俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

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人は快感のためにしか生きられない

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どうも。

気持ち悪い空気 

私の職場には人が多い。溢れかえっている。なので人間関係で揉めることはしょっちゅうで、常に誰かしらが誰かしらとトラブルを抱えているし、なんならみんな常に誰かを嫌っている。私も嫌いな人だらけである。きっと私のことを嫌いな人もたくさんあるんだろうかなぁ。嫌われる勇気バンザイ。

そんな職場だが、会議の席や話し合いになると意外とみんな和を大事にしようとする。いや、だからこそかもしれない。

苦手な相手や、険悪なメンバーがいるとき、言い方や意見の角を極力落として、まろやかなボールを相手に投げる。誰もが波風が立たないように気を張っている。けれどもお互いに目線で相手の機嫌やテンションを推し量ることは忘れない。腹の中は見せずにいかに相手と渡り合うかを考えている。

そのようすはまるで、剣道の達人の試合だ。動かないけど、気だけで戦っているような…。

 

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快感に進む人間

私たちの社会は必ず「快感」に向かって進むようにできている。というか人間は快感にしか勧めないようにできている。

「会社に行きたくない」とかぼやきながらも、死んだ目で毎日会社にちゃんと行っているのも、結局は会社から貰える給料を得るという快感を優先しているからである。

苦しみから逃れようとするのも快感を求めるからだし、 運動をするのだって「理想の自分になる」とか「運動が終わった後の開放感」という快感を求めているからだ。

正義が曲がる瞬間

で、世の中の多くの人は「問題がない」状態が気持ちいい人が多い。だから複数人が集まると、気配とかを読み出して、いい感じの気持ち悪い空気を作り出す。できるだけまろやかな雰囲気を醸造しようとしてしまう。

別にそれが悪いとは言わない。だが、あまりにも「波風立てたくない」という欲望に流されていると、気がついたらとんでもない間違いを犯していたなんて場合が発生してしまう。一度空気が作られると、異論を挟むハードルが極端に上がってしまうし、「みんな間違っているんじゃないか」と思ったとしても、「でもみんながそう思うなら…」と自らの正義を曲げてしまうこともある。

 

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みんな「みんなの意見」が大好き

私たちは民主主義で生きているので、多数決にあまりにも慣れきっているし、それが価値観の源になっている。大多数が認めるものしか興味が持てなくなったりしている。ちまたには人気商品とかベストセラーという宣伝文句が踊り狂っている。そしてみんな踊らされ狂っている。行列のできる店も大好きだし、SNSで拡散されているものに興味が尽きない。

しかし大衆は往々にして間違う。烏合の衆になると途端に脳の活動を停止してしまうのが人間である。

空気に流されるのは仕方のないことだし、それが人間の習性だ。だからこそ、それに抗うだけの意思が欲しいなぁ、と会議の席に参加しているにも関わらず、ブログの記事の草案を練っている私が言ったりできるのだから、日本という国は本当に幸せだと思う。

 

ちなみにだが、私は会議の席でみんなが「空気を怖さないようにするためにこの辺りで落ち着いておこう」みたいな気持ち悪い空気ができたら、「違うと思うんですけど」とぶち壊すのが快感の人間である。こういうのが紛れるといい話し合いができるんじゃないかと自分で勝手に評価しているが、誰かに褒められたことは今のところない。きっとみんな恥ずかしがり屋なのだろう。

 

以上。