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文章としては悪手のはずの“あれ”を使っているのに…。『すばらしい日々』よしもとばなな

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

今回もすばらしい作品を紹介しようじゃないか。覚悟せよ。

 

 

内容紹介

 

 

手が震え文字が血でにじんだり、かすれたりしてひとつも読めない血まみれの手帳。父・吉本隆明の血糖値の記録。それはどんな著作よりもはっきりと、最後まで生きることをあきらめなかった父の姿勢を教えてくれた。両親が衰えていくのを見て、何回も涙した。信じたくないと思ったし、こわかった。でも、その恐ろしい中にも緩急があり、笑顔があり、落ち着けるときもあった。産まれること、生きること、子を育てること、死ぬこと、看取ること。人間として避けては通れない時を、著者は娘として、親として、一人の女性として真摯に過ごしてきた。

どんな苦しみの中にもある輝きと希望を紡ぐ珠玉のエッセイ。 

 

まず書いておきたいのは、よしもとばななは天才的であるということ。

元々は森博嗣の絶賛から興味を持った。曰く「彼女は天才」。

友達だからってさすがに言いすぎでしょ、なんて思いながら初よしもとばななを体感したら思いましたよ。「こりゃ確かに天才的だわ」って。

私は森博嗣ほど感性が鋭くないし分析力もないので、彼女の素晴らしさがまだ「天才的」に感じてしまうが、それでも十分に規格外の御方だと思った。

いや、ほんとに凄いです、ばなな。

 

 

感性の暴力です

 

紹介文にも書いてあるとおり、この作品はエッセイになる。「素晴らしい日々」と聞くと大仰なイメージを持ってしまうかもしれないが、この作品で語られる日々は本当にささやかだ。

そんなささやかな日々の描写を繰り返し語っているだけなのに、妙に胸に来る。妙に沁みる。妙に味わい深い。

 

なんだこれ。よく分からない。でもよしもとばななの感性が飛び抜けていることは、すげえ分かる。圧倒的感性。感性の暴力。でも優しい。口当たりが最高に柔らかい。

たぶんだけど、これは計算で書いているのではなく、彼女の感性に任せて書かれたものだろう。

そうじゃなきゃ、あまりにも自由すぎる。型にはまってなさすぎる。

 

 

文章としては悪手のはずの”あれ”が連発

 

あと読んでいて気がついたことがある。ここがこの記事のメイン。

 

指示語がめちゃめちゃ多用されているのだ。

 

私もブロガーという文筆家の端くれなので気をつけているのだが、指示語は読者にストレスを生みやすく、できるだけ避けるべきなのだ。文章で読む人を楽しませたいと思ったら、指示語を極力なくし語彙を駆使して「味のする部分」を増やすことが大事になのだ。

 

 

ちょっと例を上げてみようか。

 

これがダメなパターン

「書きたいのに書けない。そんな経験をしたことのある人は多いだろう。こういったときに大事なのは、まずは書くことだ。まるで矛盾しているように聞こえるかもしれないが、これが真実なのである。」

 

 

こっちが味のする部分を増やしたパターン

「書きたいのに書けない葛藤を経験した人は多いだろう。筆が進まないときに大事なのは、まずは書くこと。矛盾しているように感じるだろうか?だが真実だ。」

 

 

私がそもそも筆力のある人間ではないので、例文自体がイマイチなのだがまあ勘弁してくれ。

ダメなパターンよりも、味のする部分を増やしたパターンの方が、文章自体の存在感というか、インパクトが強くなっていることが分かると思う。

…というふうにこうやって書いている文章がもうすでに指示語だらけなので、やっぱり私はダメだ。

 

で、本来であれば指示語を使いまくれば、それだけ文章がぼんやりしてしまい、読者の負担が爆上がりしてしまうはず。

なのにだ。

なのに、よしもとばななの文章は、常に心地よい。指示語が多用されていても、ぼんやりとした表現だとしても、スッと入ってくる。なんぞこれ。本当に意味が分からない。

 

 

長い文脈だからこそ伝わるもの

 

俳句しかり、コピーライティングしかり、ツイッターしかり。

日本人は基本的に身近にセンテンスを好む傾向がある。簡潔な文章や言葉に感銘を受けやすい。別にそれは批判の対象になるようなものではない。好みの話である。

だが、だからこそ文章表現は短いセンテンスのインパクトに比重を置きすぎてしまう傾向がある。ということに、よしもとばななの文章を読んで気付かされた。

彼女の指示語を多用した文章は、簡潔な文章では伝わらないものを伝える力がある。もっと言えば、語彙が存在しないものを伝えようと思ったら、これが自然なのだ。

 

鮮やかに言語化される美しさや感銘は確かにある。私も大好きだ。

その一方で、よしもとばななの綴る長い文脈もまた、私に感動を与えてくれる。

短いセンテンスでは生まれない、独特の味わい深さがそこにはある。

 

 

唯一無二の文章をぜひとも味わっていただきたい。 

 

 

以上。

 

 

そもそもタイトルも装丁も、美人だよね。