俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

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バッタ狂いに見る「公利私欲が最強」という話

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神の罰VS人間。その結果や如何に?

 

世にも珍しいバッタ馬鹿 

どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

先日なかなか衝撃的な本に出会った。Amazonの年間売り上げランキングでも上位に食い込んでいて、さらにはカテゴリ「昆虫学関」では堂々の1位である。昆虫学関がそもそも分からんのだが。

 

それがこちら。

 

 

愛すべきバッタ馬鹿による、果てなき挑戦の熱い熱い記録である。

笑って泣けて、いまだかつて読んだことがないタイプの新書である。というか、これは普通にエッセイである。

 

この本の魅力についてはこちらの記事で思う存分書いているので、ご興味のある方はどうぞ。

 

www.orehero.net

 

さて、この本の著者である前野氏だが、世にも珍しいバッタ好きである。なにせ「バッタに食べられたい」と願うほど好きなのだ。どう?イカれてるでしょ?

そうそういない変態さんである。

で、大事なのがこの彼の願いである。「バッタに食べられたい」。この異常な願いが、実は世界を救うかもしれないのだ。

 

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世界が求める“バッタ研究”

バッタというのは、世界的にも大きな研究対象になっている。その理由がアフリカで大発生するバッタの大群である。これが公害として猛威を振るっているのだ。

ただでさえ緑の少ない大地が、バッタの大群によって一瞬によって枯れた大地へと変貌する。人の命に関わる問題である。現地では“神の罰”と呼ばれていることからも、その影響力を想像できるだろう。

バッタの大群がなぜ発生するのか。どうやったら行動を予測できるか。それを研究によって明らかにすることが世の昆虫博士たちには求められているわけだ。

 

しかし、研究と一口にいっても簡単ではない。

空調が効いた研究室で平和にできるようなものもあれば、フィールドワークと呼ばれる過酷なものもある。具体的に言うと、アフリカの大地に降り立ち、現地の腐った公務員に賄賂をせびられながら、ノミに噛まれたり、サソリに刺されたり、地雷原の傍を車で爆走したりしなければならなかったりするのだ。しかもフィールドワークじゃないと分からないことの方が多かったりする。

しかし誰もがそんなきっつい事からは逃げたいと考えており、わざわざアフリカまで行って死ぬような思いはしないわけだ。そうして世界のバッタ研究は遅々として進まなくなる…。

 

我らが救世主 

そこに現れるのが、我らが前野ウルド浩太郎である。

彼は生粋の変態だ。日本を代表するバッタ馬鹿である。いや、もしかしたら世界を代表するバッタ馬鹿かもしれない。

バッタの大群を追うフィールドワークの過酷さも、彼のイカれた願いである「バッタに食べられたい」には太刀打ちできないのだ。

 

私はこれが本当に羨ましい。いや、別にバッタに食べられたいわけではない。

前野ウルド浩太郎氏は個人的な願望と、世界から求められる行為が一致しているのだ。自分の素直な欲求がそのまま世界の利益につながっているのだ。

 

好きは得意になるか

よく「好きなことで生きていく」とか、「好きこそものの上手なれ」なんてことが言われるが、それはあくまでも一部の才能と稼ぐ能力が一致している場合の話である。好きが得意とイコールになる例はむしろ稀だ。だから抜きん出た存在というものが現れるのだ。

好きが得意になるのであれば、なぜこの世の中に夢破れる人がこんなにも溢れているのだろうか。俳優志望とか、腐るほどいるだろうに。実際腐っていると思うし。

 

負け惜しみを言っているように聞こえるかもしれない。もしそう思った人は少し自分を疑った方がいいだろう。これは文章なので聞こえるはずがないからだ、なんていうくだらないことは置いておくとして、実際問題これは負け惜しみでもなんでもなく、ただの事実である。

好きを仕事にできる、と言うことで群がる人が多いから言うだけだ。その言葉の影響力や効果を狙っているにすぎない。資本主義とはそういうことだ(そうなの?)。

 

私が観察してる限りでは、好きと得意が一致することは稀だ。いや、少なからず好きと得意が一緒の人はいるかもしれないが、それがお金を稼ぐ手段になったり、他人から求められるレベルになることは限りなく少ないだろう。寝ることが好きだからって、それでお金を稼ぐのはかなり難易度が高いだろう。若い女性ならなんとかなるかもしれない…というのは少々問題発言かもしれない。

なので、この辺りは運だと思って間違いない。残酷だがしょうがない。諦めよう。色々と。

 

公利私欲という最強の組み合わせ 

とまあ、私はこんな感じで考えているので、前野ウルド浩太郎氏が羨ましくて仕方ないのだ。本当に仕方なくなるほどでもないのだが、「幸運な人だなぁ」なんて思ったりするぐらいの印象は受ける。

もちろん彼の著書を読んで、彼がどれだけ苦労し、努力し、考え、挑戦したかも知っている。でも、それでも彼はやはり幸運だと思う。変態として生まれ落ちたことが。

 

まだバッタの大群を倒すまでには至っていないが、彼の研究は世界に確実に貢献しているし、期待もされていることだろう。

私利私欲という言葉があるが、彼の場合は公利私欲だ。彼の欲望はそのまま世界の利益に繋がっている。こんなの最強でしょ。そりゃ歓迎もされるさ。

 

成功するかどうかは結局、支持される数、である。と言ったのは武井壮だったか。

この世の法則を端的に言い表した素晴らしい言葉だ。

 

自分の仕事が好きかどうか、という評価軸も大事かもしれないけど、そればかりに捕らわれてしまうと、仕事の本質である「支持される数」を見失ってしまうだろう。

お金はあくまでも労働に対する対価である。あなたが好きかどうかよりも、世界が求めるかどうかが大事なのだ。

公利私欲は確かに羨ましいけど、羨んだところで変態にはなれないし、自分にできることをコツコツやるしかない、といういつものつまらない結論に至るわけである。

そして、つまらない結論だからみんなして「他に面白い答えがあるんじゃないか」と余所見をしてしまうのだろう。みんな見たいものを見るわけだ。

 

以上。