どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
私は本が好きである。本にとって一番重要なのは中身、つまりは文章である。文章がなければそれは本とは呼べず、違うジャンルになってしまう。
いくつも文章が織りなす物語は、私の人生において無くてはならないものだ。本がないなら死ぬ。真剣にそれくらい好きだ。完全に依存している。
しかしながら、そこまで本好きになると付属品というか、本周りのものまで好きになる。その中でも特に本にとってなくてはならない重要なものが、本の顔とも呼べる部分「装丁」である。
面白いもので、装丁は本の中で唯一読めないものだ。タイトルと著者名はあるものの、そこに本の本質たる文章は存在しない。しかし装丁は本の顔であり、装丁が名刺がわりになる。
そんな装丁だが、日本の出版業界の叡智が詰まった作品が揃っており、非常に見応えがある。そうなのだ、美しい装丁とはそれだけですでに作品なのである。
文章を読むのに疲れたら、そっと本を閉じ装丁を眺める。作品世界を忠実に表現したものもあれば、抽象的なものもある。ライトノベルのようにキャラクターを具体的に示すものもあれば、硬派にタイトルが刻印されただけのものもある。それぞれに味わいがある。
ただそれでも中には「これぞ!」というものがあり、装丁だけですでに買う価値があるような作品もある。
今回は生粋の読書中毒にして装丁大好きな私が「美しい装丁の本」を紹介したいと思う。
どれもこれも見る者の目と心を確実に惹きつける名作たちである。ぜひとも楽しんでいただきたい。こういうのを目の保養と言うんじゃないだろうか。
では行ってみよう。
※今回の記事は私が今まで読んできた本の中から選抜したものの他に、最高の装丁を狂ったように集めている超優良サイト『Bird Graphics Book Store』様を参考にさせていただいた。感謝。
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失はれる物語
涙で滲んだ楽譜。これだけで物語が喚起される。個人的に人生ベスト5に入る装丁。
ハードカバー版では、涙の跡が立体的に印刷されていて、さらに表紙が透けて裏側に譜面が印刷されているという凝りようだった。一生大事にしたい作品である。
葉桜の季節に君を想うということ
削ぎ落とすことの美しさ。惜しむらくは、なぜ桜ではなかったのか。
神のロジック人間のマジック
タイトルがすでに素晴らしく、SFなイラストも秀逸。ちなみに中身とは全然関係ない。 作者の西澤保彦の髪の毛がチリチリなのは、もっと関係ない。
今はもうない
元々は違う装丁で辰巳四郎氏による作品だったが、新しいこちらのタイプの方が好みである。
血か、死か、無か
「死」という言葉への連想なのか、磔になったキリストのようなモチーフ。森博嗣作品の装丁はどれも秀逸。
教団X
実物を手に取らないと分かりにくいが、非常に細かい線で描写されている。作品自体の混沌さと緻密な装丁が、いい対比を見せている。
さらばボヘミヤン
美しい写真なのに帯がもったいない…。
まほろ駅前狂騒曲
二人の男が同時にタバコを放り投げているようなイメージが喚起される。これは文庫版の装丁で、ハードカバー版の方はイマイチ。
↓これ
普通、ハードカバー版の方が上等なものなのだが、この場合はきっとシンプルさが良い方向に作用しているのだろう。
声をかける
さきほどの『アルテーミスの采配』とはまた違った衝撃さがある。
柔らかいタッチでエグい描写というギャップが良い。
十一月に死んだ悪魔
青い光というのは、なぜこんなにも怪しい魅力を放つのだろうか。悪魔のイメージとも似通っている。どうでもいいが、お風呂で使う泡立てるモコモコしたあれに似ている。
ここから先は何もない
「なんだこれ?」と思わせる装丁は、それだけで役割を果たしていると思う。見る者の脳をハックする力があるからだ。でも不可解だったらいい、というわけでもないから難しいものである。
息子と狩猟に
