どうも。ポンコツブロガーのひろたつです。
最近、身に染みて思い知ったことを教えてやる。
ポンコツブロガー、劣化する
気付いてしまったことがあるのだが、どうやら私は最近頭が悪くなっているようである。これは何の比喩でもなく、単純に能力値が下がっているという意味である。
このブログも、あれだけ毎日毎日しっかりと記事を書けていたのに、更新頻度は落ちるばかり。
記事のネタだっていくらでもあったのに、今は考えても考えても脳みそが空転してしまい、ちゃんとした形にまとまらない。
じゃあ、とストックしてあるネタを使おうとして、記事に起こそうという気がそもそも起きず、書いては消し、書いては消し、ついには書くことさえ諦める、という始末。
ただでさえブロガーとしてはカスみたいな位置付けだったのに、更に低空飛行を敢行している。地面すれすれを腹をこすりながら飛行している感じだ。墜落までのカウントダウンを開始してもらって構わないレベルである。
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楽しむ側になった
なぜにこんな事態に陥ったのかといえば、答えは明確である。
実は少し前に、私はマンガ記事のまとめを書き上げた。
この記事を書くために、狂ったようにマンガを読み漁った。
これがいけなかった。
普段は小説ばかりを読んでいたのでよく分かるのだが、マンガというのは脳にまったく負荷がかからない。読むのが非常にラクなのだ。ラクをして楽しむことができるのだ。
さらには、英語の勉強という名目で海外ドラマを見始めたのだが、これもいけなかった。
やはり映像作品も同様に頭を使う必要がほとんどない。こちらが快楽を得られるように勝手に仕組んでくれているし、勝手に進んでくれる。
マンガにドラマ。これらを貪り続けている内に、私は“楽しむ側”になっていた。
生み出すのがしんどくなった
今のご時世、楽しむためのコンテンツは山ほどある。
しかもどれも上質で、しかもほとんどお金がかからないと来ている。溢れかえったコンテンツの波に溺れることは非常に簡単である。快楽の坩堝は誰のそばにもある。
仕事が忙しかったこと、子供に手間がかかること、などなど色々と言い訳をしながら、繰り返しコンテンツを消費し続けた。つまり“受け手”になり続けた。
そして、こうやってブログ記事を書く、という“コンテンツを生み出す側”になって思い知らされるのは、「生み出すの、しんどい…」である。
ただただ快楽を享受するだけで、脳みそに脂肪が付いたような状態になっている私にとって、コンテンツを生み出すという“筋トレ”は、非常にキツイ作業になっていた。
これは恐ろしいことだ。人はすぐにでも劣化できてしまう、ということだ。しかも一度劣化してしまえば、元に戻るには相当なエネルギーが必要になる。
大体にしてこの記事だって、こんなクソみたいな内容とレベルなのにも関わらず、書き始めるまでに4時間以上かかっている。その間、何をしていたかと言えば、思い出すことさえできないぐらいのレベルのことしかしていなかった。何となくフローリングの溝を爪でいじっていたような記憶があるが、それだって定かではない。もうここまで来ると白痴である。ちなみに白痴の意味は知らないで言葉のイメージだけで使っている。こんな無責任極まりない文章を書いてしまうのも、私が“受け手”に成り下がってしまったからであろう。
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脳みそ使おうぜ
今こうして我が身を底辺にまで落として分かったが、この状態は非常に危険である。
ラクなのは確かだし、楽しいのも間違いないのだが、これでは使い物にならない。控えめに言っても役立たずである。
人間というのは、工夫し、生み出す、という行為の繰り返しの中で進化を遂げてきた。
いくら効率よくコンテンツを消費する方法を編み出したところで、進化はできない。ただただ脳みそのシワが減っていくだけである。
だから私は言いたい。もっとみんな脳みそを使うのだ、と。受け手ではなく、生み出す側になるのだ、と。
受け手は利用される側である。そして消費される側である。自分から何かを始められる人間ではない。あの有名ブロガーであるちきりん氏が何かの書籍で書いていたが、「変えられない人間は、替えられる」というやつである。
自分から何かを生み出し、何かを変えられる人間にならないと、いつかは取り替えられてしまうのだ。
一度“受け手”に身を落とし、脳みそがぶよぶよになってしまった私は、気合を入れてもう一度“生み出す側”へと返り咲く。
これはポンコツなりの宣言である。
以上。
それにしても、プリズン・ブレイクは面白かったなぁ…。キリがないから、シーズン1だけで観るの止めたけど。