俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

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個人的に本屋大賞で地雷だった作品をまとめる

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

今回はただの悪口である。

 

本屋大賞は最高

本好きの祭典といえば「本屋大賞」である。その一年間で一番面白かった小説を選び出すという、最高すぎるイベントである。

本好きからすれば、効率よく面白い本に出会わせてくれることに感謝するだろう。普段本を読まない人からすれば、「とりあえずの一冊」を見つけられる。本屋大賞のおかげで、面白い本を中心にして世界が幸せになっていると言っても過言ではない。いや間違いなく過言である。 バカはすぐに大げさにしたがるから困る。もっと冷静になれ、私。

ただでさえ少ない脳細胞をフル活用するためにも、私は冷静であるべきである。社会はバカには厳しい。毎日がサバイバルだ。しかしながら冷静でいられなくなるときがある。本好きとしては避けられないときだ。

そう、それは「つまらない本に出会ったとき」である。

 

地雷だらけの人生です

読書中毒を自称しているだけあって、私は基本的に常に本を読んでいる。本を読んでいないときは、本を読めない理由がある場合だけである。例えば車の運転中とか、寝ている最中とか、奥さんが不機嫌なときとかだ。

それだけ読書に人生を捧げていると、どうしたって出会ってしまう。地雷に

これまで数千冊の本を読んできて、それなりに本の選球眼を鍛え上げてきた私だが、それでも年に月に数冊は、私の築き上げた厳重な包囲網をかいくぐって「私、面白そうでしょ?」と娼婦のような妖艶な笑みを浮かべて近づいてくる。私も私で「でへへ」と鼻の下を伸ばせるだけ伸ばして「面白そうな本だなぁ」なんて受け入れてしまう。そして読んで後悔する。あの時間を返してくれ!と虚空に向かって叫ぶ。書籍で買っていれば怒りに任せて壁に投げつければいいのだろうが(俗に言う“壁本”である)、最近の私はKindle版ばかりを買っているので、壁にぶつけることさえ許されない。ただただ駄作のために無駄にした人生という時間を嘆くだけである。

さてさていい加減に皆さんは、一体私が何の話をしているのか分からなくなってきたころだろう。それもそのはずである。私もつまらない本への怒りをぶつけているうちに訳が分からなくなっているのだから。文章を書いている側が分かっていないのに、読み手に分かってたまるか、という話である。というように、私の駄文はこうして永遠に続くわけだ。つまらない本に悪態をつく資格などないのである。お分かりか。ちなみに私はまだ分かっていない。誰か助けて。

 

地雷作品をご紹介 

さあ、そろそろ本題に戻ろう。本屋大賞である。

地雷だらけの直木賞や芥川賞比べて、はるかに本好きにも読書初心者にも優しい本屋大賞であるが、 それでもやはりいるのだ、地雷が

そこで今回の記事では、これまでに多数の名作を世に紹介し続けてきた本屋大賞の中でも、個人的に「こりゃ地雷だろ」と思った作品をまとめておきたい。あくまでも個人的な感想である。

地雷地雷とは言っているが、作品をどう思うかなんて、結局は読者のテンションやタイミング次第なのである。めちゃくちゃ良いことがあってハッピーな気持ちになっていれば、どんな駄作でも楽しめるだろうし、フラれた直後に素敵な恋愛小説なんて読んだ日にはもう「いきなりホラーになって登場人物全員殺人鬼に殺されればいい」と願ってしまうだろうし、叙述トリック作品を連続で読んでしまえば冷めるのが人情である。

すべては読者自身のテンションやタイミングが悪いにもかかわらず「駄作じゃあっ!」と怒り狂うのである。

 

そう読者はいつだって勝手なのだ。

 

ということで、今回は勝手な記事を書かせてもらおう。

決して公平な評価などでは一切なく、私の超個人的な感想である。エンタメの一種だと思ってもらえれば幸いである。

 

では行ってみよう。 

  

『聖なる怠け者の冒険』

 

 

 

社会人2年目の小和田君は、仕事が終われば独身寮で缶ビールを飲みながら夜更かしをすることが唯一の趣味。そんな彼の前に狸のお面をかぶった「ぽんぽこ仮面」なる人物が現れて…。宵山で賑やかな京都を舞台に果てしなく長い冒険が始まる。 

 

まず最初に言っておきたい。私は森見登美彦の正真正銘のファンである。彼の著作は全て新刊で購入している。発売されていることを知ったら、問答無用で購入している。

ハードカバーなんて場所も取るし重いし読みにくいしで、何もいいことがないのに、それでも懲りずに買い続けている。なぜなら彼の作品が面白いからだ。いや、精確には「面白いと信じている」からだ。

それなのに…こんなに期待しているというのに…なんだこの体たらくは!

