俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

大人気ない大人って好き。上橋菜穂子『獣の奏者』

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

私は基本的にベストセラーを読まない。なぜなら私がわざわざ読まんでも、世の多くの人が読んでいるのだから、知る必要がないと思うのだ。

私の役目は、世の多くの人の目からこぼれ落ち、知られずに朽ちてしまいそうな作品をすくい上げることであり、そんな作品を読んでいる自分をこっそりと誇り、ベストセラーばかりを選んで読む輩に脳内で「へえ~、東野圭吾が好きなんだ」とマウンティングすることである。

 

別にベストセラーの本を読むことは悪いことではない。

本を愛する私からすれば、どんな形であれ、出版業界にお金が落ちることは歓迎すべきことである。ただ単に「自分が読む必要はない」と考えているだけだ。

しかしながらそんな私でもたまにはベストセラーに手を出してみたくなる。大衆に広く歓迎される作品の傾向を知るためである。しかもそれが濃厚そうな作品であればより確かめたい。

 

内容紹介

ということで、今回紹介する作品がこちらである。

 

 

王国の矛盾を背負い、兵器として育成される凶暴な蛇――闘蛇。
各界で話題騒然!傑作ファンタジー巨編、ついに文庫化。

リョザ神王国。闘蛇村に暮らす少女エリンの幸せな日々は、闘蛇を死なせた罪に問われた母との別れを境に一転する。母の不思議な指笛によって死地を逃れ、蜂飼いのジョウンに救われて九死に一生を得たエリンは、母と同じ獣ノ医術師を目指すが――。苦難に立ち向かう少女の物語が、いまここに幕を開ける!

 

この作品を知ったきっかけは、本屋でその装丁に一気に魅せられたことである。

私としては珍しのだが、文庫版のこの表紙でやられた。ハードカバーなら「装丁で一目惚れ」は数え切れないほどあるのだが。基本的に文庫の装丁は「色のついたカバー」程度にしか認識していないので、かなり貴重なパターンである。

大胆な色使いと、主張しすぎないタイトル。物語の奥行きを感じさせる、輪郭の曖昧な獣と壮大な自然。

「美味しそう」

一目見て思った。

そして私の目は正しかった。紛れもない傑作であった。

 

作者上橋菜穂子の紹介

作者の上橋菜穂子は児童文学を主戦場とする作家である。

代表作は今回紹介する『獣の奏者』、『守り人シリーズ』、2015年本屋大賞を受賞した『鹿の王』など多数ある。

映像化も多数されていて、ドラマからアニメなど、各方面から支持され、愛されていることが伺える。

 

また日本文筆界屈指の書き手であり、受賞歴とか見ると笑ってしまうレベルだ。文壇の吉田沙保里である。

 

1992年『月の森に、カミよ眠れ』- 日本児童文学者協会新人賞
1996年『精霊の守り人』- 第34回野間児童文芸新人賞
1997年 第44回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞
2000年『闇の守り人』- 第40回日本児童文学者協会賞
2002年『守り人シリーズ』- 第25回巌谷小波文芸賞
2003年『神の守り人 来訪編、帰還編』- 第52回小学館児童出版文化賞
2004年『狐笛のかなた』- 第42回野間児童文芸賞、第51回 産経児童出版文化賞推薦作品
2009年『Moribito: Guardian of the Spirit』(『精霊の守り人』英訳版)- The Batchelder Award。
2014年3月24日 - 国際アンデルセン賞作家賞
2015年『鹿の王』 - 第4回日本医療小説大賞(主催・日本医師会)
2015年『鹿の王』 - 第12回本屋大賞

 

輝かしい受賞歴の中でも特筆すべきは、『国際アンデルセン賞』である。

児童文学に永続的に寄与したことを表彰される賞であり、最高に格好いい二つ名として「小さなノーベル賞」と呼ばれている。誰だよ、そんなこと言い出した奴。センスありすぎだろ。

 

ちなみに過去に国際アンデルセン賞を受賞した作家は、日本人で上橋菜穂子を含めたった3人である。ノーベル賞よりも遥かに少ない。

讃えよう。

 

上橋菜穂子の作風と、その強み

上橋菜穂子の作風は、綿密な取材を元に、多数の文献を用いて、確かな知識に支えられた“完全なるファンタジー世界”を構築することに長けている。

良質なフィクションが持っている特徴として「どこを切っても設定が潜んでいる」というものがあるが、まさにその特徴を地で行く作家である。

マジで頭のネジがぶっ飛んでんじゃないかってぐらいに設定の鬼である。むしろ設定をガッチガチに固めないと、ストーリーを紡げないタイプの作家なのかもしれない。ちなみに『桐島、部活やめるってよ』の朝井リョウも同タイプの作家である。

 

このタイプの作家の強さは、なんと言っても安心感である。

小説とは、言ってしまえば壮大な作り話である。作り話を誰かに話そうと思ったら、あまりにも荒唐無稽だと、それこそ「昨日見た夢の話」になってしまう。だから何だよ、となる。

