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ブログにおいて量よりも質の方がはるかに重要だってことを教える

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どうも。

 

十把一からげブロガーのひろたつです。

最近、身にしみて思うことがあったのでまとめておく。

ブログの質より量問題

ブロガー界の巨星イケダハヤト氏が唱える「ブログは質よりも量」という説。私も信奉していた時期があったので、その理論はよく理解しているつもり。

簡単に言うと、「量をこなしていれば勝手に質もついてくる。量さえあれば検索エンジンで引っかかる可能性が高くなるので、どんなクソ記事でも構わないからとにかく量を出すこと」というものである。

確かにこれは真実である。

どんだけクソみたいな記事でも、検索している人のキーワードに引っかかりさえすれば、役に立とうが立たまいが関係ない。どちらも1PVである。どちらも金になる。

 

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量をこなしてどうなったか?

イケダハヤト氏に惚れ込み、「ブログで不労所得を得るんだい!」と勢いでブログを始めた私は当初、とにかくクソ記事を投稿しまくっていた。

今思えば恥ずかしい限りだが、その時間は私の今の筆力の基盤になっていることは間違いない。ブログを始める前の私はタッチタイピングさえできなかったぐらいなのだから。

で、当初はとにかく量だけで勝負していた。

その結果どうなったかと言うと、全然稼げないブログが出来あがったのである。

それはもう絶望的なまでに。

私のクソ記事を読む人は確かにいた。だが、私が求めていた「ブログで不労所得」という姿とは似ても似つかない「月収15円」ぐらいのブログになっていたのだった。

これはさすがにアホの私でも堪えた。

いくら「ブログは農業だから」とそそのかされたところで、芽の出ない土をいつまでも耕し続けることができるほど私は、我を忘れることができなかった。

方向転換を図る

量をこなそうとすると、まず先に考えるのが「いかにブログのネタを作るか?」ということになる。

そうなると、ひとつの本を読んだだけでそれを何個もの記事に薄めてみたり、何度も同じ話を別の記事にしてみたりとなる。

記事を増やすのが目的なのであればそれでも構わない。「やったー。1ヶ月で100記事も書いちゃったよ!」なんて人はそれでいい。いつまでも踊り狂っててくれ。

そんな不毛な作業に嫌気が差した私は一度、「質に特化した記事」を作ることにした。

つまり「人が読んで喜ぶ記事」である。

私の場合、それは読書であった。自分の腐るほど読んできた本の中で特に面白いもの、他人に勧めても恥ずかしくないものを厳選すれば、必ず喜ぶ人がいると考えた。というかそういう記事を私が欲していた。

それまでは記事数が欲しかったので、面白い本があっても一度に紹介するのは多くても3冊。基本的には1記事1冊の紹介にしていた。

それを一気に80冊以上紹介することにしたのだ。

それまでの私だったら、「これで80記事分のネタになるぜ」とヨダレを垂らしていたよな内容である。大盤振る舞いだ。

看板商品が出来上がった

その記事がこちら。このブログの看板記事と言っても過言ではないものに仕上がった。

orehero.hateblo.jp

この記事でどれだけの恩恵を受けたのかをざっとまとめてみよう。

 

・PVの1割はこの記事

・売り上げの8割はこの記事

・検索の3割はこの記事

・しかもPVは常に上がり続けている 

 

 この記事にどれだけ依存しているかお分かりいただけるだろうか?

注いだもの

ちなみにこの記事は4万字を超えている。ブロガーであればこれがどれだけ大変なものか分かってくれると思う。

当然、これだけの記事を「毎日生産!」なんて言っている人が書き上げることはほぼ不可能だと思う。

まずこの記事を書くのに私は2週間以上かかっている。

ただ勧めるだけでなく、ただネタバレするだけの記事にするのではなく、未読の方の楽しみを出来る限り奪わないようにするため、内容にはほとんど触れず、それでも作品の魅力を伝えられるように文章を推敲しまくった。

 

もっと言えば、この作品たちを厳選するための分母も必要になる。

運良く私は趣味、というか生きがいが読書だったので、ブロガーになる前の積み上げがあったからこそこの記事を書く資格があった。読書にあてた時間は計測できないほどである。たぶん、みんながテレビやマンガ、ネットを見たり、携帯をいじったり、誰かとおしゃべりしていた時間をすべて注いだぐらいと同じだと思う。

 

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量は質にならない

量をこなすことは大事だとは思うが、ゴミをいくら作ってもそれはゴミでしかない。

本当に価値あるものを作り出すための”量”であれば意味があるとは思うが…。たとえば、「質のある記事を書きたい!」と思ってはいるけども、実力が足りないばかりに仕方なくゴミ記事を量産してしまう、とかなら未来に繋がると思う。

私が当初の心意気のまま、「毎日生産命。量こそ正義」の姿勢を貫いていたら、あの記事は生まれなかったはずだ。

ただ、ひとつ私が偉かったのは、あの記事を書きながらも「毎日更新」は続けていた所であろう。毎日ひとつ仕上げたら、残りの時間をあの記事に費やすという日々を過ごしていた。能力がない私だからこそ、時間という持てる限りのリソースを注いだわけだ。

なんだか自慢話のようなものになってしまったが、とにかく量は絶対に質には勝てないことを理解してもらいたい。

量にこだわるのは甘え

もうひとつ付け加えておこう。

「完成度が低くてもいいからとにかく量」という考え方は非常に甘えている。

量だけこなせばいいのであれば、頭を使わなくてすむ。とってもラクチンである。そんなのカピバラでもできる芸当である。

「質の高い記事」「人に役立つ記事」「面白い記事」なんてのは、よほど能力があるか、才能がある人でもない限り、そうそう簡単には生み出せないものだ。だから必死に頭を使い、想像力をフル回転させ、足りないことは勉強でカバーしたりして生み出すのだ。

量だけにこだわるのであれば、そんな努力はまったく必要なくなる。

努力という奴はやっかいなものである。「たくさん時間を費やして、こんなにいっぱい記事書いたんだぜ!」も、「必死で頭を使って、こんなに質の高い記事を生み出せたぜ!」もどちらも努力なのだ。どちらも本人にはそれなりの達成感を与えてしまうし、「努力した」という実感もあることだろう。

ただそれが効果的な努力かどうかは、本人に冷静な視点がなければ判断できないだろう。

 

量は質に勝てない。努力には意味があるものとないものがある。

これを理解してもらいたかった次第である。

 

以上、健闘を祈る。

 

そうそう大事なことを言い忘れていた。

私のように怠惰な人間の場合、「毎日生産すること」というルールを外した途端に「今日の分ぐらい取り返せるからいいでしょ」と記事を書くこと自体を怠けてしまったりするので、そういう意味では「毎日生産すること」という縛りを設けることは間違っていないと思う。

 

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