若さが生み出す才能
サウンドは”らしさ”にあふれたもので、歌詞も野田洋次郎らしい暴力さと繊細さが混同したものなっています。確かに彼らのクオリティは感じるのだけれども…。
バンドには最初にしか生み出されない勢いみたいなのがよくあります。その勢いが人の心に火をつけたりするんですけど、いつまでも続くものではありません。続けられるバケモノも中にはいますが、本当に一握りだし、大抵のバンドは浮き沈みや革新を繰り返しながら活動を続けています。
特にラッドの場合は野田洋次郎が生み出す特異な歌詞が最大の武器でした。常人には到底思いつかないような表現方法で綴られる彼の恋愛の詩は多くの若者を魅了しました。
こうやって長い間、数多くのバンドを見ているとほとんどが歌詞の劣化が見られます。メロディーにそこまでの劣化が見られなくても歌詞は本当に残酷なほど輝きを失ってしまうものです。
椎名林檎、B'z、尾崎豊、GLAY、Mr.Children、ドリカム…などなど枚挙に暇がありません。理由は分かりませんが、想像するに言葉に対する感性というのは、人生の中で限られた時間しか輝きを発しないものなのかもしれません。
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誰のものでもない感
またRADWIMPSはその存在感やデビュー当時の年齢(確か20歳だったような)も相まって、”誰のものでもない感”にあふれていました。人は未知のアーティストが好きです。それが誰も知らなければ知らないほど価値が高まります。しかも、今までに見たことのないような歌詞表現を持ったバンドです。魅了されないはずがありません。
この”誰のものでもない感”を出すためにプロフィールを非公表にしたり、素顔を隠してみたりするんですね。
人間性で魅了する人もいるので、この辺は一概にどちらがいいとは言えません。それぞれ、自分の作風にあったやり方があるのでしょう。
アイデアはいつまでも一緒にいてくれない
歌詞感覚の劣化に限らず、よいアイデアというのはいつまでも人間の頭には宿らないような性質があるようです。みなさんも経験があると思うのですが、何かしているときに限ってまったく関係ないようなアイデアが生まれてしまったりして、「あとでメモすればいいや」と後回ししたが最後、永遠に思い出すことはありません。
そのアイデアを才能を呼ぶのかもしれませんが、人によっては”風”と表現しています。誰だったかな?どこかの詩人だったと思うのですが、アイデアというのは風であって、その時に記録を取らなければ永遠にやってくることはなく、それは誰の元にもやってくるそうなのです。
これが真実だとすれば、アイデアは誰の元にもやってくる代わりにいつまでも一緒にはいてくれないということになります。残酷なようですが、野田洋次郎の初期作品に見られる脳みそが痺れるような歌詞表現はもう生まれないのでしょう。
それでも作品を生み出した存在には変わらない
才能が枯れたからといって見限るほと冷酷な人間では私はありません。確かに彼らの生み出した作品は世を驚かせ、多くの若者の心を刺激しました。あそこまで異質な作品ですから、きっとまた新たな才能に火を灯したことでしょう。
彼らがBUMP OF CHICKENに火をつけられたように。
なので、これで彼らの価値が下がったというわけではないのです。ただ、今回の新曲を聞いて「もうあの頃には戻れないのだなぁ」と勝手に感慨深くなったのでした。
やっぱりすげえね。唯一無二やね。
そして失われたからこそ、さらに価値が上がるってもんですよ。