どうも。本をこよなく愛する男、ひろたつです。
私は筋金入りの小説好きだが、だからといって何でもいいという訳ではない。むしろ、好き嫌いや良し悪しにはかなり厳しい。好きだからこそ、低品質のものは許せないのだ。
そこで今回は私が今まで事故にでも遭ったような気分にされたクソ小説を紹介したいと思う。あまりにものべつまくなしに紹介してもみんなが不快になるだけだと思うので、「書店で売る気マンマン」「ブームにしてやるぜ」と出版業界の下心がみえみえだったものに絞って紹介したいと思う。
散々売れたので、もしかしたら古本屋で見かけることもあるかもしれない。どうかその時は見なかったフリをして通り過ぎてもらいたい。
スポンサーリンク
地図男
地図男 (ダ・ヴィンチブックス) | ||||
|
ひと月に3作品以上書くとか、色々な新人賞を総なめとか、とにかく前評判の高さで話題を作られていた真藤順丈。そんな彼のデビュー作がこちらの『地図男』。
あらすじを貼っておこう。ちなみにあらすじだけ読むとかなり面白そうだ。
仕事中の“俺”は、ある日、大判の関東地域地図帖を小脇に抱えた奇妙な漂浪者に遭遇する。地図帖にはびっしりと、男の紡ぎだした土地ごとの物語が書き込まれていた。千葉県北部を旅する天才幼児の物語。東京二十三区の区章をめぐる蠢動と闘い、奥多摩で悲しい運命に翻弄される少年少女―物語に没入した“俺”は、次第にそこに秘められた謎の真相に迫っていく。第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞作。
コンビニで平積み作戦
一時期、どこのセブンに行ってもこれが平積みされていた。あそこまで意識に刷り込まれると、買わずにはいられなかった。しかもあろうことに私はハードカバーで買ってしまった。 ここまでムダな二千円の使い方はそうそうないだろうと思う。出来ることなら、あの時の私をぶん殴ってやりたい。だが、この作品を読んで悲しい思いをしたのはあの時の私自身だ。彼は十分痛い目に遭った。もう許してやろう。
出版社がバックアップ
具体的にこの作品の何がダメだったのかというと、
1.アイデアがまとまっていない
2.話が適当すぎる
この二点に尽きる。
真藤順丈氏はかなりのアイデアマンなのだと思う。その力があるからこそ、こんな作品が書ける。しかし、アイデアというのは出せばいいというものではない。多ければいいというものではない。特に小説というのは「作品」として完成させないと読み手がなんのことやら訳が分からなくなる。中にはそうやって読者を煙に巻くことで「俺って感性が常人と違うからさ」と勘違いしているやつもいる。まあそういうやつは勝手に野垂れ死ぬだろうから放っておけばいい。
だが、真藤順丈の場合、出版社が本気だ。でなければあそこまでコンビニに並ぶことはない。そうなるとなかなか死なない。いつまでも作品を発表し続けられる。これは危険だ。飲酒運転している暴走トラックをそのまま放置しているようなものだ。
スポンサーリンク
読者を舐めている
話がそれた。とにかく彼のアイデアを出す力は認めるが、作品としてはまとまっていない。『地図男』で表現しようとしたことが明確になっていないので、読後に「は?」という感想しか浮かばないのだ。
また、アイデアを詰め込みまくった結果、なんの形もなしていないこともマイナスポイントである。というか形になっていなければ小説とは言えないだろう。ただの文字の集合体だ。アイデアと文章をくっつけただけで、適当に終わらせる。読者舐めんな。
読者を舐めている作品を読むと非常に不快になる。忘れられない思い出になる。早く忘れさせてくれ。いやそれじゃダメか。忘れたらもう一回読んでしまう可能性がある。きっと私は同じ過ちを犯さないようにするために忘れないのだろう。
他の作品も軽い
私はひとつの作品で作者を評価するほど厳しくはない。チャンスは何度でも与える。
なので真藤順丈の他の作品も2作品ほど読んだが、やはりそこまで彼の印象は変わらなかった。アイデアはあるがまとめられない。話が適当。これに尽きる。
いい所を挙げようと思えば、表現力とか独特な描写などあるが、それらは作品の未熟さと比べるとあまりにも些細な要素だ。それがあるからといって読む価値があるとは思えない。
「小説とはアイデアという一滴の水を大河にする作業である」と誰かが言っていた。誰だっただろうか?もしかしたら私かもしれない。
真藤順丈はアイデアを量産できるが、大河にはできていない。大河になっていたとしても、海に向かわずにそこら辺で地面に吸い込まれてなくなっているイメージだ。 目的地にたどり着けていない。というか目的地がない。
謝らせてくれ
真藤順丈には懲りている私だが、彼がこれからどんな大物になるかは誰にも分からない。なまじ売れてしまっているのでその可能性は低いと思うが…。
だがそれでもここまでクソミソに書いたので、私を謝らせるぐらいの傑作を上梓してもらいたいと思う。私は面白い小説であれば誰が書こうが構わない。傑作がこの世に生まれてくることを誰よりも願っている。
以上。