どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。
この本と『未来の年表』は絶対に読むべき。そして絶望に打ちひしがれてほしい。
内容紹介
私たちが生きる日本。これから先、どんな未来が待っているのだろうか。
これは国が想定する未来図であり極端な悲観論ではない。日本社会は、これから世界で誰も経験したことのないほどのすさまじい人口減少と高齢化を経験することになる。
厳しい現実
本書の中には非常に厳しい現実が記されている。
都内のとある警備会社では、身寄りのまったくない地方上京者をたくさん抱えている。
彼らはお金も住むところもなく、とにかく日々を生き残るために「日払い・寮あり」という仕事を探している。つまりホームレスである。
そういった人材を確保しない限り、現在の慢性的な人手不足には対応できないというのが現実なのだ。少子高齢化の波は地方から蝕み始めている。
しかしながら、そういった身寄りのない人を雇うリスクも多い。
例えばその警備会社では従業員のおよそ4割が50代以上。最高齢は70代。こうなると冗談ではなく、いつ誰が死ぬか分からない。会社の寮で人知れず冷たくなっていることが多々あるのだ。
終末をばらまく人
さらに問題なのが、彼らに身寄りがないことである。
死んだとしても、その手続や処理(言い方は悪いが、やはり処理だ)をしてくれる人が存在しない。遠縁の親戚に連絡をしたところでバックレてしまうのがオチだ。なのでなし崩し的に会社が面倒を見る。そのための費用も必要になる。さらにさらに、高齢者は死亡するだけでなく、体調不良などにより働けなくなることもある。その場合にも会社は「見捨てるか養うか」の二択を迫られる。
このようにこれからの日本では、こういった「終末をばらまく人」が増えていくことだろう。
死体が放置されるなんて、当たり前になっていくかもしれない。
捨てられる人のパターン
少子高齢化に押されて、企業はさらに業績に伸び悩むようになるだろう。そしてAIに代表される「人⇒ロボット」の構図がさらに雇用を奪っていく可能性がある。
そうなると、働きたくても働けない高齢者がさらに増えることになる。
単純化すると、こんなパターンである。
①生き残るためにとりあえず仕事をする。
↓
②なんのスキルも知識も身に着けないまま年齢だけを重ねてしまう。
↓
③通過点と思っていた仕事がいつの間にか、「しがみつくしかない仕事」になっている。
↓
④体以外の資本が使えず、体を壊した瞬間にゲームオーバー。捨てられるかどうかは周りにいる人の良心次第。
今の時点でこのパターンに嵌っている人は日本で働くよりも、海外に出稼ぎに行った方が生き残れる確率は上がるだろう。少なくとも東南アジアは少子高齢化はまだ先の話だからだ。
※参考サイト
病院で死ぬことが贅沢
この本を読んでつくづく思ったのは、「捨てられる覚悟を決めておこう」ということだった。
というのも、これからの少子高齢化を迎えると、私ぐらいの世代がモロに日本の荷物になる。私が高齢者になる頃には、日本では「1人の若者が1人の高齢者を支える」 なんていう“肩車社会”が訪れる。分かるだろうか、若者全員の上に老人が乗っているイメージだ。
普通に考えて、こんな社会がまともに機能するとは到底思えない。
基本的に若者というのは、未来のために生きるもので、老人の介護をするために人生を費やすようなものではないと思う。私が若者側だったら、絶対に逃げ出すか抵抗するだだろう。それが普通の感覚だ。
であるならば、少なくとも自分のケツぐらいは、拭けるようにならなければならないと思う。荷物にならない人間でありたいと思う。
きっと私と同じように考える人はたくさんいるだろうから、近い将来、安楽死の制度が確立されることだろう。
そもそも病院で死ぬことだって贅沢になるだろう。死ぬ間際の老人のためにお金を使う余裕を誰が持っているのだ、という話だ。
ということで、みなさん、さようなら。
以上。