どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
ちょっとした小遣い稼ぎのつもりで始めたこのブログも、気が付けば20万PV、月の売上は150万超。本当にありがたい限りである。ありがたすぎて笑いが止まらない。開いた口が塞がらない。なのでヨダレも垂れ流しっぱなしである。うん、それはさすがに嘘だ。
自分で言うのもなんだが、これだけの結果が出たのは(ヨダレが止まらない件のことではない)、ひとえに私が「お金大好き人間」だったからだと思う。
自慢でもなんでもないが、私は本当に凡庸な人間である。
人様に誇れる学歴もなければ、世の中を渡り歩けるようなスキルもない。社会の底辺を煮詰めたような職場で、安い給料をアテにして生きてきた。
そんな生活に嫌気が差し、少しでも手に入るお金を増やしたいと思い、アホなりに四苦八苦やってきた結果が今である。
副業でこれだけ稼げていることを同僚に話すと、かなり羨ましがられる。
じゃあと思って「タダでやり方を教えようか?」とか「手伝いましょうか?」という私が言われたら嬉しすぎて尿もれするぐらいの言葉をかけても、
「難しそうだし」
「普通の人には無理でしょ」
「コツコツやるの苦手」
といった返事をいただく。この時点で私は非常に白ける。
かと言って同僚たちがお金を持て余しているかと言えば、全然そんなことはなくて、いつも「お金がない」と困っている。家のローンや子どもにかかるお金について頭を悩ませている。でも昼休みにジュースを買ったり、ふるさと納税をやっていなかったり、外食していたりする。とても不思議な光景である。もしかしたら悩むのが好きなのかもしれない。あえて自分を過酷な状況に追い詰めることで、新たな力を得ようとしているのかもしれない。頑張ってほしい。きっとただのマゾになるだけだと思うが。
で、私はと言えば学がないなりにお金について勉強し、日々のお金の動きを意識するようにしている。
まだまだ全然ヒヨッコだ。しかしヒヨッコはヒヨッコなりに、少しはお金に関する話ができると思う。もしかしたら誰かの役に立つかもしれない。ということでこの記事を書いてみた。
長ったらしい前フリになってしまって、100人中99人は読み飛ばしていることだろう。残りの1人は私である。
いい加減本題に入ろう。「お金に関するいくつかの真実」である。
お金で買えるものは、自由
自由と聞いてどんなことを思い浮かべるだろうか。自由に暮らす自分の姿をイメージしてもらえれば分かりやすいだろう。
好きなときに好きな場所に行ける。
食べたいものを食べる。
面白い体験をする。
時間を気にしないで生きる。
無限に眠る(死んだ方が早いのでは?)。
などなど、人それぞれの自由があることだろう。
これらをひっくるめると、つまり「選択肢を持っている状態」だと言える。
自由というのは、選択肢を持っている状態を言うのだ。自分がしたいと思ったことが、自分の思ったようにできる。そのための選択肢を持つ。
お金が無ければ、選択肢も限られる。お金がないから、お金がある人の言いなりになるしかなくなる。これはつまり自分の人生を生きられないことと等しい。
お金で得られる満足感は、慣れる
お金があれば選択肢が増える。好きなことにお金を使えることだろう。
しかし考えてみてほしい。なぜ人は好きなことにお金を使いたいのだろうか?好きなことにお金を使うと何があるのだろうか?
