作品の価値は結末にしかないのか?
どうも。物語大好きブロガーのひろたつです。
今回は“連載中は面白いのに結末はクソ”問題について、私なりの考察を紹介する。
結末ひどい系マンガ
ここ最近、やたらと「結末がひどい」と言われるマンガを目にする。
『GANTZ』、『アイアムアヒーロー』とか色々である。いやそんぐらいか。
連載中あれだけ読者を熱狂させたにも関わらず、ひどい結末を迎えてしまう。ヤッてる最中は優しいのに、果てた途端に冷たくなる男のようである。この現象は一体何なのだろうか。摩訶不思議である。いや、マンガの方の話ね。
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“連載中は面白いのに、結末はクソ”問題
私は極度の小説中毒であり、物語について、とくにエンタメ作品についてはかなり詳しい、と自負している。「エンタメで人はなぜ興奮するのか?」というテーマに付いて、腐るほど記事を書いてきた実績もある。
そんな私の元に降ってきた、この度の“連載中は面白いのに、結末はクソ”問題。
物語を熟知したかのような気でいる私にとって、この問題は解き明かさずにはいられない。
私なりに腑に落ちるような答えを見つけたいと思い、記事にまとめた次第である。
物語のイメージ
さて、まずは以下の図を見てもらいたい。
これは物語というものを可視化したものである。
物語が始まり、終わりに向かうまでの様子をジャンプする人に例えてみた。
スタート地点から高くジャンプすることで、見ている人が興奮したり楽しんだりする。これは「話の展開」と呼ばれるものだ。
このジャンプは基本的に「結末」という着地点を見越して行われる。
起承転結、という流れがあってこその物語だとここでは定義しておく。
それだと問題が発生する
しかし、そうするとある問題が発生する。
これがその問題を表した図である。
最初の放物線を見れば、ある程度ジャンプを見慣れている人(物語を見慣れている人)であればこの後の軌道も着地点も予想できてしまう。
つまり展開やオチが読めてしまうのだ。
このままだとつまらなくなってしまうので、作者は工夫を凝らす。
ジャンプする人のキャラクターを面白くしたり、格好を奇抜にしてみたり、ジャンプの仕方を変えてみたりすることで、つまりは、ある意味「読者の目くらまし」をすることで、作品の質を担保しようとする。それはオリジナル性を出す、ということでもある。別に悪いことではない。
想像の範囲を飛び出す
もうひとつ大事な要素があって、この画像の下地になっている黄緑色の部分。
これは「読者の想像範囲」である。
簡単な物語というのは、読者の想像の域を出ない。堅実かもしれないが、それだと可能性が限られてしまうし、読者に先を読まれてしまう。つまらない男が一番モテないらしいぞ。
今時の読者は目が肥えているので、生半可な物語では受け入れられない。でも生半可ではない物語を生み出すにはどうすればいいか?読者の想像を超えるような作品を作るにはどうすればいいのか?
その答えが以下の図である。
そもそも結末に向けてジャンプをしないことだ。
その場その場で面白そうな方向へとジャンプしていく。
作者自身もどこに向かっているか分からないので、当然読者も先が読めない。
こうすると簡単に読者の想像の範囲を超えることができる。そんな展開に遭遇した読者はきっとこう思うだろう。
「なにこれ?!こんなの見たことない!先が気になる!早く読みたい!」
これがまさに『GANTZ』であり、『アイアムアヒーロー』だったわけだ。
物語の宿命
しかし、皆さんご存知のように、物語は「結末を迎える」という宿命を持っている。どんだけ予測不可能な展開をした所で、いつかは結末に辿り着かなければならない。
ジャンプした人が重力によって地面に着地するように、それは自然の理なのだ。
さて、ではさきほどの「予測不可能なジャンプ」をした人がどうなるか。
わざわざ言うまでもないかもしれないが、一応以下に図を用意させてもらった。
事故死である。
着地の仕方を決めていないのだから当然の結果だ。
さきほど「予想外の展開」に遭遇した読者の期待に満ちた思いを代弁してみた。もう一度書いておこう。
「なにこれ?!こんなの見たことない!先が気になる!早く読みたい!」
この思いにはある決めつけがある。つまり「この物語はちゃんとした結末があるはずだ」という結末である。知らないからこそ期待できるのだ。これは未来が見えないからこそ希望を持って生きていける私たちの人生そのものである。
しかしその希望は裏切られる。
だって結末なんて用意していないからこそ、着地することを考えていないからこそ、あの大ジャンプだったのだから…。
こうして「“連載中はあんなに面白いのに、結末はクソ”問題」が完成する。
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マンガという媒体の強み
ここまで考えた所で私は思った。この手法を他の媒体にも応用できないか、と。
例えば私の大好きな小説ではどうだろうか。
いや、ダメだ。いくら話が面白くても、「オチがクソ」という評判が立ってしまったら、多くの人は手に取らないだろう。『殺人鬼フジコの衝動』の二の舞いは懲り懲りだ。
では映画では?
いやいや、それも同じである。観た人が「途中までは面白いけど、結末がヒドすぎる」なんて言おうものなら、瞬く間にその評判は広がってしまうだろう。これでは収益に繋がらない。
と考えてみると、やはりこの手法はマンガならではのものと言える。
連載という形を取るからこそ、読者を期待させ、興奮させ、翻弄し、お金を落とさせることができるのだ。
現に『GANTZ』も『アイアムアヒーロー』もクソほど売れている。売上と結末には関係がない、とまでは言わないが、影響は微々たるものだろう。それが実証されている。
人気の出るマンガの描き方。
— ひろたつ (@summer3919) 2017年8月6日
1.とにかく謎を多く配置する。
2.話や世界観をガンガン広げる。
3.エロと暴力を要所要所に配置する。
4.結末は決めない。
謎があると気になる。
話が広がると興奮する。
エロと暴力で背徳感。
結末に縛られないから、誰も想像できない物語になる。
物語としての完成度を重視して、結末を用意するか。
展開こそが至高であり、結末なんてもんは無視するか。
どちらが正しいとかいう話ではない。どちらを選ぶか、という話である。
さて、これからどちらが主流になっていくだろうか。私には明確に答えが見えているが、皆さんもお分かりだと思うので、あえてここには記さないこととする。
以上。
なんとなくだけど、『20世紀少年』のリンク貼っておきますね。