私はゲームをしない人間である。
だからなのか、今話題のプレイステーションVRも、凄いとは思うがそこまで興奮するものでもなかった。
しかし私の周りの若い子たちは口々にプレイステーションVRの凄さや魅力を語ってくる。
あまりそういう話は好きではないのだが、無下にするわけにもいかず、とりあえず聞いていた。可愛い後輩とのおしゃべりだ。そんな目くじらを立てるようなことでもない。
私のプレイステーションVRへの関心はその程度だったのだが、先日ニュースで実際にプレイしている様子を見た。その臨場感は凄まじかった。私が子供の頃にマンガで見たような世界が確実に近づいていることを実感した。
しかし、それと同時に、私にはもっと大きな感情が芽生えていた。
それは不快感だった。
そして恐怖だった。
同じような感情を持った人がいるだろうか。ゲームに興味がない私だからこそなのだろうか。ちなみに似たような感覚は、ポケモンGOのときも感じた。
やはりゲームならではなのだろう。
私の基本的なスタンスとして、「誰が何を好きでも構わない」というものがある。私自身、読書というインドアな趣味を持っている人間で、その昔、上司から「もっと楽しいことがあるのに…」と否定されたことがある。他人の趣味を否定するような人間にはなりたくないと思っている。
※参考記事
大前提としてなのだが、そもそもゲームというのは「快楽」を得るためのものでしかない。まあ世にはプロの方もいるが、それは例外としておこう。
この娯楽でしかないゲームが進化するということは、人間により強力な「快楽」を提供することにはならないのだろうか?
そんな強力な快楽は本当に必要なのだろうか?
さらにさらにと、快楽を求めるさまが私には不快だった。人間の汚い部分を見せつけられているような…。ちょっと大げさかもしれないが。
ネットゲームや携帯ゲームが流行りだしてから、中毒になる人が出てくるようになった。
これはゲームをやることによって、脳内に快楽物質であるドーパミンが出ているからだ。しかしこのドーパミンってやつは同時に飢餓感もある。それが人を中毒にさせてしまう。
VRが流行りだしたら、ゲーム中毒になる人がもっと増えるんじゃないだろうか?
ポケモンGOのときもそうだったが、新たな快楽を得ようと大勢の人たちが夢中になっているのを見ると、妙な恐怖感に襲われる。
実は私もゲームにハマった時期がある。ネットゲームのラグナロクオンラインだ。
食事を取ることも面倒だった時期があった。
きっとあれが続いてしまえば、ネット廃人と呼ばれる人種になっていたのだろう。
今でこそ、「そんなときもあったなぁ」とか「ゲームにハマるやつなんてバカ」と言えるが、今の自分とネット廃人の分かれ目は、正直そこまで明確ではなかったと思う。本当にたまたまだ。
私の子供たちは仮想空間を楽しめるゲーム機が当たり前にある世界をこれから生きていく。
もしかしたら自分の子供がゲーム中毒になるかもしれない。そんな恐怖も私にはある。
これは未知の技術に対する、無知な私だからこその感覚なのだろうか。
ただ、過度な快楽は身を滅ぼすことはみんなが分かっていることだと思う。
VRを楽しむだけのもの、ちょっとした息抜き程度のものにできるのならば、別に構わない。
だけど、それが強烈な快楽を生むものであるならば、ブレーキをかけるのは至難の業じゃないだろうか。
VRは技術的に素晴らしいと思う。
だけど本当に必要なのだろうか。
今のゲーム技術に満足していない人はどれだけいるのだろうか。
ゲームはこれからも進化し続けるべきなのだろうか。
少し考えてしまう。
以上。