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死刑によって救われるのは誰か?

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裁くことによって救われることなんてありえるのか。

 

死刑推進派日本

どうも、読書ブロガーのひろたつです。最近はもっぱら死刑のことばっかり考えています。

欧州のほとんどの国では人道的理由から死刑が廃止されていて、アメリカでもほぼ半分の州が死刑を廃止または停止している現状がある。しかし未だに日本では毎年死刑が実施されている。

これはきっと日本人の多くが「死刑に賛成」しているからだ。でなければすでに廃止されていてもおかしくない。

 

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死刑は、国家による復讐代理

死刑がこんなにも支持されているのは、報復感情によるものだと思う。つまり復讐心だ。酷いことをした人間なのだから、死んで償うべきという考えだ。

これは自分の家族を殺された場合を想像すれば、容易に納得できる。愛するものを無残に奪われたとしたら、犯人には確実に命で償ってもらいたい。法ができないのであれば私自身の手で命を奪ってやりたいと思うだろう。

 

人間的に完成する死刑囚

ただ、これが一筋縄ではいかないのだ。

こちらの本の中であるエピソードがある。

 

死刑囚相手に話を聞いてあげる教誨師という仕事があるのだが、教誨師の方に死刑囚の様子を聞くと「非常に落ち着いている」らしいのだ。

教誨師は牧師や僧侶といった肩書の方がするのだが、そんな彼らをしても「自分たちよりもよっぽど人間的に完成している」「神に近い存在」と感じるそうなのだ。

 

この事実をどう受け止めたらいいのだろうか。

 

本来であれば、被害者や被害者家族の気持ちを汲み、犯人にも同様の苦しみを味あわせるべきなのだろうが、実際の犯人たちは、死刑というものを前にして悟りの境地を見出してしまう。その心は平穏そのものだ。

だから死刑台に向かうときも非常に落ち着いている。被害者や被害者家族への反省を口にしながらも、安らかな気持ちで彼らは刑を受ける。全員が全員ではないが、そういう人が大半なのだ。

まるで、病気で余命があと僅かだと知らされた人のようだ。自分の命が限りあることを知ったことで、人生において大事なことが理解できる。人間として完成することができる。

 

被害者家族の日々は変わらない

では一方で被害者家族はどうだろうか。 

彼らは犯人に罰を与えたい。苦しみで償ってもらいたい。反省なんていらない。とにかく死んでもらいたい。「同じ空気を吸いたくない」なんていう言葉も出てくる。

じゃあ実際に犯人が死刑を執行され、法のもとに殺されたとき、彼らは救われるのだろうか。

私は実際に被害者家族になったこともないので、分かったようなことは書けない。だけど犯人が死んだことで救われる人はいないのではないかと想像している。人を殺して満足できるような人なんていないと信じたい。

いくら犯人が殺されようとも、殺された自分の家族は返ってこない。失われた時間は取り戻せない。元の形に戻ることは二度とない。

被害者家族が求めているのは、犯人が殺されることではなく、元の生活に戻ること。死んだ人に戻ってきてもらいたいこと。それだけのはずだ。いや、本当に想像するしかないのだが…。

 

報復の実験

こんな実験がある。

ふたりの人間を向かい合って立たせる。

そして、それぞれの耳元で相手に聞こえないように「相手が押してくるので、同じ力で押し返してほしい」と指示を出す。

「ではスタート」と声をかけたら、交互に相手を押し合うのだが、すぐに面白いことになる。

「同じ力で押し返してほしい」という指示を出しているはずなのに、最初は軽く押していただけだったのが、10回もやる内にお互いに全力で相手を押し返すようになる

 

この実験から分かるのは、「人は自分のやられたことを過大評価する傾向がある」ということ。やられたらやり返せ、という考えは非常に危険を孕んでいることが分かる実験だ。

 

誰のための死刑なのか?

だからと言って軽々しく、「どんな人でも許されるべきだ」という甘っちょろい言葉を吐くつもりはない。そんな偉そうなことを言えるほど、私は人間的に完成されていない。むしろ未熟そのものである。

 

でも本当に思うのだ。

 

死刑を執行される犯人は安らかに逝く。

残された犯罪被害者家族の苦しみや悲しみはそれでも続く。感情が自然と風化していくまで残り続ける。

 

一体誰のための死刑なのだろうか。死刑によって誰が救われているのだろうか。

 

まだ答えは出ていない。

 

以上。