作り話だからこそリアリティが必要だし、考え抜いて極限まで「作り話である」という粗が出ないようにすべきだ。

その点で言うと、上橋菜穂子の作品は抜群である。隙のない緊張感のようなものが、作品全体から立ち上っている。完成品としての存在感が凄い。

だからこそ、読者は安心して物語に身を任せられるし、いらん気苦労がなくて、物語世界に没頭できる。(例えば、「ここの設定はちょっと納得いかないけど、まあ大目に見てあげるか」的な考えがよぎると、その瞬間は現実に帰ってきてしまう)

 

日本人はハリー・ポッターじゃなくて『獣の奏者』を読め

長い長い前置きを終えて、『獣の奏者』の紹介である。

ここまでの長文に耐えてくださった皆様であれば、正直言って、もうさっさと読んでいただきたいのが本音である。

毎度書いていることだが、名作を楽しむ一番の方法は、何の事前情報もなしにいきなり味わうことだからだ。

なのでぜひとも私の駄文なんかを読むためにスクロールするのではなく、『獣の奏者』のページを捲っていただきたい。

 

さて、何かの作品を褒めるときに別の作品を貶して持ち上げようとすることを、私はあまり好まない。

であるが、あえて今回は引き合いに出したい作品がある。

世界的ベストセラー『ハリー・ポッター』である。

説明の必要が一切ないレベルの超人気作である。世界で一番人気があるファンタジー作品かもしれない。

日本でもクソほど売れまくっているが、ハリー・ポッターに群がる皆さんに言いたい。

だったら『獣の奏者』を読めと。

確かに全世界で大人気の作品だったら読みたくもなるだろう。全世界で人気ってことは、実質宇宙で大人気と同義だ。宇宙で大人気の作品なんて、私だって読みたい。

でもこちとら生粋のゴリッゴリの日本人である。祖国が誇る名作を差し置いて何が日本人なのか。

別に右翼的な発想でもないし、そこまで日本人っていうアイデンティティに誇りもないのだけど、わざわざ遠くを見ずとも、世界でも有数の名作が足元に咲いているのである。ぜひとも手折って手元に置いてあげてほしい。 

 

日本人に超オススメしたい理由

私がわざわざハリー・ポッターをこき下ろしてまで『獣の奏者』を推すのには明確な理由がある。

地産地消して日本経済を回したいという大義名分もさることながら、上橋菜穂子が紡ぐ日本語の美しさが最大の理由である。

学がないもんで他言語に翻訳した際に、言葉のニュアンスがどれだけ保たれるものなのか私は分からない。

だが、間違いなく『獣の奏者』は物語としての面白さだけじゃなく、文学としての美しさを兼ね備えている。この感覚はぜひとも日本人が味わってほしいし、共有してもらいたい。

言葉という武器はあまりにも汎用性が高すぎるがために、安易だったり、表現を誇張して味付けを濃くしがちである。その方が簡単に相手に刺さる(ふうに思える)からだ。

しかし、言葉の本来の力というのは、推敲された文章のみにこそ現れる。そこでしか味わえない美しさがある。

私はそれこそ30年近く読書を愛してきているので、それなりに日本語に精通しているつもりだったし、語彙もある方だと思っていたが、上橋菜穂子作品を読むと「全然まだまだだな」と思わされる。「そんな丁寧な言い方があったのか!」と驚くような瞬間が何度もある。

 

美しい日本語に出会うと、なぜこんなにも安らぐのだろう。そして高ぶるのだろう。

間違いないストーリーに、美しい文章。こんなん「性格のいい美女」である。つまり最強ってことだ。ぜひ魅了されてほしい。

 

子供をなめない上橋菜穂子

あと、『獣の奏者』において一番大事なポイントがある。

めっちゃ重い。しかも複雑。さらに深い。

難解という意味ではなく、物語が恐ろしいまでに作り込まれているので、そこには完全にもう一つの世界があり、その世界を把握したり、思惑や忖度などを飲み込むのに時間がかかるのだ。

読み終えた私は「これのどこが児童文学だよ!」と呆れてしまった。

面白くて結構なのだが、あまりにも子供相手に本気を出しすぎである。そしてそんな大人気ない上橋菜穂子は最高である。私も常々「大人になれない」と思っているたちだが、上橋菜穂子も大概である。

しかしながら、いくら子供とはいえ彼らが住んでいる現実世界もまた、重く、複雑で、深みがある。同じレベルの世界をぶつけたとしても構わないわけだ。むしろその方が真摯な態度と言える。 

 

余談。

ちなみに『獣の奏者』は、文庫で全4巻から成っている。1.2巻と3.4巻でそれぞれ分かれていて、1.2巻だけでも十分楽しむことができる。というか、1.2巻と3.4巻では、物語の楽しみの種類が違うので、人によっては「前半だけでいいや」となる可能性が高い。

実際、作者の上橋菜穂子も前半の1.2巻で当初は終わりにするつもりで執筆しており、完成度は文句なしである。

 

それにしても、私は30過ぎてからこの名作と出会ったわけだが、読んだ感想などを拝見していると、やはり学生時代に出会っている人が多く、そのほとんどの方が「小説の楽しさを教えてもらった」と語っていて、とんでもなく羨ましい限りだ。

こんな名作と学生時代に出会えるとは、幸運以外の表現が見つからん。

 

以上。