私には仲の悪い兄と父がいる。別に私と仲が悪いわけではない。この2人の仲が悪いのだ。
この2人はしょっちゅう喧嘩をしていて、うちの家族であれば「またか」程度で済むが、私の奥さんなんかは2人のやりとりを見ると怖がってしまうほどの勢いだ。
血の繋がった家族にも関わらず2人は根本的に合わない。この2人を見るたびに私は「血なんて何の意味もないんだな」と認識させてもらっている。
あまりにもしょっちゅう喧嘩しているので、人間観察がてら、何がいけないのかを少し考えてみたところ、実は世の中の争いのほとんどが同じ図式で起こっていることに気がついたのでご報告したい。
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象徴的な例がある。
家族で飲み屋に行った時のこと。
大皿で頼んだサラダを、糖尿だからという理由で父がほとんど1人で食べてしまったことがあった。
兄はそれを何度も話題にする。みんなが食べるものなのに、自分の都合だけしか考えていない。だから親父はダメなんだ、と。
それに対して父は、「そんなもん、食べたければもう一回頼めばいいじゃねえか」とよく反論している。
どちらが正しいかという話をするわけではない。
世の中には兄のように「みんなが気配りできる社会」が一番だと思っている人と
父のように「みんなが気にせずにいる社会」が一番だと思っている人がいる、ということである。
このふたつの考え方は恐ろしく合わない。お互いに敵になりえる。
きっとお互いに「あいつはおかしい」と思っていることだろう。
血の繋がった家族でさえこれなのだから、きっと他人で同じことがあったら、そりゃあもう最悪な関係を築けるはずだ。そしてまた世界は平和から遠ざかるわけだ。
難しいと思うのは、お互いに自分の正義を信じているだけで、敵を作ってしまう現象である。
これは色んな状況に当てはまる、人間の性質と言ってもいいようなものだ。
きっと私たち人間は敵を作ることで成長してきたのだろう。自分だけの世界では成長という概念そのものが無いのかもしれない。
もしあなたのそばに「こいつだけはダメだ」と思うような人がいるのであれば、きっとその人はあなたの正義と絶対的に噛み合わない正義を掲げている。
でも違いはそれだけだとも言える。
やり方が違うだけで、求めているものは同じなのかもしれない。
そう思えば、ちょっとは気がラクにならないだろうか?不愉快なあいつの面も多少はマシに見えたりしないだろうか。
まあそんな簡単なもんじゃないだろうが。
別にみんな仲良くせえや、なんて説教臭いことを言うつもりはない。私は元々孤独な方が好きな末っ子である。どうかほっといてほしい。
だがみんなが無駄に諍い合うのは心苦しかったりする。
少しでもあなたの気持ちがラクになればいいと筆を取った次第である。
以上。
家族という病 (幻冬舎新書) | ||||
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