どうも、ポンコツブロガーのひろたつです。
この『俺だってヒーローになりてえよ』という愚痴みたいなブログも、やっとこさ10万PVを超えられるようになってきた。ありがたい話である。実際にありがたいと思ったことなどないが。
別に自慢をしたいわけではなく(そもそも自慢できるような数字ではない)、自分としては快挙だったので書いてみただけである。この数字を、もし半年前の自分に伝えたら「嘘つけよ!だったら半分でもいいから今くれよ!」と言われそうなぐらい、PVがまったく伸びない日々を送っていた。マジで、家族ぐらいしかこのブログを読んでいないんじゃないかと疑うぐらいの数字だった。家族にブログの存在なんて教えてないけど。
で、そんなささやかな成果を挙げた私なのだが、何が良かったのか、なんてことを考えてみた。
その答えを先に書くと、というかタイトルにある通りなのだが、続けられることを続けた結果なのだと理解している。
これはブログだけに限らず、人生においても同じである。
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今の自分にできないようなことを思い描き、そこに向かって走ることもロマンがあっていいかもしれないが、成功の確率は落ちるだろう。
基本的に人生というもの、いや世の中というものは“何回打席に立ったか?”が価値を生むのだ。
できないことをやろうとする、ということはまだ打席にも立っていない状態であり、それでは誰からも評価されない。もしかしたら両親は褒めてくれるかもしれないが、他人がそこにお金を出すような価値を見出すことはないだろう。
人は心意気だけに価値を見出さないのだ。
何かしらの形を残す必要がある。それを他人がどう評価するかはまた次のステップになるが、少なくとも「評価しよう」というステージには辿り着くことができる。
これが“打席に立つ”ということである。
空振りするかもしれない、ホームランを打つかもしれない。デッドボールを食らうかもしれない。だがどんな結果にせよ、確実に自分の人生を前に進めるための経験を得ることができる。
だからまずは自分ができること。自分が形にできることをやることが大事なのだ。その繰り返しの先に、今までの自分ではできなかったようなことが待っている。それを人は成長と呼ぶ。
しかし、ここにひとつ落とし穴がある。
人は続けられないのだ。
有名な80:20の法則よろしく、ほとんどの人が何かしらの理由をつけて脱落していく。
これが悪いことだとは言わない。そういう判断もあるだろうし、損切りは非常に大事なことだ。ただそんな簡単なものでもないが。
途中で諦めるのはその人の勝手である。何もかも自由だ。諦めることを意識してか、無意識かに関わらず、選んだ行動そのものがその人にとって常に一番気持ちがいい選択肢であるはずだ。
きっとこの辺りに、成果を出す人と出せないで終わる人の割合、2:8が形成される理由があるのだろう。
どういう判断を下そうがその人の自由であることは間違いないが、成果を挙げたり、他人から評価されようと思ったら、打席に立ち続けることは必須である。
だから、「できることをする」というだけでは不十分で、「続けられることをする」というのが正確な表現なのだろう。
やはり人生はマラソンである。無理なペースで記録を出そうと思っても、身体が付いていかない。リタイアした人間に順位を付けることはできない。
自分にできることを、自分のペースで。そして何よりも、走り続けること。
以上。