どうも。
今回は森博嗣のエッセイの紹介である。抜群に面白いのでオススメだ。
大前提として
小説家として名を馳せた森博嗣。デビュー作である『すべてはFになる』はドラマ化も果たしている。累計発行部数は1600万を超えているそうな。なので間違いなく売れっ子作家である。
なのに。それなのに森博嗣は語る。
「小説を書いているときに面白いと思ったことは一度もない」
我々ファンの夢を簡単にぶっ潰してくれる男である。まあそれを本人に伝えたところで、「楽しく書いているのとつまらなく書いているのでは作品の内容が変わるのですか?」と返されそうだが。
売れっ子のクセに小説を書くのが好きではない森博嗣。だがこれがエッセイになると違うそうだ。いくらか楽しんでやっているそうである。
そのせいか分からないが、森博嗣ファンの私が読んでいても正直小説よりもエッセイの方が面白い気がする。というか、エッセイの方が森博嗣成分が濃い気がするのだ。
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多くの読者を獲得した理由
今でこそ悪名高い『メフィスト賞』であるが、森博嗣を生み出したことは賞賛に値する。ひとつの時代を作った作家だと思う。
森博嗣の作風を一言で表すならば、やはり手垢が付きまくっているこれになってしまう。
「理系」
みんなこぞって森博嗣の作風をこう評する。作家としてデビューした当時(デビューしてからもしばらくは)国立大学の工学部の助教授をしていたという特異な経歴からもこの言葉はふさわしく思える。
しかしそれにしても「理系」とは何とも曖昧な言葉である。私自身があまり学がない為に理解できないだけかもしれないが、私としてはこんな感じに言い換えられる。
「概念の整理が上手い」
これが自分自身一番、森博嗣の魅力を伝える言葉として腑に落ちる感じがする。
人が何気なく使っている言葉や価値観、感情などをきちんと整理するその感じが気持ち良いのである。
これは彼の作品の場人物の言葉の端々から感じられるものである。私は推理小説作家としての彼は正直どうでもいい。トリック中毒の私だが、彼の作品にはトリックなんぞ求めていない。良質なトリックは最高の快感をもたらしてくれるが、それよりも「概念の整理」を求めて森博嗣作品を読み漁っていた。
例外が最高傑作
ただ例外があるとすれば、森博嗣も自身で「最高傑作」と評している『スカイ・クロラ』シリーズだろう。
これは彼の作品の中でも珍しく推理小説ではない。小説の体をなしているが、ほとんど詩のような文章である。
だがこれがまた効く。かなり中毒性が強い文章である。飛行機乗りの話なのだが、飛行機の専門用語が頻繁に出てくる。門外漢の私にはまったく分からず何となく想像するだけの箇所もある。調べれば分かるのだが、『スカイ・クロラ』を読んでいる途中で「意味をわざわざ調べる」という行為は似つかわしくない。というか邪魔である。意味が分からずともそのまま流れるように読みたくなるような作品なのだ。
スカイ・クロラ | ||||
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この装丁が大好きでシリーズを全てハードカバーで購入するぐらいハマった。
ナ・バ・テア | ||||
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特にこの『ナ・バ・テア』(英題『None But Air』)は最高傑作である。
森博嗣成分
そんな森博嗣の魅力である「詩」の部分はスカイ・クロラシリーズで味わってもらうとして、その他の「理系」「偏屈」「アフォリズム」などを抽出しまくって濃厚にしたのが、この『100の講義』シリーズである。
常識にとらわれない100の講義 (だいわ文庫) | ||||
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とにかく森博嗣の味が濃い。読むと森博嗣の味が脳みそいっぱいに広がる。
『100の講義』を「森博嗣100%」だとすると、通常の小説の方はファンタぐらいである。ほぼ無果汁に近いレベルで森博嗣感が薄いと思う。それぐらい濃度が違う。あまりにも森博嗣成分が濃いので、『100の講義』を読み終わった後もそれが頭の中で分解されずに残ってしまい、自分の考え方や発する言葉、時には文章も森博嗣感が出てきてしまう。恐ろしいことである。
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ネタがたくさん
この『100の講義』の中にはその名の通り、100個の話題が提供されている。ただ講義とは名ばかりで、実際はただのエッセイであり、雑談である。
現時点で『100の講義』シリーズは4冊発行されている。つまり森博嗣の小話が400個読めるという訳だ。
美味しいうえに、たくさんである。これなら文句の付けようがないだろう。
さらに本人が楽しんで書いているだけあって、中身も傷がないというか、足りない部分が感じられないのだ。
視界がクリアになる
以上が『100の講義』シリーズを私がオススメする理由である。
中身は講義でなくエッセイといか雑談なのだが、それでも森博嗣の理路整然とした思考に触れると、何か学んだような気にもなるというものだ。視界がクリアになるというか…。
きっと私はこの感覚が得たくて森博嗣の本を性懲りもなく読み続けるのだと思う。
そんな感覚をくれる稀有な作家である。ぜひともひとりでも多くの方に楽しんでいただきたいと思うのだ。
以上。
※追記
私が「地球で一番おもしろいエッセイ」と認めている『われ笑うゆえにわれあり』の作者である土屋賢二とも親交があるらしく(どちらも大学の教授経験者)対談本も出ている。
まだ未読だがこの二人が揃っているのであれば、面白くないはずがないだろう。
人間は考えるFになる (講談社文庫) | ||||
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