『聖なる怠け者の冒険』って、こんなモリミー(森見登美彦の意)っぽくて、間違いなく面白そうなタイトルなのに、中身は全然だ。

これ全然プロットできてない状態で書き始めたでしょ。ストーリーがぼやけすぎだし、笑いの要素も弱い。そして無駄に長い。長さの割にカタルシスも少ないしで、モリミー作品には超甘々な評価を下してしまう私だが、こればっかりは受け付けなかった。 

 

読んでいる最中、締切に焦りながら、迷走しているモリミーの姿がちらついて仕方なかったよ…。

 

『キャプテンサンダーボルト』

 

 

 

女友達を助けたばかりに多額の借金を背負う羽目になった相葉の手にひょんなことから転がり込んだ「五色沼水」。それを狙う不死身の(ように見える)冷酷非情な謎の白人が、死体の山を築きながら彼を追ってくる。五色沼といえば蔵王の火口湖、そこは戦後にパンデミックを起こしかけた「村上病」のウィルスで汚染されていて、立ち入り禁止地域になっていた。この水はいったい何なのか。逃亡する相葉は、中学時代の野球部の悪友・井ノ原と再会、ふたりは事態打開のために共闘することに…… 

 

こうやって地雷作品を並べてみると、個人的にハードルを勝手に上げた結果「ふざけんな!」となっていることがよく分かる。ただそれも仕方ないというか、面白い小説を探したい場合、信用買いするのが一番手っ取り早いし、成功率が高い。さきほども森見登美彦もそうだが、私の中で伊坂幸太郎は「ほぼ確実に面白い小説を提供してくれる神様」である。本の表紙に「伊坂幸太郎」の文字が印刷されていれば、確実に私はアホみたいに手に取ってしまうだろう。そして何も考えずにアホみたいな顔をしながら購入するはずだ。それくらい無条件でアホみたいに信じ込んでいる。

いや、でも少しは警戒してはいたよ?だって純粋な伊坂作品じゃなくて、阿部和重との共作なんだから。でもほら、それはあれだよ。表紙に「伊坂幸太郎」って書いてあったからさ、いつも通りアホみたいに信じちゃうでしょ。最高の読書的快楽を期待しちゃうでしょ。

 

とまあ、そんなふうにいつもの伊坂節を期待していた私は、思いっきり肩透かしを食らった。

大した盛り上がりも見せないプロット。出てくる話題の割には動きが乏しいキャラ。鳴りを潜めた伊坂節。なのにやたらと長編。なんだ上下巻って。どんだけ金儲けしたいんだよ。長編ってのは、それだけ書きたいことがあるから、必要だから長編なんだよ。長けりゃいいってもんじゃねえ。

売れっ子作家が手を組めば面白いものができる、というわけではないことを証明してしまった。企画が面白くても、内容を伴わせるのは難しい、ということで。

 

『ビブリア古書堂の事件手帖 ―栞子さんと奇妙な客人たち』

 

 

 

鎌倉の片隅でひっそりと営業をしている古本屋「ビブリア古書堂」。そこの店主は古本屋のイメージに合わない若くきれいな女性だ。残念なのは、初対面の人間とは口もきけない人見知り。接客業を営む者として心配になる女性だった。だが、古書の知識は並大低ではない。人に対してと真逆に、本には人一倍の情熱を燃やす彼女のもとには、いわくつきの古書が持ち込まれることも、彼女は古書にまつわる謎と秘密を、まるで見てきたかのように解き明かしていく。これは“古書と秘密”の物語。 

 

ドラマ化もされたライトノベルである。私は別にライトノベルを否定するつもりはない。ライトノベルでも面白い作品はたくさんあるし、タイトルが長くない作品だってちゃんとある。まあ『ビブリア古書堂の事件手帖』は面白くもないし、タイトルも長いがな。

こちらも正直な話、私のハードルが上がりすぎていたのだと思う。ドラマ化もされたし、Amazonの評価もやたら高いし、本好きの人がこぞって「面白い!」とのたまっていたからだ。乗せられない方がおかしい。

でもこれはきっと、一部の本好きが内輪ネタで熱狂しているだけで、私のようにただただ純粋に面白い作品を求めている人間の場合、こういった作品は受け付けられない。

 

事件現場に行かずに事件を解決する“安楽椅子探偵”の亜種であるが、ミステリー要素が弱い点もいただけない。

設定もドラマも謎も、どこを切っても凡作である。この作品が古典になることはないだろう。

 

『謎解きはディナーのあとで』

 

 

 

