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体力がなくても気にしなくていい

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ということを、体力がない私が書いてみる。

 

 

どうも。ポンコツブロガーのひろたつです。いつでも低空飛行です。

 

24時間働けますか

皆さんもうすでにお気付きのことと思われるが、この世の中は体力のある人が勝ちやすいようにできている。人の何倍も働けばそりゃ成果も出るだろうし、打席に立つ回数がおおければホームランを打つ可能性だって増える。

現に世の中にはそういった成功体験みたいなのが出回っていて、どの御方もとてもエネルギッシュだ。

 

結果を出した人は言う。

努力せよ、がむしゃらにやれ、人よりも抜きん出ろ、人生が終わることを想像しろ、と。

それは素晴らしいことだし、否定するつもりはまったくない。実際そんな言葉や姿勢に元気づけられる人も多いだろうし、燃え上がる人もいるだろう。

 

でも、ほとんど虚弱体質みたいな私は思ってしまう。

 

そんな体力ねえよ。そんなに燃え上がれねえよ…と。

 

いかんせん実力主義のこの社会である。他人よりも体力がない私たちは、自分自身を否定しがちである。劣っていることを突きつけられるような気分になってしまう。

 

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それぞれの生き方

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確かにエネルギッシュに振る舞い、他人の何倍も努力できる人は凄い。

でもだからと言って、それは自らを否定する理由はならない。まったく別の話だ。他人の人生の話だ。

 

例えば、両手両足がない人がいたとしよう。

その人は、自らの境遇に嘆くことなく、自らの障害を特徴と捉えた。自分からすれば両手両足のない生活は当たり前。しかし世の中のほとんどの人は、両手両足がなかったらどうやって生活をすればいいのか想像もつかない。

それを利用して、「両手両足がない生活の秘密」をYOUTUBEに投稿するようにした。

動画は物珍しも手伝い、瞬く間に人気動画へと登りつめた。

こうして、彼は左団扇で暮らす生活を手に入れたのだった。

 

この話を読んで、「自分も両手両足が無かったらよかったのに…」と思う人は、いないとは言わないが、極少数だろう。おおかたの感想はこうだ。

「まあ、その人それぞれの生き方があるよね」

 

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自分を否定する必要はない

別に障害者の差別について論じたいわけではない。

他人をモノサシにして、自らを否定する必要はないことを分かってもらいたかっだけである。

 

世間は、結果を出している人を評価し、それが正しい姿だったり、あるべき姿だと思っている。だから憧れる。自分と比べる。他人を比べる。

 

これは全然違う。

 

人はそれぞれ形があって、人それぞれできることは違う。やり方も違う。

10kgを片手で放り投げられる人もいれば、クレーンを使ってしか持ち上げられない人もいる。

そこに優劣はない。違いがあるだけだ。

 

だから自分が納得できて、楽しめればそれでいいはずだ。どれだけ魅力的で凄い人でも、結局は他人なのだ。自分ではない。

 

自分の幸福は自分で決めることができる

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体力がないのであれば、自分のペースで自分の走りたいだけ走ればいい。

疲れたら足を止めればいいし、頭はいくら使っても身体と違って消耗することがない。好きなだけ考えたらよろしい。

力がないのであれば、少しずつ持ち上げればいい。

誰かと一緒に持ち上げてもいい。さきほどの例のように道具に頼ったっていい。

 

幸せなことに、私たちは私たち自身の幸福を自分で決めることができる。

であればわざわざ他人との違いや優劣を、あなたの幸せに影響させることはないのだ。

 

以上。

 

ちなみに、こんな私の背中を「体力がなくてもいいんだよ」と優しく押してくれたのが、この本である。

普段の生活で疲れやすい人や、苦しんでいる人は、もしかしたら内向型であるこが原因かも。 

 

そういえば、松下幸之助は相当な虚弱体質だったそうな。