銀英伝』の続きを楽しみにしていられるから。

 

 

愚かな結論が出たところで、今月はここまで。

さようなら。