どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
私は普段から腐るほど本を読んでいて、生粋の言葉フェチだと自認している。
※参考記事
こんな記事を書いてしまうぐらいなので、曲を楽しむときはまず歌詞を吟味する習性がある。もちろんメロディーから魅了されることもあるが、歌詞が大したことないことに気がつくと途端に冷めてしまったりする。米津玄師とか。好きだけどね。
で、そんな私なので大嫌いなタイプの歌詞も多数存在する。しかも邦楽にはある種の型というかパターンがあって、「なんでこの歌詞をアーティストは多用するのか?」と疑問に感じることが多い。きっとアーティスト自身が幼い頃から刷り込まれた結果、違和感を持たなくなったのだろう。
ということで、今回の記事ではそんな生粋の言葉フェチである私が、邦楽によく出てくる大っ嫌いな歌詞を紹介しようと思う。
一緒に納得するも良し、私のイチャモンっぷりに怒り狂うも良し、である。好きに楽しんでもらえたらいい。なんなら読まずにブラウザバックでもOKだ。お互い限られた人生である。有意義に過ごそうじゃないか。
では行ってみよう。
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「風をあつめて」
この物言いは本当によく見かけるし、見るたびに「どういうこと?」と不可解な気分になっていた。子忍の風助かな?
よく使われているということは、私が知らないだけで風を集めることって、一般的なのだろうか。少なくとも私はもちろんのこと、周囲の人間が風をあつめているところは見たことがない。
いや、ちょっと待てよ。そんなこと言い出したら、周囲の人間が自慰をしているところだって見たことがないのだから、「見たことがない=誰もやっていない」の図式は成り立たない。確実にやってるだろ。私はやってないけど
でもそもそも私は「風をあつめている状態」というのが想像できない。無理やり想像すると台風とか竜巻の類になってしまうのだが、歌詞として使われている文脈からすると、そんなはげしい現象にはとても思えない。
それともT.M.Revolution的なやつなのだろうか…。疑問は深まるばかりである。
機会があったら私も集めたい。風を。
「飛んでいくよ」
「風をあつめて」しかり、歌詞にはこういった異能力者系のパターンがたびたび登場する。
見識の狭い私はこれが解せない。どうしても歌詞に入り込めない。どれだけ上質な表現とメロディーに乗せられても、突然「飛んでいくよ」とか言われると、「何者ですか?」となってしまう。白けてしまう。
もちろん慣用句として「誰よりも先人を切って飛び出す様子」の意味で使っているのは分かっている。
でもそれでも気持ち悪さは拭いきれない。舞空術のイメージが強すぎる。
あいたい群
これはもう日本中で飽きられていることだろう。西野カナに端を発した“アンチ会いたいブーム”。
繰り返し歌詞に登場する「会いたい」に対し、「じゃあ、会えよ」という身も蓋もないツッコミを入れた人は多いんじゃないだろうか。
で、私はわざわざそんなこすられきった話題は出したくない。私がここで取り上げたいのは、「あいたい」のパターンの抱負さである。あまりにも多いので、まとめて「あいたい群」と名付けよう。
よく見かけるところだと「会いたい」「逢いたい」である。
後者の方が狙っている感が出ていて、非常に香ばしい。落ち着いて眺めると、一体何なんだこの漢字。常用漢字ではないことは間違いない。学生が普段使っていたら、確実に影でバカにされる必殺文字である。そういえば私の同級生にもいたな。逢いたいじゃないけど、わざわざ涙を「泪」と書いてた奴が。しかも黒板に。イタさがとっても青春だ。青春と愚かの意味は大体一緒である。
他にも「あいたい」「アイタイ」なんてのもある。
正直これはまだ許せる。「あいたい」は平仮名特有の柔らかさとか、幼さみたいなのが加わっていて、とても味わい深い。
「アイタイ」は若干イタいけど、表現を曖昧にすることで間口を広げるという意味では、「あいたい」と同じ効果を出すことに成功していると思う。私は全然好きじゃないけど。
問題は「aitai」だ。
さすがにやりすぎだろ。ロボット感が強すぎる。なんかちょっとストーリーが勝手に出来てしまいそうだ。
壊れかけのロボットが、昔一緒に遊んでくれた少年を思い出して「…aitai…」とか呟いてたら…なんて想像してみたらちょっと泣きそう。疲れてるかも。
「涙が止まらない」
眼科。
「守るから」「誓うよ」などの無責任な発言
歌詞にするくらいなので、あまり軽い言葉は使えない。なんと言っても、歌って伝えたくなるほどの言葉だ。なのでどうしても歌詞は重い言葉になりがちだ。約束とか、愛してるなんてのが頻繁に登場する。
その中でも特に気になるのが「守るよ」と「誓うよ」である。
まず言いたいのは、どちらも簡単に言える言葉ではないということだ。
「守るよ」なんて断言できる男に、ギターかき鳴らしている歌っている時間はない。調律してる間に彼女がさらわれちまう。歌ってる暇があったら筋トレすべきだ。格闘技習え。
