よく仕事場で上司が言うことがある。
「失敗を恐れるな」
なかなかチャレンジをしようとしなかったり、自分から動こうとしない下の子に発破をかけるために言っているみたいなのだが、その言葉を聞く度に、
「失敗を恐れないやつなんてただのバカでしょ」
と心の中でつぶやいている。
実際に下の子からも、「上の人はああ言うんですけど、やっぱり怖くて…」という言葉を聞くことが多い。
スポンサーリンク
これは当たり前の話だ。それでいいとさえ思っている。
未知のことは基本的に怖い。何が起きるか分からないからだ。
だからこそ人は知恵を出す。考える。手を打つ。予測する。準備する。
もしこれが私の上司が言うように「恐れない人」であればどうだろうか。知恵を出さない、考えない、手を打たない、予測しない、準備しない。
こんなのただのアホだ。
だけど意外とこういうアホが世の中には結構いたりするから困る。何の準備も用意もせずに「とりあえず」と突っ込んでいってしまう。
周囲の人間からすれば「なんて勇気があるんだろう」と思われたりするが、実はただアホなだけだ。考えないから怖くないのだ。道路に飛び出す子供と同じである。
頭を使うのは疲れる。正直しんどい。準備だって、それなりのことをするとなると真剣に考えなくてはいけない。これも疲れる。しかもムダになることだって多い。
だからといって、頭を使うことを放棄し「まあぶつかってから考えればいいでしょ」というのは違うだろう。やっぱりそれは勇気じゃなくてバカだと思う。
それにみんな怖がることを否定しすぎである。怖がるというのは人間の本能に根ざした感情であり、必要だから備わっているのだ。
確かに恐怖に支配されて動けなくなるのは困りものだが、それはマトモな感覚なのだ。安易に否定してはいけない。
自分はなぜ怖がっているのか?どういう状況を恐れているのか?そうならない為にはどうしたらいいか?何を最優先にすればいいのか?
すべては恐怖から生まれる考えである。
ただ恐怖を感じないことにも利点はある。それは特攻隊長だったり、偵察隊だったり、見方によっては人身御供だったりする。みんなの礎になるのだ。
人にはそれぞれ役割というものがある。なので私は安易に恐怖を母親の胎内に置き忘れたバカを否定はしない。存分に実験台になっていただくだけである。
考えても考えなしでもどちらでも構わないし、どう生きようがその人の勝手だとは思うが、恐怖を感じしっかりと考える人と、恐怖を否定し考えない人のどちらが有益な人生を送るかは、考えるまでもないだろう。
以上。