ドッキリが未だに流行っているのかどうかは知らん。
たまたまテレビで見たら、素人相手にドッキリを仕掛けて、それを「人間観察」とか言っていた。どストレートに不快だった。みんなこんなので笑ってるの…?
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たぶん、私が仕掛けられる側だったら、どんなに説明されても怒ると思う。「いやいや冗談ですから」とか「テレビですから」とか言われても全然納得できない。
私の器が小さいだけの可能性はある。
だがもしあなたが家に帰ったら、家族の誰かが血まみれで死んでいる。驚いたあなたの元にスタッフがやってきて、「ドッキリでした」と言う。許せるだろうか?
数年前に親戚の子供を目の前で誘拐するというドッキリを仕掛けた若者の映像がネットで話題になった。母親は連れ去られる子供を驚きの表情で、ただただ見送るだけだった。
あのときは凄まじい叩かれ方をしていた。テレビだとそんなことはないのだろうか。
それよりも、ああやって毎週やっているレギュラー番組ということは、毎週ドッキリを楽しんでいる人がいるということだ。
誰かが驚いている姿、困惑している姿、騙されているのは面白いのか。それで笑っている自分のことをどう思うのか?
タチの悪い上司が飲み会の席などで、部下に一発芸を強要したりする。ムチャブリというやつだ。あれでウケる人なんてそうそういない。ムチャブリをされている時点で成立するのは、「頑張ってるけど、全然面白くないじゃん」という一周回った笑いだ。
それでも笑えればいいじゃんと言われるかもしれない。実際、誰かを「笑いものにする」ことで成り立っている番組は多い。
だが、「笑いものになりたい人」と「なりたくない人」の違いは大きいだろう。
笑ってもらうことで昇華することはある。自分の失敗談とか。
それはあくまでも本人が望んでいることであって、笑ってもらうことを喜んでいる。
誰にでも笑いにしてほしい部分と、そうじゃない部分があるはずだ。
ドッキリで笑える人というのは自分の中に隠したい部分がない人なのだろうか?私はテレビで誰かが恥をかいている姿を見ることができない。そこに自分を映し出してしまうからだ。
そんな自分には、今のテレビ番組はあまりにも下品だ。醜悪だと思う。