狩猟で生活する著者らしい非常に力強い作品。装画を担当した西村真似子氏の絵には、荒々しさと優しさが同居している。狩猟という蹂躙に対し、息子という庇護する対象が同居する本作には、非常に似合った装丁である。
いのちの車窓から
力の抜けた可愛らしいイラストと余白をたんまり使ったデザインが秀逸。余裕を感じる。世に出回っているタレント本は押しが強すぎる。見習って欲しい。
ビニール傘
朝焼けだろうか。晴天の様子を見せることで、余計にタイトルのビニール傘が栄える。にくい演出。
情人
なんとも言いようのない表情の女性が印象的な装丁。それに対してデジタルなフォントの「情人」。アナログとデジタルの対比である。
いちばん悲しい
こうやってまとめるとよく分かるが、きっと私は細かい書き込みが好きなのだ。白と黒だけで織りなす芸術である。限られた条件だからこそ芸が感じられる。
幸福な水夫
顔にこんなんがぶつかって来たら全然幸福ではないのだが、『幸福な水夫』である。
こちらもパンチがある、という意味で非常に秀逸。
おっさんが透けているのがポイントで、背景を透けさせることで、強烈な絵面をまろやかにする効果を発揮している。
偽姉妹
これは発想の勝利。こんなカメラアングルなかなか思いつかない。唸るしかない。
無限のビィ
ゾッとさせるような雰囲気に満ちていて◎。タイトルが邪魔しているのが残念だが、それでも作品の持つダークな空気をしっかり伝えている。
ホラーは描写よりも雰囲気が大事なので、そういう意味でも優秀な装丁。 もろに怖さを描いてくるのは、下品すぎて好みではない。
じっと手を見る
「Theそのまんま装丁」である。そのまんまなのだが、よく見ると味わいがあることに気がつく。
「ぢっと手を見る」といえば、早逝の天才石川啄木だが彼の場合は、人生の無為さを思いながら自分の手をじっと見ていた。
しかしこの装丁の手の角度だと、手は背中で組まれている。ではその手を見ているのは誰だろうか?
極夜行
タイトルに引っ張られている部分があるのを自覚しているが、それでも美しい装丁だと思う。
著者の角幡唯介は生粋の冒険家にして、最強のノンフィクション作家でもある。直にクレイジージャーニーに出演するはず。
ベルカ、吠えないのか
中身は全然だったけど、装丁は大好き。エネルギーに溢れた犬の写真と、テンションを抑えつつも盛り上げる効果を発揮したタイトル。いやー、これはやられるね。中身が伴ってないのが残念だけど。
よるのばけもの
化物とは、本来我々が目にしたことがない存在のはずである。しかし過去の作品などから私達の頭の中には刷り込まれた化物のフォルムがあって、少しでも知っている化物だと、化物に対する不可解さや正体不明さが失われてしまったりする。
この装丁で描かれた“ばけもの”は、我々が知っているどの化物とも違う。どこがどうなっているのかも、よく見てもいまいち分からない。だが、分からなくて掴みきれないからこそ、手にとってみようと思わせるのだ。
未来ちゃん
写真集を紹介するのはちょっと卑怯だったかもしれない。
でもこのパワーと笑いに溢れた装丁を目にしたら、紹介せずにはいられないだろう。
眠りの庭
美女はいつだって画になるものだ。だが美女だったらそれでいいのかと言えば、まあそれでいいのはいいのだが、物足りなくなるのも事実。いや、物足りなくならないが…。何が言いたいんだ、私。
美女は美女として、装丁画の表現もポイントとなる。描かれた女性とシーツをしっかりと見て欲しい。極端に沈み込むような描かれ方をしている。実際にシーツに寝転がってみると分かるが、こんな食い込み方はしない。この表現によって、より女性の眠りの深さや、依存性が感じる。
ヒュレーの海
これは…やけにツボに嵌ってしまった。
名作「落ち穂拾い」のようなタッチなのに、背後に佇むのは明らかに銃器を搭載したロボット。違和感がムンムンなのに、世界観が構築されていて異様な魅力がある。マス目状に引かれた白線も、なんとも言えない緊迫感を生み出している。
一◯一教室
そりゃ鳥かごに嵌っちまったらそんな顔にもなるよな、という装丁。作者の名前にも鳥が2匹入っているし、やたら鳥要素が強い。
教室に閉じこられる生徒を表現したカリカチュアだろうか。
ババァ、ノックしろよ!
