どうも。ポンコツ中間管理職のひろたつです。
今回は成長に関するお話。
反応が腐りだしている人々
私はポンコツながら、職場で多数の部下を抱えている。時期にもよるのだが、大体100人ぐらいを前後している。
それだけの人数がいるとなかなか一人ひとりと対話することはできないのだが、必要とあらばポンコツなりに必死に話をする機会がある。
私が必死に話をするときなんてのは、大抵、大きな問題が発生したときである。上司として、職場の急所にメスを入れるのだ。
そんなとき、私は相手の間違いを指摘する。人格ではなく、間違いである。「人格は変えられないが間違いは正すことができる」、ということを私は信じているので、相手にどう思われるか不安にもなるが勇気を持って真剣に話させてもらう。
だが、これが結構な確率で撃沈する。
自分の間違いを素直に認められない人というのは存外多い。
それどころか、「状況が悪い」とか「相手が悪い」とか、自分以外に悪態をつくような腐った反応が多い。自分の考えや感性を信じ切っていることが多い。
間違いを認めると自分の価値が下がると勘違いしていたり、誰かのために反省すると損をしたような気分になってしまう人がいるのだ。
長く上司生活を送っていると、こういう反応を見るとすぐに「ああ、この人は自分を守るだけで手一杯なんだな」と分かる。
そしてまた、こうも思う。
「心が硬くなっているな」と。
こういう人は成長できない。どれだけこちらから干渉しようとも、砂漠に水をあげるような時間になってしまう。
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心の若さは柔らかさ
逆に成長できる人というのは、自分の間違いを認めることができる。
こういう人は自分自身の考え方や反応に疑問を感じられる人である。
そのために必要なのが「心の柔らかさ」である。
一般的には「素直さ」と呼ばれるものなのだが、「素直さ」と言ってしまうとまるで本人の特別な資質かのように感じられて、あまり好きな表現の仕方ではない。私の感覚ではあくまでも「柔らかさ」である。
この「心の柔らかさ」を持っているのは、やはり若い子に多い。もちろん若い子でも心が硬くなりきっていて、何の柔軟性も持たない子もいる。さきほど書いた通り、きっと自分を守るだけで精一杯なのだろう。
若さは成長を自然と求める。だからこそ疑問が浮かぶし、自分を変えることができる。
状況や学んだことに対し、心の形を少しずつ変えることで、成長に繋げるのだ。
若いというのは成長できることであり、老いとは成長を(本人にその意識があるなしに関わらず)諦めることである。
年齢を重ねるごとに硬くなる
普通の人は何かを学ぶたびに「答え」を見つけてしまうので、その繰り返しの中で少しずつ自分というものを固めていく。そうやって少しずつ心が硬くなっていく。自分を否定することができなくなっていく。なぜなら答えは揺るがないからだ。
どんな人も傷つくのは怖いし、損はしたくない。
だからこそ心を硬く、硬く、より強固なものにしようとする。
人は年齢を重ねれば重ねるほど、自然と心が硬くなっていく。
たくさんの部下を見ているとそれがよく分かる。
心が硬くなりきっていて、間違いを認められず、自分の形を変えられない人というのは、色んな意味で必要とされなくなってくる。
部品としては使われるが、一緒に何かを生み出す側に立つことはない。
だからこそ自分に疑問を
皆さんに理解していてほしいことをまとめておく。
まずひとつめ。
心を強くしようと硬くすればするほど、成長とはほど遠くなること。
成長とは変化の連続の先にしか存在しないことを知ってほしい。もしあなたが伸び悩んでいるのであれば、それは間違いなく心に変化が何も起こっていないからだ。
そしてもうひとつ。
心を硬くすることで強くはなれるかもしれない。
だが人に優しくはなれない。
心を硬くすることで傷つかなくなるかもしれない。
だが他人を理解できる人にはなれない。
なぜなら自分の手にした答えに照らし合わせてでしか、他人を評価できなくなるからだ。自分の価値基準の中でしか他人の心の中を推し量ることができなくなるからだ。
以上。