どうも。
こんな私だがこれでもブロガーの端くれ。それなりに面白い記事を書きたいと常々思っている。できているかはまた別の話だが志だけは十分である。
その志を認めてくれたのか、たまに本当にごくたまになのだが聖人のような方から私の文章を褒めていただくことがある。光栄極まりない。きっとそんな人は今もどこかで誰かを褒めているのかもしれない。
人から褒められるということは、もしかしたら本当に私の文章は面白いのかもしれない。
という勘違いからこの記事を仕上げることにした。
主な内容ととしては…
①文章を書く上で絶対に自分に課しているルール
②文章を書くときに使うテクニック
③文章を書くときに意識していること
の3つである。
自分の文章が面白くなくて悩んでいる人には有益な記事になると思う。
ぜひ参考にしていただきたい。
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①校正は絶対
つまらない話から初めて申し訳ないが、これは譲れないのだ。
書き上げた記事は絶対に校正を入れる。これは必須である。
ブロガーによっては校正している時間があったらとにかく執筆、というスタンスの方もいらっしゃって実際に目覚ましい成果を挙げておられるようだが、私の場合は違う。
私にはそこまでのカリスマ性も際立った能力もない。キャラクターだけで文章を読ませることはできないと自覚している。
だからこそ、基本となる部分である「誤字・脱字」などは極力排除するようにしている。
一度書いた記事を見直すのはかなり面倒なこともあるのだが、私としては「誤字・脱字」はマナーの一種だと思っている。クチャクチャ音を立てて食事しているのと同じだ。
皆さんちんこには!今回の記事では円状するたmの方法をレクチャーチャーしたいと思っています。罵詈雑言だって誹謗中傷だって1PVには変わりまsんからね。どんどん縁上していましょう!
確かに誤字・脱字があっても文章は読み取れる。しかし不快なのは間違いない。私のような殿様商売ができないブロガーであれば尚更である。
だからこそマナーぐらいは守りたいと思うのだ。
ちなみに私はこのルールを一番大事にしている。いくら刺激的な文章を書こうが、間違っていたら伝わるものも伝わらなくなってしまう。
②てにをは
本当に基本的な話ばかりで申し訳ないのだが、やはり「てにをは」も譲れない。大事だ。
ただこれは「は」「が」の使い方に代表されるように細かい部分になると難しいのも事実。私レベルであれば、「読者が不快にならない程度に気をつける」で大丈夫だと思っている。
ちなみに「は」「が」の難しさというのは
私がひろたつです。
私はひろたつです。
これである。どちらも大差ないように感じるが、意味合いは違ってくる。まあ詳しく知りたければ自分で学んで頂きたい。
デキる大人の文章力教室 | ||||
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これもマナーみたいなものである。気にしない人もいるが、気にする人のためにも少しぐらい手間を惜しまずにやりたいものである。
文章好きな人であればあるほど、誤字・脱字とともに「てにをは」が間違っていると興ざめしてしまう傾向がある。私自身がその類なのでそれなりに気をつけるようにしている。
③単調にならないようにする
話がつまらない人の特徴を考えて欲しい。
ただひたすらに自分の言いたいことを自分の言いたいように語る人。淡々とずらずら語る人。
こういった文章にならないように気をつけいている。
悪い例を出そう。
※元記事
しかし世の中にはひとりで時間を潰せない人間がいる。奴らは他人と絡むことでしか生を感じることができない。他人がいなければ楽しむことができない。
断言口調で次々と話の内容を放り込んでいる。口調が厳しいので読む人によっては「面白い」とか「刺激的」と思うかもしれないが、少しばかり単調に感じる。
ということで実際の記事ではこうした。
しかし世の中にはひとりで時間を潰せない人間がいる。奴らは他人と絡むことでしか生を感じることができない。他人がいなければ楽しむことができない。孤独なんてまっぴらごめんで、孤独を意識した途端、奴らはウサギのように息絶えることだろう。
文章自体は悪く無いと思ったので、オチというか追い打ちみたいな文章を追加することで単調さに歯止めをかけた。
もう少し細かい話をすると、前半の文章になかった「まっぴらごめん」という遊び言葉を使うことでリズムの変化を出すようにした。また「ウサギ」をカタカナで書いたのは見た目の変化を出すためである。この辺りは完全に感覚である。
ただこの単調さというのは、ときには効果的なこともある。
私の印象としては、切実な思いを表現するときなんかに相性がいいような気がする。
こんな感じである。
いつだって成功者は言う。
「努力をしろ」「諦めるな」「やればできる」「気持ちを強く持て」
そんなのは成功しているからこそ言える言葉だ。戯れ言だ。欺瞞だ。傲慢だ。
本当の弱者は這い上がるチャンスさえない。そして這い上がるための気力だってとうの昔に奪われているんだから。
繰り返し、単調さをあえて出すことで呪詛感に拍車がかかるのが分かるだろうか。
単調になるのはつまらない。というのは間違いで、怖い話なんかだって単調に話しても十分エンターテイメントになるのだから、要は使い方次第ということである。
④刺激をどこに見出すか?
文章を書く上で皆さんはとにかく思い浮かんだ言葉を書き連ねているかもしれない。
しかし私のように際立った特徴がないブロガーが「普通に」文章を書いた所で誰も面白がってはくれない。何しら読者の刺激になるものを意識的に作らなくてはならない。
私の場合それは「単語」であり、「文章構成」だった。
ちょっと他の人が使わないような単語、文章構成にすることで記事に刺激をもたらす。
記事を面白くしたければ二択しかないと思う。
・内容が刺激的
・文章が刺激的
またはこの両方を兼ね備える、だろうか。
言うならば文章のテクニックというのは小手先のテクニックと言える。本来ならば、面白いことを言える人間になるべきである。しかしそう簡単に面白い人間にはなれそうもないので、文章を凝ることでカバーしているというわけだ。
個人的にハマったと思えたのがこちら。
ブログ開設1ヶ月でPVが17000を越えたので、ポンコツのクセに偉そうにブログ論的なものを語ってみた。その中の一節である。
根性がない私はとにかく自分に甘い。やる気が出ない時はやらない。ムリをしないし、させない。自分が可愛くて仕方がない。なので気分が乗らない時はブログの更新は平気で休んだり、更新しない罪悪感に囚われながら休んだりする。
ブログは長期戦である。あまりムリをしてブログを続けることが苦になってしまったら元も子もない。という言い訳はかなり使えるので、頻繁に自分に言い聞かせている。
他にも「ブログはアートだから。体調が万全なときじゃないといい作品はできないでしょ」というパターンもある。
自分をいかに上手く誤魔化すかが鍵だ。
ブログ開設一ヶ月で17000PVを達成した方法 - 俺だってヒーローになりてえよ
畳み掛けるようにバカな価値観を振りかざし、太字で「ここは重要だぞ」と強調しておきながらも、実はそれはただの言い訳だったという展開にしている。
このように、みんなが当たり前に思っていることをできるだけ裏切るようにしている。すべらない話に代表されるように、思った通りの展開というのはつまらないものである。意外性を出すのは刺激を生みやすいのでオススメである。
他には単語で「バカ」を使いたいのであれば、「理解不能な高等民族」とか「天才にもっとも近い人たち」というような表現にできたりする。やったことはないけど、まあこれもアクセントになる。
こんな感じで、自分の記事のどこに刺激があるのかを自覚することが大事である。
記事に含まれる知識が刺激的なのか、キャラクターが刺激的なのか、発言が刺激的なのか、文章が刺激的なのか。
自分が理想とするもの、自分にできるものを見つけるべきである。
以上、健闘を祈る。