答えは非常に単純である。「気持ちがいいから」だ。
お金を使って欲望を満たしたいだけなのである。
しかし、ここにひとつ落とし穴がある。人はお金を使うことで満足感を得られるだろうが、その満足感は一時的なものでしかないということだ。
人は良くも悪くも慣れる生き物である。不幸にだって、幸福にだって、同じくらいの度合いで慣れてしまう。せっかくお金を使って得られた幸福に慣れてしまった場合、その人はどんな行動を取るだろうか。どんな行動を取りやすいだろうか。
そう、さらなる快楽を求めてお金をつぎ込むのだ。
欲望とお金の戦いは一生終わらないことを肝に銘じるべきである。
お金持ちは総じてケチ
小学生でも分かることだが、どれだけ収入があっても、それを超える支出があればお金は減っていく一方だ。逆に言えば、どれだけ収入が少なくとも、支出がそれを上回らなければお金は溜まっていく。
以前、貯金の上手い先輩がこんなことを言っていた。
「お金がないなら、諦めて不味いものを食べればいいんだよ」
名言だと思う。
要は、不況のこのご時世収入を増やすのは簡単なことではない。しかし支出を減らすのは個人の努力でかなりの部分を賄えるということだ。
ちなみにアメリカで億万長者限定の調査を行なった結果、ほとんどの人がケチであることが分かっている。
支出に敏感になるのは、お金について学ぶための第一歩である。
※参考書籍
連帯保証人になるということは「借金を肩代わりしてもいい」という意味
私の血縁でも連帯保証人絡みで破産した人がいる。
その人は明らかに“いい人”で、誰からも愛されていたし、その人だって誰もを愛してしまうような人だった。でも、だからこそ食い物にされてしまった。連帯保証人になったことで、借金を肩代わりしてしまったのだ。
いまどき簡単に連帯保証人になる人はいないだろう。それくらいには常識になってきていると思う。しかし連帯保証人になることを求めてくる人は、こちらが気圧されるぐらいに必死に頼んでくるかもしれない。「もう死ぬしかない」なんて言われるかもしれない。
そのときに「申し訳ないけど死んでくれ」と言えるのであれば問題ないだろう。
だけど、世の中には他人を見捨てられない“いい人”が存在する。その場の感情に負けてしまう人だ。「絶対に返せよ」とか言いながら書類に判子を押してしまうかもしれない。
さらに問題は、それが自分でなかったとしても責任が及ぶ場合である。
連帯保証人になった場合、その責任は家族にも引き継がれる。自分は大丈夫だと思っていたとして、自分の周囲から忍び寄ってくるかもしれないのだ。
単利と複利の違いも分からないなら、借金してはダメ
というかそもそも借金はするべきじゃない。自分のお金の範囲内で暮らすべきだ。
お金が欲しいのであれば稼ごう。余分に稼げばいいだけの話である。余分に稼げないのであれば、その程度の能力しかない自分を認めるべきである。
地に足をつけて生きよう。それはなにも悪いことではない。
もっと言うと、投資もやってはいけない。
金融商品もそうだし、保険もそうだけど、よく分からないのであれば手を出すべきではないのだ。なぜダメなのかと言えば、それは「手を出したことで、どんなリスクがあってどんなメリットがあるか分からないから」である。
リスクが分からない状態で手を出すのは、目隠しした状態で外に出るようなものだ。すぐに死ぬだろう。それくらい金融商品っては難しく、素人が介入できるような世界ではないのだ。
まあ、失ってもいいお金であれば構わないけど。
世の中は、効率よくお金を吸い尽くすようにデザインされている
この世の中は「いかに群衆から効率よくお金を吸い取るか」と考える人によって作られている。
具体的なことを書くと、例えばスマホやネットの無料のサービスである。
YouTubeやアプリは際限なく無料で遊べることだろう。こういった無料サービスばかりで時間を消費しているため「若者はお金を使わなくなった」なんて言われている。いや、落ち着いて考えてみてほしい。
そもそも通信費がバカ高い。しかも毎月支払っている。どこが無料なのだろうか。幻想もいいところである。
しかしきっと本人はお金を使っている意識はないだろう。なんなら「課金ユーザーなんてアホ」と見下しているかもしれない。私からすればどちらもアホである。まあ私もアホなのでみんな仲良くしようじゃないか。
CMがバンバン流れているせいで上手にイメージが作り上げられているが、宝くじだって文句なしのギャンブルである。パチンコや競馬はダメ、と思っている若い女性がなぜか宝くじは買ったりする。なんなら宝くじの方が悪どいのだけど、気付いていないのだろう。
終わりに。勝負を続けよう
なんだかいくらでも書けそうなので、今回はこの辺りで止めておく。気が向いたらまた書こう。
最後にお金について一番大事なことを書いておく。
最初にも書いた通り、お金は私たちが生きていく上での選択肢を与えてくれるものだ。
何かに挑戦したくてもお金がないせいでできない、なんてこともあると思う。高みを目指すために飛ぶことさえ許されないのだ。
これが一番の不幸だと私は思う。
いつまでも挑戦するために、ずっと勝負し続けるために、私たちはお金を失ってはならないし、お金を稼がなければならないのだ。
だから私たちはお金にもっと執着すべきだし、お金から解放されるために努力すべきなのだ。
以上。つまらない話にお付き合いいただき感謝。
⇒カイジにあやかった雑魚本かと思ったが、お金に関する初歩的な話が簡単にまとまっていて、意外とオススメである。