俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

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「自分が嫌い」という人がするべきこと

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「自分が嫌い」という人々

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

リアルでもネットでもよく「自分が嫌い」という言葉を聞く。

私はこの言葉に違和感があってあまり好きではない。というか「自分が嫌い」が嫌いだ。

 

落ち着いて考えてみてほしいのだが、“自分”というのはそもそも「好き嫌い」で語られるようなものではないのだ。自分という存在は、人生においてインフラであり、必要不可欠なものだ。空気や水に対して「嫌い」と言わないように、あることが当たり前の存在なのだ。

という子供でも分かるようなクソつまらんことを書いてしまっているが、でもそれも分からない人がいるから「自分が嫌い」という言葉がこうして出回っているのだろう。

別に他人がどんなことを考え、どんなことを感じようが否定するつもりはない。ただ単に私からすれば「カラスって右側だよね」と言われているような違和感があるのだ。「いや、左右で表現するようなもんじゃないから」と言いたくなる。

 

「自分が嫌い」という苦しみ

ただ落ち着いて考えてみれば(最初から落ち着いてるけど)、日本語には「自己嫌悪」なる言葉がある。意味はそのものズバリ「自分で自分自身が嫌になること」である。

つまり人生のインフラである自分さえも嫌いになる、という状態はそこまでおかしなことではなく、専用の言葉が作られるくらいありふれた現象であると言える。

しかし想像するに(私は自分が嫌いになったことがない)、自分を嫌いになった状態は非常に苦しいものではないだろうか。

この世の中には水アレルギーという地獄のような体質の人がいるそうだ。水が肌に触れると荒れだし、痒みに襲われたりするそうだ。もちろん自分の汗でもアレルギー反応を起こす。天罰レベルのハンディだと思う。

「自分が嫌い」というのはそれに近い苦しみを味わっているのと同じだ。

自分という存在は、それこそ水よりも空気よりも自分に近しい存在だ。これが嫌いになるなんて、それこそ自殺レベルの苦しみだろう。死ぬことよりも苦しいことってのは、ある。

 

「自分が嫌い」への対抗法

ではこの苦しみに対処する方法とは何だろうか。

考えるに3つある。

 

1.気付く 

まずひとつは、私が最初に書いたように「そもそも自分とは、好き嫌いで語るものではない」と気付くことだろう。「自分が嫌い」と勘違いしてしまっている自分の考え自体を改めるのだ。

ただそうは言っても一度「自分が嫌い」と感じてしまった人に対して「そう感じるのは変だよ」と言ったところで「なるほど!目から鱗です!」と素直に考えを改めるとは到底思えない。我々がカラスを見て「黒い」と感じることを否定されても、「いやいや黒いし」と受け入れられないのと同じだ。

 

2.理想を低く 

もうひとつは「理想を低くする」ことだろう。

自分が嫌いというのは、つまるところ「理想の自分との乖離を受け入れられない」ということだ。人は理想や目指すところがあるからこそ、現状との違いを問題として認識する。「本当なら自分はもっとこうであるべきなのに…」と思っているわけだ。

もし自分をそんな簡単に変えられるのであれば、「こんな自分が嫌いだ!なんとかせねば!」と息巻いてもいいと思うが、多くの人はそんなに簡単に自分を変えることはできないと予想する。そもそも簡単に変えられるのであれば、みんな悩むことだってしないはずだ。まあ他人よりは簡単だろうけど。

だから、自分が最初に設定している理想や目標が高すぎるから苦しいわけで、もうちょっと自分を低く(正確に)見積もった方がいいだろう。

自らへのハードルを下げてベイビーステップを繰り返すほうが、人生の満足度は高まるはずだ。

 

3.欲望を観察する 

3つ目は「欲望を自覚する」ことだ。

理想や目標が高くなってしまうのは、それだけ欲望が溢れているからに他ならない。他人と比べたり羨んだりする人間の知能ゆえだとは思うが、動物だったらそんな欲望は存在しない。動物が自分を嫌いになることだってない。まあ動物が自己嫌悪に陥ってたらそれはそれで可愛いけど。

この欲望ってやつは、自分の中から勝手に溢れ出てくる非常に厄介なもので、性癖と同様に自分の意志でどうにかなるもんでもない。一説には瞑想をやればこの欲望をコントロールできるらしいが私は試したことがないのでよく分からない。

 

ただ、コントロールとまでは行かなくても、自らの欲望自体を自覚することは非常に簡単だ。

こちらの本に書いてあったテクニックを紹介しよう。

私の人生の中でも買ってよかった本ベスト3に入る良書である。たぶん数十年単位で売れ続ける本になるはずだ。 

 

手順はこうだ。

①自己嫌悪を呼び起こすような欲望が顔を出す。(例えば何か失敗をしてしまったときに「こんなはずじゃなかったのに…」と思うようなとき)

②その欲望(自己嫌悪)に名前を付け、自分とは違う存在として認識する。

「ああ、また“自己嫌悪”野郎が出てきた」といったイメージ。

 

たったこの2手順を繰り返すだけで、自分の欲望に対して自覚的になれるようになる。そして欲望自体を自分から切り離して観察できるようになるので、「自分はダメな奴だ…」と自己嫌悪に陥ることも少なくなるだろう。テクニックなので慣れが必要だ。とにかく繰り返すことが大事。

 

良くも悪くも習慣が人を作る

自分を嫌いになったまま生きることもできるだろうし、どんな生き方をしようとその人の自由だ。私がとやかく口を出すことではない。

しかしながら、老婆心ながらささやかなアドバイスをすると、自分を否定しながら生きるよりは、自分を受け入れながら生きる方が遥かに気楽だということだ。

自己嫌悪をエネルギーや前進するための活力に変えられる人であれば、好きなだけ自己嫌悪をすればいいと思うのだが、私の知る「自分が嫌い」な人たちはどう見ても苦しんでいるふうにしか見えない。

であれば、「自分が嫌いだ」と常に思うような習慣を持つよりは、「こんな自分だけどまあいいか」と思う習慣を身に付けた方が健全だろう。良くも悪くも、習慣が人を形作る。

 

いや、むしろ習慣こそがその人の人格なのかもしれない。

 

以上。