防御は最大の攻撃である。そういう意味では「戦うよ」とか「勝つよ」なんていう知能指数4ぐらいの言葉よりはだいぶ「守るよ」の方が賢い。であれば相手に攻撃されないような風貌を身につけることが先決だ。戸愚呂弟を目指そう。「守るよ」という言葉よりも数千倍説得力が増すはずだし、大事なのは実際に守れるかどうかである。
あと「誓うよ」。これもダメ。
人が誓うときってのは、誓約書が発生するときだけ。それ以外は完全なる口約束。いつでも反故にできちゃう。契約書も書かずに「誓うよ」とか言っても、なんにも誓えてない。それは本当の誓いじゃない。ヒモでも言えるから。
きっと結婚式で愛する2人が声をそろえて「誓います」とか言っちゃてるシーンから連想しているのだろうが、本来誓いってのはそんなにロマンチックなもんじゃないからな。超シビアなガッチガチの契約の世界だから。誓いナメんな。
誓いは言葉でするものではない。そういう意味では歌詞で使うのに、一番適さない言葉だろう。本当に「誓いたい」という気持ちがあるならば、実印と契約書を渡すのが正解である。
もしどうしても歌詞に使いたいのであれば、「誓うよって言いたいよ」ぐらいが限界じゃないだろうか。マッキーの「もう恋なんてしないなんて言わないよ」に似た味わいがあるじゃないか。
「暗闇の中でなんたら」
さきほども書いたが、歌詞は「歌ってまで伝えたい言葉」という制約がある以上、極端な言葉になりがちである。また、大衆一般に伝えることを考えると、どうしても普遍的なワードをチョイスしなければならない。「君のコマーシャルアットにさえも嫉妬しちゃう」とか書いても伝わらないわけだ。
※コマーシャルアット・・・@のこと
で、これまたよく使われるのが「暗闇」である。
手探りだったり、困っている状態を表現するのに頻繁に使われる。あまりにも使われすぎていて、もしかしたら日本にいるアーティスト全員が、一度は暗闇の中でなにかをしているっぽい。そんなに暗闇だらけですか?日本。
類語として「絶望の中で」とかもあるけれど、こちらは「絶望」という強すぎる言葉に対して、使われ方がポップすぎて説得力がない。
大体にして、もし私だったら絶望しているときに歌おうなんて思わない。
すぐにいなくなる「君」問題
歌詞の中で頻繁に出てくる「君」。
「君」というワードが出てきたら、続くのは大抵このパターンだ。
”君がいない”
”君を探してる”
”君を見つけた”
こうやって3つ並べるとまるで、ストーカー関連の怖い話っぽいが、気にしないようにしよう。
それにしても、いなくなりすぎだろ、「君」。探されすぎ。幼児かな?
歌ってる奴も見失いすぎ。探しすぎ。ストーカーなの?嫌われてるのに気付こうよ。
上で書いた「あいたい群」もそうだけど、恋愛系の歌詞はつまるところ「相手との関係をどうにかしたい」というだけの話だ。だからパターンが限定されてしまう。
あとは表現をひねくり倒しているだけ。みんな同じこと歌っているのである。
HY全般
一番最初に書いた「メロディーで好きになっても、歌詞を見て冷めるパターン」というのは、私にとってぶっちぎりでHYだ。
先に言っておきたいのだが、私はHYが好きだ。というか好きだった。青春時代、音楽に対しての感性が一番多感だった時期に彼らの楽曲と出会ったので、本当に無条件で好きになっていた。仲宗根泉の見た目とか全然気にならなかった。むしろ好き。
すげえ前過ぎて恥ずかしいのだが、こんな記事まで書いてしまうぐらい好きだった。
しかしながら、彼らの書く歌詞はかなり酷い。私が苦手とするタイプの歌詞のオンパレードだ。
ちょっと具体例を挙げて、ぜひとも理解してもらいたい。
風をあつめて飛び上がろう
※『ホワイトビーチ』
ね?
優しい風に身を任せ
さぁ気の済むまで傷を癒やすdays
※『涙』
days。
言葉ひとつそれだけでいいのに
どちらとも言わないあなたを
離したくはない離れたくもない
他の誰かといても
※『NAO』
こえーよ。
世界中でこんなにたくさんの人がいるのに
アナタと出会って恋に落ちて同じ気持ちになれたのに
会えない 会いたい
今あなたに会いたい ただアナタに会いたい
ただアナタに会いたい
今アナタに逢いたい
※『Song for…』
ちょっと笑ってしまうぐらいの「あいたい群」。
怖いくらい覚えているの あなたの匂い 仕草や すべてを
おかしいでしょう? そう言って笑ってよ
別れているのにあなたのことばかり
※『366日』
「怖いくらい覚えている」という言葉の意味が分からない。記憶力自慢?
タイトルもキツイ。
とまあ酷くこき下ろしてきたが、中には「これは許せる」という楽曲もある。
『AM11:00』とか『あなた』とか。
最後に
音楽を作る人間なんて、基本は中二病である。衝動的な言葉を並べてしまうのは、仕方ないものなのだろう。大目に見ようじゃないか。すべてが計算づくなのは秋元康だけである。
そう考えると、この記事で挙げてきた言葉たちにも可愛さと言うか、愛くるしさみたいなものが出てくるじゃないか。まるで他人の黒歴史を眺めるような甘美さがある。
ということで、いらんことばかりを書いてきたが、これからも素敵な歌詞を求めていく次第である。
以上。