国立署の新米刑事、宝生麗子は世界的に有名な『宝生グループ』のお嬢様。『風祭モータース』の御曹司である風祭警部の下で、数々の事件に奮闘中だ。大豪邸に帰ると、地味なパンツスーツからドレスに着替えてディナーを楽しむ麗子だが、難解な事件にぶちあたるたびに、その一部始終を相談する相手は“執事兼運転手”の影山。「お嬢様の目は節穴でございますか?」―暴言すれすれの毒舌で麗子の推理力のなさを指摘しつつも、影山は鮮やかに事件の謎を解き明かしていく。

 

日本で一番売れた駄作である。清々しいまでにつまらない作品である。

東川篤哉はコメディタッチのミステリーを得意とする作家で『謎解きはディナーのあとで』はまさにコメディタッチのミステリー作品である。つまり東川篤哉の全力投球がこの作品なのである。ふざけんなと言いたい。もうすでに言っているが、もう一回言いたい。なんだこれは。滑り倒しているし、だからといって滑り笑いを狙っているわけでもなく、純粋にただただ“つまらない”…。

栄えある本屋大賞を受賞した作品だけに、被害は甚大である。本屋大賞で最大級の汚点と言っていいだろう。ジャニーズが淫行で捕まるぐらい汚点。

 

それにしても、日頃からたくさんの本に触れている多くの書店員が、なぜこんなどうしようもない作品に投票したのだろうか。普通にモリミーの『ペンギン・ハイウェイ』とか窪美澄の『ふがいない僕は空を見た』でいいのに。

もしかしてあれか、つまらない小説を書き続ける東川篤哉がいい加減可哀想になって、同情票的なやつか。それなら分かる。

それか東川篤哉の本が在庫で余りまくってたから、この機会に処分したかったのかもしれない。本屋だって商売だし。

どうであれ、まともな評価ではなかったと信じたい。目が節穴なのはお嬢様だけで十分である。

 

『赤朽葉家の伝説』

 

 

 

“辺境の人”に置き忘れられた幼子。この子は村の若夫婦に引き取られ、長じて製鉄業で財を成した旧家赤朽葉家に望まれ輿入れし、赤朽葉家の“千里眼奥様”と呼ばれることになる。これが、わたしの祖母である赤朽葉万葉だ。―千里眼の祖母、漫画家の母、そして何者でもないわたし。旧家に生きる三代の女たち、そして彼女たちを取り巻く一族の姿を鮮やかに描き上げた稀代の雄編。第60回日本推理作家協会賞受賞。

 

一時期私は推理小説の快感に取り憑かれていた。完全に中毒であった。どんな小説を読んでも常に頭の中では“意外な結末”を期待しており、ミステリーじゃない作品を読もうものなら「は?なんで普通に終わってんの?もっと主人公の性別とか入れ替えたり、時系列いじってこいや!」というように、感性が狂いきっていた。

今でこそ分かるが、上質な推理小説はそうそう出てこない。5年に1作、そんなレベルなのである。だから読者は、欲しがれば欲しがるほど地雷を踏むことになる。

ただやみくもに探していても地雷を踏むだけなので、アホなりに考えたのが「権威を信じる」だった。←結局、自分では考えていない

私があてにしたのが“推理作家協会賞”であった。見るからに良質な推理小説に贈られそうな賞じゃないか。

その当時、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』などで推理小説マニアの中では噂になっていた桜庭一樹。マニアの間で名前は売れているし、推理作家協会というよく分からない団体(でもなんか権威を感じる)にも認められた作品となれば、これはもう絶対に正解じゃないか。

 

突飛な設定に、グダグダしたストーリー、魅力の欠片もない謎。

地雷という意味では伝説になるかもしれない。それにしても、なんだ鞄って。

 

『容疑者Xの献身』

 

 

 

運命の数式。命がけの純愛が生んだ犯罪。 東野圭吾作品読者人気ランキング第1位。累計220万部突破、直木賞受賞の大ベストセラー。 天才数学者でありながら不遇な日々を送っていた高校教師の石神は、一人娘の美里と暮らす隣人の花岡靖子に秘かな想いを寄せていた。 ある日、靖子の前夫・富樫が母娘の居場所を突き止めて訪ねてきた。金を無心し、暴力をふるう富樫を、靖子と美里は殺してしまう。 呆然とする二人を救うために、石神は完全犯罪を企てる。 だが皮肉にも、石神と帝都大学の同期であり、親友である物理学者の湯川学がその謎に挑むことになる。

 

「本格ミステリ大賞」、「直木賞」、「本格ミステリ・ベスト10」、「このミステリーがすごい!2006」、「週刊文春ミステリベスト10」と各種ランキングで1位を獲得して売れまくった作品である。東野圭吾読者人気ランキングでも1位ということは、一般の方だけでなくファンまでもが認めている作品だと言える。そんな作品が地雷のはずがない。むしろ東野圭吾屈指の作品であるはずだ。

