俺だってヒーローになりてえよ

何が足りないかって、あれだよあれ。何が足りないか分かる能力。

本当にあんたって子は…。道尾秀介『月と蟹』

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どうも、読書中毒ブロガーのひろたつです。

ネタバレ抜きの読書レビューです。

 

内容紹介

 

直木賞受賞作。あの夏、海辺の町で少年は大人になる涙を知った

孤独な子ども達が始めた願い事遊びはやがて切実な思いを帯びた儀式めいたものに――深い余韻が残る少年小説の傑作。
海辺の町に祖父と母と暮らす小学生の慎一。よそ者として、クラスになじめない慎一は唯一の友達・春也と、ヤドカリを「ヤドカミ」様という神様に見立てて遊ぶことをはじめる。最初は単なるごっこ遊びだったものが、偶然を重ね、次第に切実な願いをこめた儀式へと変わっていく。同じ年の少女・鳴海をまじえ、それぞれに親への複雑な思いを抱える三人の関係もゆらぎはじめる。少年少女たちは痛みを胸に秘めながらも、大人になっていく。少年時代の最後の日々を描く傑作小説。

 

 

まず率直に感想を申し上げると…

 

暗い!

 

でも…

 

めっちゃ入り込める!

 

 

うん、好きよ。こういうの。

道尾秀介は売れてて器用な作家だから、エンタメ色が強いイメージを持たれてるかもしれないけど、本質はこっち側。めっちゃ根暗。ハゲそうなのはダテじゃねーぜ(無関係)。

作家の本質ってやっぱりデビュー作に出てることが多いけれど、道尾は典型的なそのタイプ。『向日葵の咲かない夏』とか道尾秀介の持ってる色んな性癖を合挽きにしたハンバーグだから。あれ小説じゃないからね。だから本屋に並んでるやつは軒並み腐敗しちゃってるんだけど、それも込みであの作品だから。腐敗してるのがマスト。発酵じゃなくて腐敗ね。人体に害を及ぼす方。

 

『月と蟹』の成分表

『向日葵の咲かない夏』に比べればまだマシな方だと思うけれど、『月と蟹』も大概な作品で、これが直木賞受賞って…。被害者の悲鳴とか怒りのレビューを見てたら、一日楽しめそうだ。人の不幸ってのはいつでも絶品ですよ。

 

そんな危険な作品である『月と蟹』。でもこの作品に興味を持ってもらいたくて記事を書いているわけで、どうやって紹介すればいいのか考えてみた。

作品のあらすじとか少しでもネタバレに繋がることは言及したくないので、私が『月と蟹』を読んで感じたことを列挙してみよう。少しは作品の雰囲気や手応えが伝わるかと思う。言い換えるとこれは私なりの作品の「成分表」である。

 

・グロテスク

・内省的

・暗い

・昏い

・息苦しい

・ツラい

・ここから出して

 

思いのほか猟奇殺人鬼に拉致された人からのSOSっぽくなってしまったが、いいだろう。まあ実際のところ、読んでいるときの心情は似たようなもんである。

 

描かれているのは、本当に些細な出来事

恐ろしいのは、この作品で描かれているのは「小学生のひと夏思い出」だけだということだ。

たったそれだけの内容なのに、これだけ私にひどい感想を列挙させてしまうのである。イカれてるよ、ミッチー。

あ、ちなみにだけどさっきから完全に褒めてるから。褒め倒しているつもりだ。皆さんがどう受け止めるのかは知らん。

 

主人公は小学生の少年で、物語は終始、彼の一人称で語られている。

で、その描写力と読者を入り込ませるのが巧すぎて、主人公が感じるちょっとしたことへの感受性とか、絶望感とか、無力感とか、曖昧さとかが胸にぐりぐり押し付けられる。単純にダメージを受ける。

これは作家による読者へのいじめだろう。文章力で追い詰めにきてる。でもたぶん道尾は純粋に良い作品を書こうとしただけだと思う。あのキラキラした純粋無垢な目で、こんなダーキーな重々しい作品を仕上げてたはずだ。見てないけど確実に見える。

 

凄え重々しい気分で読み終えたけど、しばらくしてから落ち着いて考えてみると、作中ではほとんど些細なことしか描かれてないと気付く。私は一体何を読んでいたんだ。なんなんだこれは。

 

エンタメ性は皆無

大体作品の雰囲気は理解してもらえたと思うけれど、エンタメ性は皆無だ。かなり文学的で内相的な描写も繰り返されるので、物語重視だったり、入り込むのが不得意な人にとっては面白さが理解できないタイプの作品かもしれない。

でも逆に、心情描写や作品にどっぷり入り込むのが好きな人には、堪らないほどの変態的快楽を提供してくれるはずだ。じっくり付き合えば付き合うほど味が出る。でも危険性も増すという、メンヘラ女みたいな作品である。

 

また、ダークな空気が永遠と続くので、読んだことを後悔する可能性も大である。重ね重ね直木賞は何しやがってんだと思う。

ちなみに私は、その昏さの触手で引きずりこまれるように、グイグイと読んでしまった。ちょうど読んだのが、雨で天気の悪い日だったのだが、暗い部屋の中が恐ろしいまでに作品の雰囲気とぴったりだった。あれは最高だったね。

 

心を動かす条件

文章を綴る活動を長らくしているので、「読み手の心はどうやったら動かせるのか?」と考えることが多い。

で、ここ最近答えらしきものを見つけたんだけど、今回『月と蟹』を読んで答え合わせができたように思う。

 

ちょっと抽象的な表現になってしまうけれど、心を動かすのに必要なのは、純度だ

 

世の中では「大きさ」だと勘違いされていると思う。

例えば、世に言う「感動作!」みたいなのって、大概が人の生き死にを扱ってる。「死」という極端で大きなものをぶつけることで、見る人の心を動かそうとしてくる。

そんなんされたら確かに動く。死を目にして心が動かない方がおかしい。

でもそれって生理現象みたいなもんで、作品としての強さとはちょっと関係ないような気がしている。使い勝手の良いふりかけみたいなもんだ。もっと別の言い方をするならば、「ずるいやり方」だ。

 

極端な表現を使わなくても、人の心は動かせる。子供やペットが良い例だ。

子供やペットというのは単純なので、感情がストレートに伝わってくる。その混じり気のなさゆえに、伝わる力が強い。彼らの一生懸命は、些細なことであったとしても、見た人に感動を与える。

 

(自分で貼っておいて、数秒で泣いちゃったオジサンは私です) 

 

 

こんなんでも感動できる。

 

 

これらに共通するのは、やはり本人の中の感情の純度である。どれだけ心がそのことで占められているか。そこが感動に作用している。偉業を達成せずとも、一生懸命に頑張る人の姿というのは胸を打つ。 

 

で、『月と蟹』ではその理屈をエグい方向に利用している。

だからこそ、大人から見れば些細な出来事だけれども、少年の目を通してみるとキッツい仕上がりになるのである。これもまた、方向性はあれだけれども「感動」の一種である。純度の高い不快である。

 

道尾秀介のどうしようもなさは知ってるつもりだったけど、改めてそのヤバさを体感できて嬉しい。

過去にインタビューで彼が語っていたことをよく思い出す。

 

誰も読者がいなくなったとしても、自分は関係なしにずっと小説を書き続けると思う。 

 

 

変態万歳。

 

 

以上。