ケンカが苦手です。見るのもするのも苦手です。
平和主義者というよりも小心者すぎて、というのが一番の理由です。
なんだか、はてなブログのエントリーで、また佐野氏の一件のような流れになりそうな記事が話題になってますね。
⇒ ドワンゴは大量退職に関する印象操作をやめろ
タイトルからして怒りの匂いがプンプンしてきますね。
私が思わず開いてしまったのですから、きっとみんな同じような感じなのでしょう。火事とケンカは江戸の華ってね。怒りは衆目を集めるもんです。
ただこの記事を書いた方は私達読者に対し、どういう感想を持ってもらっても構わないとおっしゃっているので、そこまで感情的にはなっていない印象を受けます。
しかし、周りでこれを面白がる”大衆”という化物がどういう流れを作るのかは分かりません。
それは先日の佐野氏の一件でも分かります。
大衆の負のエネルギーはオリンピックの進行さえも滞らせる力を持っていると示してしまいましたからね。
私は職場の立場上、辞める人から話をされることがよくあります。更に言えば、今の会社に高卒で入ってから10年以上勤務しているので、辞めることはなくても辞められたことは数えきれません。(100人は軽く超えてると思います)
辞める人にはある規則性があります。絶対に以下の項目のどれかに当てはまります。
1.体力的、精神的に限界が来ている
2.自分の会社が嫌いになっている
3.会社に必要ない
4.嫌われている
特に3が私の中でミソなのですが、どんなに能力があっても”会社に必要ない人”ってのはいるんですよね。成績がいい=会社に必要ではないんです。
主に性格や人間性の問題になりますが、会社の空気に合わない人ってやつです。いつも怒っていたり、不満を爆発させていたり、人間関係の問題をよく起こす人がこれにあたります。
逆に会社に残る人にも規則性があります。
1.体力的、精神的に余裕がありペースを保てている
2.なんだかんだ自分の会社が好き、または嫌いになれない
3.会社に必要
4.好かれている
はいそうです。ただ辞める人をひっくり返しただけです。
こうやって見てみると一目瞭然で、辞める人と辞めない人が相容れないのは当たり前のことですよね。
どちらが正義とかいう話じゃないんです。
辞める人ってのは被害者意識が強いです。辞める会社を悪く言う傾向はあります。
しかし、辞めることも辞めないこともお互いの生き方ですし、否定しあうものじゃありません。
会社も人間の集合体ですから、欠点は腐るほどあるでしょうし文句を言ってたらキリがないです。
でも、それも仕方ないと受け取れる人もいるし、受け取れない人もいると。それだけの話なのであまり以前自分がいた会社のことを悪く言わない方がいいですよ。
単純に会社に必要ない人間だっただけかもしれないですから。
ちなみにこれは”才能がない”と言い換えることもできます。
辞めたくなっちゃう人はその会社(その仕事や業種という意味ではありません)で仕事をする才能がないだけで、他のことが向いているだけです。
実際に、辞めてからイキイキと新しい仕事をしている元同僚を何人も知っていますから。
だからさっさと辞めればいいんですよね。
変にしがみつくから、裏切られたときの喪失感がより大きくなるんですよ。
「今やっている仕事が無駄になったとしても我慢できるか?」
というのは仕事を続けるか否かのいい判断基準になるんじゃないでしょうか?