しかしだ。落ち着いて考えてほしい。

一番人気は確かに凄いかもしれないが、だからといって「一番人気=一番面白い作品」ということはない。売上の観点から見れば一番優秀かもしれないが、面白さは数で表せるものではない。むしろみんなが好きだなんて、ろくなもんじゃねえ。大味で大衆に媚を売った作品に決まっている。そういうのはディズニーだけで十分だ。

『容疑者Xの献身』は知名度でも一番だと思う。だからこそ得票数がぶっちぎりになっているだけで、実力は並である。特別優秀な作品ではない。正直、トリックもひどいもんだ。数学の天才が考えたトリックとは到底思えない。

 

ということで、あまりにも人気モノなのであえて批判してみた次第である。

ちなみに「誰にも解けない問題を作るのと、解くのはどちらが難しいか」という問題の件だが、問題なんて作るほうがはるかに簡単なのは分かりきったことなので、これも天才同士の会話としては非常に稚拙だと思う。 

 

『ベルカ、吠えないのか?』

 

 

 

キスカ島に残された四頭の軍用犬北・正勇・勝・エクスプロージョン。彼らを始祖として交配と混血を繰りかえし繁殖した無数のイヌが国境も海峡も思想も越境し、“戦争の世紀=20世紀”を駆けぬける。炸裂する言葉のスピードと熱が衝撃的な、エンタテインメントと純文学の幸福なハイブリッド。

 

叙情的なタイトルと強烈な装丁。これは傑作間違いなし、かと思われた。いやきっと傑作なのだろう。犬からしたら。私は人間だったので、この傑作の意味が分からなかった。

とにかく犬、犬、犬。しかも数匹だけじゃなくて、何十匹もの犬が出てくる。全然覚えられない。

犬サーガとも言うべき、犬が物語を引っ張るというかなり突飛でとっつきにく作品なのだが、それに加えてこの犬たちがすぐに死ぬ

こちらとしては少しでも作品世界に没入するために、必死に犬に感情移入しようとするのだが、すぐに死ぬ。じゃあ次の犬に…ってすぐに死ぬ。なんなのこれ?溺れないように必死につかんだ岸が次々と崩れていく気分。しかも車に轢かれてペチャンコになったりするし。全然登場人物を大事にできない。もう付いていけません…。

 

我慢してればいつかは面白くなるだろうと辛抱強く付き合ったのだが、これは残念ながら途中で断念。私の人生でも数少ない挫折本となった。

でもAmazonのレビューを見る限り、ハマる人には相当面白いようである。来世にもし犬に生まれ変われたら、再挑戦したいと思います。犬が文字を読めればな。

 

『夜のピクニック』

 

 

 

高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」。それは全校生徒が夜を徹して80キロ歩き通すという、北高の伝統行事だった。甲田貴子は密かな誓いを胸に抱いて、歩行祭にのぞんだ。三年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために――。学校生活の思い出や卒業後の夢など語らいつつ、親友たちと歩きながらも、貴子だけは、小さな賭けに胸を焦がしていた。本屋大賞を受賞した永遠の青春小説。 

 

私は本屋大賞に対して「普段から本を読む人にも、読まない人にも関係なしに、全国の本屋が問答無用でオススメできる作品を教えてくれる賞」だと期待している。

なので本屋大賞の中でも特に“大賞”に関しては、どんな相手でもノックアウトできるような強烈な作品を求めている。その1年で発売された小説の中で、一番人類に快感をもたらした作品が選ばれるべきだと思う。

で、『夜のピクニック』である。

恩田陸らしい丁寧な人物描写、優しさに溢れた文章、起伏は少なくともドラマをふんだんに含んだストーリー。非常に“らしい”作品だと思う。

だが、だ。この作品に大賞はふさわしくないだろう。というのも、抱えているテーマや問題があまりにも特殊というか、共感しにくいのだ。これでは読者が付いていけなくなる。

確かに青春を感じさせるし、自分が青かった時代と共鳴する部分もあるが、それはあくまでもこちらの個人的な感傷であり、もっとキツい表現をするならば、「読者が勝手にに思い出に浸ってるだけ」なのである。これは『夜のピクニック』自体の実力ではないと私は思う。

物語は問題を乗り越え昇華することでカタルシスを得る。大前提となる問題が分かりにくければそれだけ、読者は問題を問題として感じられなくなる。そうなれば、問題が解決してもカタルシスを得られない。解決の仕方がご都合主義であればなおさらだ。

 

私は『夜のピクニック』を読む際に「これが大賞を獲った作品か」と期待に満ち溢れていた。そのハードルの高さが余計な仕事をしたと思う。本屋大賞に期待するがゆえの悲劇である。

 

 

以上。また見つかり次第、追加させていただく。