そのまんますぎて芸が無いので紹介しようか迷ったが、面白さが上回ったの選出。
ってこれ、宇多丸の番組の企画を書籍化したやつなのか。そりゃセンスいいはずだわ。
四月になれば彼女は
川村元気の作風は全然好きじゃないのだが、装丁は毎回神がかっていて悔しい。前作の『世界から猫が消えたなら』も素晴らしかった。中身が伴ってたら一生モノなのに…。
こんな装丁が本屋に平積みされてたら、手に取らないわけにはいかないでしょ。それくらい強力。
すみなれたからだで
いやー、窪美澄の装丁は毎度毎度クオリティが高い。というか私の感性に引っかかりやすい人なのかもしれない。残念ながら彼女の作品はまだ読んだことはないのだが。
「すみなれたからだ」という柔らかい字面と意味のタイトルの割には、装丁の女性の妙に力の入った足先からは不器用さを感じてしまう。そんなアンバランスさが良い。
おやすみ人面瘡
可愛らしい少女を起用しておきながら、最高に気持ち悪いエフェクトを掛けている。非常にホラーらしい装丁である。ホラーで美しい装丁って、見つけるのがなかなか難しい。
23000: 氷三部作3
まったく意味が分からない装丁なのだが、どうにも惹きつけられる。なんならタイトルも意味が分からないし、「氷三部作」の意味も分からない。しかも少女が持っているのはウクレレだし。こんなテンション低い感じの絵面なのに、なぜそこだけちょっと陽気な楽器を選出したのだろうか。
日蝕えつきる
黒っぽい装丁画に赤字のタイトルは横溝正史っぽくてとてもよろしい。邪悪な空気感満載である。女性が貧乳気味なのも上品でよろしい。
背景の満月は花村萬月にかけたのだろうか。
雨のなまえ
女性のシルエットを覆うように重なった黒いイメージは、彼女の心象を表しているのだろうか。また、暗く潰された上半身と対比するように足を白くしたのは、エロティシズムを狙ったのだろうか。うん、やられるよね。
それにしても、やっぱり窪美澄の装丁はいいわー。
少年は残酷な弓を射る
実写映画化もされたこちらの作品。死の象徴である頭蓋骨に、うろんな目線を送りながら舌を這わせる少年。どうしようもない作品であることが手に取るように分かる。
下巻はこの装丁から若干カメラの位置を変えたものになっているが、私は上巻の方が好み。
ドグラ・マグラ
ノーコメント。
火口のふたり
エロいのを選びすぎだろうか。でも美しいのだから仕方ないだろう。いや『ドグラ・マグラ』の装丁が美しいとか一秒たりとも思ったことないが…。
S字を描くと女性らしさを表現できるのでくびれが重視されるのだが、この装丁の場合、若干くびれの角度が攻撃的になっている。その辺りが余計にリアルさを生み出しているものと思われる。
なんというか正直に言うと好きです。すいません。
桜庭一樹短編集
ギャグっぽくて好き。だからなんだよ、という装丁である。
桜庭一樹作品で面白いと思ったことはないが。
スクールガール・コンプレックス
またまた写真集である。本当にごめんなさい。反省してます。
ワールズ・エンド・ガーデン
こういう細かく書き込みがしてあるの大好き。
美しい装丁だが著者名の「いとうせいこう」でちょっと面白くなってしまっているのが残念。
だれかのいとしいひと
装丁画を担当している酒井駒子さんは超優秀な絵本作家。今まで意識したことがなかったのだが、子供に読み聞かせしていた絵本の中にも彼女の作品がたくさんあって、私も一緒にハマってしまっていた。絵の持つ力が凄まじく、その実力はあのニューヨーク・タイムズにも認められるほど。
装丁云々というよりも、画家のポテンシャルが高すぎて認めさせちゃうパターンである。
水瓶
タイトルと著者名を透過したのが偉い。淡いながらもカラフルな色使いで、目にした瞬間にハッとさせられる。しかもよく見ると、描かれた人物は池のような所から水をすすっている。普通ではない。淡い絵面で強烈な描写、という矛盾を孕んでいる所に魅力を感じさせる。
『水瓶』の「瓶」の中に水滴が描かれているのも面白い。技ありな装丁である。
レクイエムの名手 菊地成孔追悼文集
死人の手を組ませている描写だろうか。力強いタッチで描かれた作品である。
手というのはモチーフとして非常に使いやすい。メッセージ性が強いので、見る者に何かを伝える上で役立つのだ。合図とか手でやることが多いでしょ。
しかしその一方で、手は複雑な形状をしているので数が増えると絵面がごちゃごちゃしてしまうという副作用がある。
この装丁でも、ごちゃごちゃ感は確かにあるのだが、それゆえに死というものにしがみついてしまう“人間の業”のようなものが伝わってくる。
ボールのようなことば。
天才漫画家松本大洋による装丁画である。
さきほど紹介した酒井駒子同様、画家の力だけで見させる作品のパターンである。この人の凄さを表現する言葉を私は持たない。とにかくなぜか「良い…」と思わせるものがある。
愛しの猫プリン
この丸さ、最高!
