どうも。
林真理子中毒になりそうである。
人気作家の強烈なエッセイ
野心のすすめ (講談社現代新書) | ||||
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四十数戦全敗に終わった就職試験、お金、コネ、資格、美貌…ないない尽くしのどん底からどうやって階段を上っていったのか。林真理子初の人生論新書。
私が未読だっただけで、直木賞は取ってるわ柴田錬三郎賞は取ってるわで、かなり優秀な作家さんだったようである。正直、この本を読むまで舐めてかかっていた。申し訳ない。誰に謝っているのかよく分からんが。
とにかく本書は強烈の一言である。脂っこいラーメンのようである。
そんな強烈な本書から印象的な言葉を紹介したいと思う。
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執着していないなんて嘘
基本的に人は苦しいことから逃れたいと思う。上を目指そうとすれば苦しみを味わうのは誰でも分かっていることで、だから最近の人たちは“ほどほど”で満足できるようになっているのかもしれない。そうすれば苦しむことなんてない。
仏教では「執着が苦しみを生む」と言われている。
苦しみを少しでも減らすために執着しないことは結構だし、素晴らしいとは思うのだが、じゃあ欲望を本当に減らせているのかと言うと、疑問を感じてしまう。
だって、テレビやネットを見たら、そこには大抵誰かの悪口で溢れている。悪口というのは満たされていない人から出るものだ。
道に迷え
話が少々逸れたかもしれないが、きっとみんな本当な成功したり、金儲けをしたり、他人から賞賛されたりしたいんだと思う。自制心が強いのか、表面を取り繕うのがうまくなっているのか分からないが、表立ってそれが出ていないだけなのだろう。「イイね」や「はてブ」に代表される承認欲求はそれの代替品であろう。最近はそれさえも簡単には手に入らないようだが…。
成功したければ、まずは人目もはばからずに挑戦である。集団という甘い状況からぬけ出す勇気が必要である。
そしてその先に待っているのは「壁」である。
ここで道に迷い込み、挫折する人は多いだろう。苦しみを味わう瞬間だ。
道に迷い込むことによって逆に、自分が本当に進みたい道がはっきり見えてくるということは多いのではないでしょうか?チャンスがあれば、まずは挑戦してみる。そこで駄目だったら、では自分は何がやりたいのかを突き詰めて考えてみるのです。
壁にぶつからないと見えないことがあるということなのだろう。
突き詰めて考える、なんて行為は道に迷って、追いつめられた人間しかしないことだ。普通にのほほんとしてたら、日々のささやかな快楽を追い求めるだけで終わる。
辛いかもしれないが、それが通過儀礼なのだ。
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背伸びも無理も必要
子供は自然と大人に成長する。見た目だけは。
しかし能力や心というものは、自然とは成長しない。これが世界の残酷なところである。
人の成長度合いというのは見た目だけでは判断できないのだ。
だから知らず知らずの内に周りに置いて行かれることもある。気づかない内に隣にいた友人が遥か遠くに行ってしまっていたりする。
では成長するにはどうしたらいいか。
新聞や雑誌の連載を同時に何本も引き受けた時には、「時間的に無理でしょう、やめなさい」と忠告をされたときもありました。けれど、背伸びしないと成長できないときもあると思うんです。無理だと思ってもやる。「自分の実力だとこれくらいの仕事量で、これくらのスケジュールだ」と枠を決めてやると、絶対に、いまの自分以上に成長できない。
背伸びはみっともないと言われる。無理はよくないと言われる。
どちらも我々三流の人間が語る言葉である。
しかし一流になりたければ、抜きん出たければ三流の常識で生きていても仕方ないのだ。別の考え方、生き方を実践しなければならない。
背伸びや無理をし続けた先に成長した、背伸びした状態や無理をしないとできないことが当たり前にできるようになった自分の姿があるのだ。
難しいのは、他人の言葉だと思う。
「そんなことしてたら恥ずかしいよ」とか「無理は良くないよ」なんて言葉は、一見自分のことを心配してくれているように感じる。しかし、その実、人は無意識に仲間を求めるし、孤独になることを恐れる。そばにいた人間に置いて行かれることは、耐え難い恐怖を伴うのだ。それっぽい言葉の裏にはもしかしたら「行かないで」という本心があるのかもしれない。
それらに惑わされずに自分を貫き通すのは、とても難しいことだと思う。
そしてそれを難しいと思ってしまうからこそ、私はいまだに成功できていないのであろう。
三流は群れる。これを忘れずにいきたい。
以上。
野心のすすめ (講談社現代新書) | ||||
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