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意識が高くて問題になるのはどんなときか?

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意識が高い人をバカにする風潮

どうも、低い系ブロガーのひろたつです。低いのは意識じゃなくて、テンションです。

 

意識が高い人をバカにする空気は根強くある。この空気の正体は一体何なのかとよく考える。

意識が高い人をバカにしてしまうのは、意識が高いその人の実績と志の乖離っぷりが、滑稽に見えるからなのだろう。子供がカッコつけているのが可愛らしいのと同じだ。ちなみに人は、自分よりも劣っているものにしか“可愛い”という感情を抱かない。または劣っている側面を感じていれば、である。

 

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意識?志?夢?

私が見た限りでは、「意識が高い」というのは「志が高い」と同義であるように観察される。たぶん「志が高い人」をバカにする人はいないんじゃないだろうか。語感が違うだけで対応が変わってしまうのだから、人というのは面白いものである。

志は夢とも言い換えられる。

この「夢」というのがなかなかクセモノで、ある程度の年齢までしか持つことを許されない。というか、許してくれない人が多く存在する。

そういう人が「身の丈に合わない夢を持つな」、つまり「意識高い系」をバカにしてしまうのだろう。

 

夢に問題はあるか

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しかしながら、身の丈に合わない夢を持つことで発生する問題というのは何があるだろうか?

誰がどんな夢を持とうがその人の勝手であり、まさに自由そのものである。もちろんその夢を公言することだってその人の自由である。何も問題はないはずだ。

あえて問題を挙げるとするならば、

「身の丈に合わない夢を叶えるためには、まず目の前にあるできることからやらなければならない。だからまず語るべきは目の前のできるからだ」

という手順の違いぐらいだろうか。まあ些末な問題であるし、やっぱり本人が最終的な大きなビジョンを語ろうが、目の前の課題を語ろうが自由だ、という話に帰着してしまう。

 

何よりも大事なのは“不快さ”

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もしかしたら「意識高い系」をバカにする人にちゃんと話を聞けば、「意識高い系」の何がそんなに悪いのか色々と理由を教えてもらえるかもしれない。

だが、私が想像する限り、そこで挙がる理由も実は大した根拠はなくて、ただ単に自分の「意識高い系」に対する“不快さ”を納得させるために利用しているだけなのだろう。人は自分の“不快感”を大きな拠り所にしてしまう傾向がある。「何が大事か?」よりも「どう感じたか?」を優先してしまうのだ。だからいつまでも「人は見た目が9割」なんていうふざけた価値観が蔓延してしまう。

 

錯覚を楽しめるのは人間だけ

なぜそんなに不快さを感じてしまうのかといえば、結局は「意識が高い人」によって、自らを“低く”されたように錯覚しているのだ。

この現象は色んな場面で見られる現象で、例えば「人の不幸は蜜の味」も、他人が不幸に陥ることによって、相対的に自分の価値が上がったと錯覚しているからだ。人は錯覚を楽しめる唯一の生き物だ。そういう意味では、他人の不幸を喜んでしまうのは、非常に人間らしい心の動きと言えよう。

 

自分を疑う、という体験

もしあなたが「意識が高い人」を見て不快に感じてしまうようならば(感じてしまうことそれ自体には罪はない)、少しだけ自問してみてもらいたいと思う。「なぜ自分は不快に感じてしまうのか?」と。

そのときに原因を相手に見出すと無駄な対立が生まれるだけである。まったく生産的じゃない。

不快に感じる自分の心の動きに耳をすまし、どんな価値観に囚われているかを見つけてみよう。意外な発見があって非常にエキサイティングな経験になるかもしれない。

 

他人を受け入れること

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他人の意識や、夢、目標といったものに対して、どんな態度を取るべきか。

その答えが分かるためのひとつの質問をしよう。

 

“もし、とある少年が「ぼくの夢は世界平和」と言ったら、あなたは「意識が高い」とバカにするだろうか?”

 

相手の考えや意思を受け入れる態度というのは、とても大事なことだと私は考えている。

それはもちろん私自身の考えを受け入れてもらいたいと願うからでもある。

 

以上。