この毛がほわほわしてる感じとかっ。肉球とかっ。
意味がないと分かってても表紙をなでちゃいそう。
朝が来る
3児の父である私は子供に目がない。元々は子供嫌いだったのだが、いざ自分に子供ができると子供好きになってしまうのだから、人間ってのはつくづく動物である。
なので装丁に子供が描かれてるだけで無条件に好印象になってしまうぐらい感性がガバガバになってしまっている。御免遊ばせ。
だがそれでも朝日に照らされたキューティクルの美しさは、誰の心にも響くものがあると信じている。
さよなら、ニルヴァーナ
色合いといい、ぼやかし具合といい、虚ろな視線といい、完璧な構図である。そしてやはり窪美澄である。
凄い!ジオラマ
ちょっと趣旨が違うが面白かったので選出。好き。
過ぎ去りし王国の城
強烈な黒板アートである。ただの上手い絵では響かないのに、それが黒板に描かれているというだけで面白みが生まれる。黒板という学校の象徴と、絵という遊び心のギャップが作用しているのだろう。
そういえば、スラムダンクの『あれから10日後』も同じ手法を使っていて、良かったなぁ。
髪
あえて小さく収める美学。これが表紙全面だと主張が強すぎてしまい、本の上品さが失われてしまう。
中身もそうだが、装丁も見たものに快感を提供することが大事である。
しかし快感を追求するあまり、下品になるのはいただけない。そのバランス感覚を失ってはいけない。
スカイ・クロラシリーズ
さて、長々と書いてきたこの記事もこれでおしまいである。
最後は私の人生ベストの装丁で飾りたいと思う。シリーズものである。
デザインを担当したのは、鈴木成一デザイン室。作者の森博嗣は装丁にかなりうるさく、装丁を決める工程で鈴木成一とはケンカ寸前まで話し合ったこともあるそうだ。
それだけのこだわりを持ったからこそ生まれた傑作である。
大胆さと繊細さが同居した最高の作品である。
嫌いなやつ
以上が読書中毒の私が選抜した美しい装丁の本たちなのだが、以下にオマケというか参考として、逆に大嫌いな装丁の例を紹介しておこう。これは代表的な一例であって、この作品自体が嫌いというより、こういう系統の装丁が嫌い、という意味である。
あくまでも個人的な好みなので、あまり真剣に受け取らないよう願いたい。
駒子さんは出世なんてしたくなかった
まずタイトルがうるさい。説明しすぎている。それプラス、キャラクターの押し付けがましさも、非常にやかましい。帯の感じもすげえ嫌い。
鳥居の向こうは知らない世界でした
これもタイトルがうるさい。また、装丁も美しさを強調するあまりに下品な仕上がりになっている。
綺麗なものをたくさん配置すればいいというわけではないことが、よく分かる作品である。
夢の終わりで、君に会いたい。
モロに感情を描いてしまう辺りが雑に感じるし、安易すぎる表現だと思う。
悲しみを描きたいのであれば、むしろ悲しみを描かない方が効果的なのだ。
細かいことを言うと、涙の粒のデカさとかもキツい。
私が失敗した理由は
この装丁が流行っている理由が私にはよく分からない。
確かにビジネス書では白地に黒文字が流行っていて、そのムダのないデザインが優秀な仕事を連想させる感じはするのだが、小説となると手抜きにしか見えない。
れんげ荘の魔法ごはん
グルメものが流行っている。小説なのにビジュアルに頼っている感じが全然好きじゃない。というか、流行っているだけで好きじゃなくなる。
きっと読書好きのこういった天の邪鬼さが、業界全体を縮小させる要因になっているのだろう。ほんと、すいません。でも嫌いなものは嫌いです。
以上。また見つかり次第追加する。
ということで、そんな読書マニアひろたつが、生涯をかけて集めた超面白い小説たちがこちら。